ブルー・ジャーニー

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#41

アラスカ グレイシャーベイへ〈2〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

想像する手がかりさえも

 

 振り返った瞬間、心を打ち抜かれた。

 ゆったり動いているのに、圧倒的なスピード。テクノロジーの手の届かない飛行曲線。

 頭上5メートルほどのところを飛び抜けていったハクトウワシは、青空に向かってぐんぐん上昇すると、トウヒの木のてっぺんに、枯れ葉のようにふわりと舞い降りた。

 頭から肩の部分にかけて、雪のような白。その下の漆黒は、成鳥の証。

 

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「そこはブラックベアの通り道」

 ウェスタンシダーの表皮がえぐり取られている。

  4月にカナダのウィスラー・マウンテンに行ったときのことだった。

 機関銃に打たれたような木の幹。

「あれはキツツキのしごとだよ」

 うっそうとした森の中をガイドの後について歩いていくと、突然のように木製の階段が現れる。ワイヤーを伝って空中回廊を散策する“ジップトレック”のスタート地点だ。

 このとき参加したのは、もっとも高低差のある“イーグルコース”。全部でトリップが5回。最長の空中回廊は約600メートル。

 ハーネスをつけ、樹上のテラスを踏み蹴る。

 ふわり。

 ちいさなショックとともに体が宙に浮く。

 つぎの瞬間、「鳥の眼で」や「鳥瞰したように」という言葉を、幾度となく使ったことを深く反省する。

 時速30キロ程度なのに、目に映るすべてが流れていくばかりで、なにひとつ像を結ばない。

「森だ」「川だ」だと、おおざっぱにおどろいているうちに対岸に到着。フライト時間約15秒。興奮はとびきりだが、すべての記憶がたよりない。

 

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 順番を待つ間、テラスのボードを読む。

〈木々はその一生を終えると、倒れ、朽ち、森のつぎの世代を育てる栄養となります。森は循環していますが、都会はそうではありません。都会は手に入れ、消費し、捨てることは得意ですが、捨てた物をリサイクルする能力を持っていません〉

 2度目のトリップへ。

 キツツキやブラックベアを探す余裕は微塵もないが、ほんの少しだけ視界が落ち着きを取りもどす。

 いつもいっせいに背伸びをして、空を見上げていた木々が、腕を広げて大地を覆い、守っている。

「木々は周囲で起こるすべてのことに当然のごとく気づいているし、ほかのあらゆる生き物とおなじく、絶えざる力のやりとりに参加している」。北米の先住民のひとつ、コユーコン族の長老は言う。「ある種の木は人間に特別敏感だ。たとえば亜寒帯林のトウヒは心やさしい魂を持っていて、その枝の下でキャンプする人々を守ってくれる」

 

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 ぼくはハクトウワシを見上げ、ハクトウワシはぼくを見下している

 空中回廊から確かめられたのは森や川だけだったが、ハクトウワシの淡い金色の眼の中の黒々とした瞳は、500メートル先の水中のニシンの鱗のきらめきをとらえる。

 いま、ぼくに見えているのは、小さく首をかしげ、ぼくを見下ろしているハクトウワシの姿だが、ハクトウワシには、ぼくの顔の皺のひと筋ひと筋、結膜の血管、瞳孔に映る自分の白い頭が見えている。

 ふいにハクトウワシが飛び立つ。

 胴体の2倍近い重さを持ち、広げると2メートルを超える両翼は、時速160キロを生み出す。

 水面から10メートルほどの高さまで急降下したハクトウワシは、慣性にしたがう気などないかのように、水平飛行に移る。

 いま、ハクトウワシとぼくはここにいるけれど、ふたつの世界は重なっていない。

 共通しているのは、ぼくたちが湾岸水路の両岸の、波打ち際まで迫り出た森に見守られているということたけだ。

 

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 音が「無い」のではない。

 深く、圧倒的な静けさが「ある」

 人の流れ、電車、車、情報。都会では、すべてが時計の秒針に合わせて動いている。

 すべてがめまぐるしく、めまぐるしさを拒絶するためには、立ち止まらずに動きつづけなければならない。

 だだ、ここはちがう。すべてが秒針の音が届かないところにある。

 ハクトウワシの羽ばたきに、トウヒの発芽に、アザラシのあくびに、世界は形作られている。

 

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 鳥と目が合うと、身動きが取れなくなる。

 トウヒの森の住民、木菟(みみずく)はいったいなにを考えているのだろう?

 目の前の生き物について?

 そうではないなにかについて?

 そうではないなにかとは?

 

──その眼は、じっとみつめたまゝである。いつまで待っていても、またゝかない瞳。私をみとめているのか。みとめていても、みとめるのを恐れているのか。

 

 よくよく木菟を観察した詩人、金子光晴は思う。「からだ全体が眼の外輪であるのかもしれない」

 

──一さいのものが、なにもかも中心の一点に捲きこまれていってしまう白い渦巻のような眼。その底の、乾干たゆきどまりが、底しれぬふかさのはじまりかとおもわれて、ながめているのが一層、気味悪かった。

 

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 かつて東南アラスカを覆っていた巨大な太平洋岸山系氷床。この氷河が地表をガリガリと削りながら後退し、そのあとに、日本列島を飲みこんでもまだ余る、この迷宮のような湾岸水路は生まれた。

 水面はどこまでも穏やかで、波は無いに等しい。川のよう見えるが、ここは太平洋。ベイツガのもっとも地面に近い部分の大枝が、満ち潮の線に合わせてまっすぐに刈り取られている。

 目撃者談。

「海面すれすれに張り出したトウヒの枝の上でアザラシが眠っていたんだ。満潮時に木の枝に乗り、すっかり眠りこんでしまったために、どうやら潮が引いたことに気づかなかったらしい」

 

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 500年かけて育ったトウヒは、500年かけて朽ちる。

 発芽し、大地から栄養を吸い上げ、太陽に枝を差し伸ばし、雨に葉を揺らし、四季を感じ、風に吹かれ、雷にふるえ、ハクトウワシや木菟の羽を休ませ、ブラックベアの縄張りの証となり、見上げるような大木に育ち、やがて倒れ、苔のベッドになり、鳥のくちばしからこぼれ落ちた種子を育て、土に還る。

 どこまでもつづく森を見つめながら、1000年の循環を、想像する手がかりさえも持たないことを思い知る。

 

(アラスカ編、続く)

 

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

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