ブルー・ジャーニー

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#40

アラスカ グレイシャーベイへ〈1〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

わかろうとするな

 海抜4000メートルを越えるフェアウェザー山脈から流れこむ16の氷河。

 100キロに及ぶフィヨルドに囲まれた氷河の海。

 遠い昔、氷に閉じこめられた雪片が、流れ、崩れ落ち、

 ふたたび海に還る場所、グレイシャーベイ。

 1600キロの船旅の、出発前日の興奮。

 

29

 

 やわらかな春の陽射し。ビルの向こうできらめくダークブルー。

 4月上旬、アメリカ・シアトル。

 カナダとの国境から182キロ。アメリカ西海岸に点在する都市の中で、ロサンゼルス、サンフランシスコに次ぐ第3の都市。面積は東京23区の約40パーセントにあたる約235平方キロメートル。人口約56万人は東京23区の6パーセント。

 前方に太平洋、背後で手を取り合うユニオン湖とワシントン湖と、四方を水に囲まれ、“エメラルド・シティ”と呼ばれる街。

 やらなければならないことを投げ出して外に出る。

 なだらかな坂道に鮮やかな影を落とす街路樹。ビルの谷間を澄んだ空気が流れ、角を曲がるといつも彼方に光る垣間海。街のあちこちに偏差値がかなり高いストリート・ミュージシャン。

 もっとも古い街並が残るパイオニア・スクエア。歩道とレンガ作りの建物の間の隙間を見下ろすと、地中にかつての1階部分が埋もれているのが見える。海抜が低く、たびたび水害に見舞われた一画を、丸ごと底上げしたためだ。

“シアトルの魂”と呼ばれるパイク・プレイス・マーケットの、函館の朝市と上野のアメ横を合わせたようなにぎわいをひとめぐりし、世界でただ1カ所、オリジナルの人魚マークを掲げるスターバックス1号店でひと休み。

 

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 巨大な倉庫か自動車工場のような、鉄骨をむき出しにした無機質な外観。

 いつか訪れたいと思っていた場所は、町の南のはずれにあった。

 シアトル・マリナーズの本拠地、セーフコ・フィールド。世界で2番目につくられた開閉式屋根付き天然芝のボールパーク。ライトスタンドの上に収納された屋根は、3枚の鋼鉄板でできていて、重さ約1万1000トン。開閉に要する時間は“福岡ヤフオク!ドーム”とほぼおなじ約20分。

 メイン・エントランスから入ると、吹き抜けのホールに1000本のバットを組み合わせた巨大なモニュメント。

 その横を通り抜け、光の中に歩を進めると、世界は本のページをめくるように一変する。

 

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 ほおずりしたくなる天然芝。虹をかけるスプリンクラー。

 ボールパークの主、シアトル・マリナーズは、ただいま遠征中。

 内野席に座る。

 フィールドがものすごく近くて、座り心地がいい。

「内野席の一番前の席とファーストの選手の距離は、バッテリー間より近いんですよ」とスタッフのひとり。

 フィールドと観客席を隔てるフェンスがものすごく低い。正確に言えばフェンスではなく鉄のパイプで、平均的日本人サイズのぼくの腿のあたりまでしかない。

「この種のフェンスについては市条例で高さが決められていて、それをクリアするぎりぎりの高さなんです」。スタッフがつづける。「鉄パイプは法律違反すれすれの裏技。壁より身近に選手を感じられるでしょう?」

 

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 2階席も、ぎりぎりのすれすれ。身を乗り出すと、お尻のあたりがムズムズしてくる。

「ファウルボールを取ろうとして落ちた人はいないんですか?」

 スタッフが声を出して笑いながら答える。

「今のところは」

 フィールドに降りて、芝生に触れる。

 1年を通じて高い湿気と長めにカットされた芝がグラウンドボールの勢いを殺すために、全米でもっともヒットが生まれにくいポールパーク、セーフコ・フィールド。イチローのシーズン最多安打大リーグ記録、258本は、ここをホームに記録された。

 ダグアウト(dug-out=防空壕)へ

 コンクリートに囲まれた空間は素っ気なく、ベンチはひんやりと冷たくて、背もたれは直角。観客席の椅子が飛行機のビジネスクラスだとすれば、エコノミークラスにも及ばない座り心地。大リーグの真実に触れていることがうれしくて声を上げたくなる。

 

33

 

 汽笛が鳴り響き、船は静かに桟橋を離れる。

 今回の旅の目的地はアラスカで唯一、世界遺産に登録されているグレイシャーベイ。道路がないのでアプローチは海路か空路のいずれか。

 空路を選ぶとシアトルから最寄りの飛行場まで2時間半あまり。一方、今回乗りこんだこの船は、北米大陸の西海岸沿いを北上し、ケチカン、ランゲル、シトカ、スキャッグウェウェイ、ヘインズに寄港しながら、日本列島を飲みこんでまだ余る1600キロを11日間かけて航海する。

 潮と春の香りをたっぷり含んだ風が吹き抜ける船尾で、シアトルの町並みを眺める。

 タコマ、スポケン、ヤキマなど、ワシントン州にはネイティブアメリカンに語源を持つ都市は多く、シアトルもそのひとつ。スコーミッシュ族の長であったシアルスの名に由来する。

 向かって左端、円形の展望台を備えたタワーは、スペースニードル。高さ184メートル。シアトルという街が世界に知られるきっかけとなった1962年の万国博覧会シンボル・タワー。

 右端はアルカイビーチ。その横に頭をのぞかせるセーフコ・フィールド。土曜の夜、上空を通りかかった宇宙人は、開け放たれたドームから湧き上がる熱狂をどう理解するのだろう?

 

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 昨日、あんなににぎやかだったシアトルの街並みが、周囲の自然に気おくれしているかのように後ずさりしていく。

 アリゾナ砂漠の人口都市、ラスベガス。メキシコ方面に乾いて荒涼とした海岸線ばかりが続くロサンゼルス。アメリカの都市の多くがそうであるように、シアトルも、離れたところから眺めると、ぽつんとさびしい。

 無風、快晴。ゆったりとうねるダークブルーを、船は力強くかきわけ、やがて街並みが大自然に飲みこまれていく。

 

16

 

 一夜明けて、船は北米大陸とバンクーバー島にはさまれて横たわる“インサイド・パッセージ(湾岸水路)”にさしかかる。

 

 ──岬や入江を解きほぐし、端から端まで引き延ばしてみれば、それはほとんどどこまでも延びて行くにちがいない。入江、湾、小湾、海峡、瀬戸、運河、大海峡、水道、澪、入江、浦湾、湾口と、それは終わることを知らない。角を曲がればいつも驚きが待ちかまえている。言い換えれば、この海岸は宇宙を内包していた。(『宇宙船とカヌー』ケネス・ブラウワー著)──

 

 年間降雨量4000ミリ、アマゾンの熱帯雨林を超える降雨量によって、長い年月をかけて育まれたレインフォーレスト。面積は地球の陸地のわずか1パーセントにすぎないが、バイオマス(単位面積あたりの生物体総量)は熱帯雨林の2倍と世界中でもっとも大きい。

 アリューシャン列島から湾岸水路に流れこんでくる黒潮は、海底から大量の栄養物を浮かび上がらせ、浮かび上がった栄養物はプランクトンとオキアミを養い、その栄養たっぷりのスープがサケやクジラを育む。

 分かちがたく結びついた緑とダークブルー。濃密に、途切れることなく織り上げられた命のタペストリー。

 わかろうとするな。

 デッキのベンチで座り、自分に言い聞かせる。

 感じろ。

 

 

 

(アラスカ編、続く)

 

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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