ステファン・ダントンの茶国漫遊記

ステファン・ダントンの茶国漫遊記

#39

私を支える仲間たち3〜 川根と私をつなぐ人「トニー」

ステファン・ダントン

 

 

 

 

 
 
 私と日本茶との付き合いは、『おちゃらか』の開業を起点に考えてもすでに13年をこえている。これまでお話してきたように、今では日本全国の茶産地・茶農家とつきあいながら、各地のお茶と日本茶の入り口として開発したフレーバー茶を海外に向けても紹介している私だが、いつでも心の中には私のストーリーの原点である静岡県川根本町がある。
 川根本町の山あいの茶畑の風景と故郷リヨン近郊のぶどう畑の風景の相似性が、かつてワインにたずさわっていた私と日本茶を近づけた。手間のかかる昔ながらの方法で茶葉を生産し加工する生産者の姿、家族単位で受け継がれる伝統が、私の考える本物の食文化の基盤そのものだと思った。それによってできあがる川根茶独特の香り・味・水色のすばらしさは日本中、そして世界にアピールできると確信した。
 だからこそ、『おちゃらか』開業当初から長く川根茶を販売してきたのはもちろん、本連載04でも紹介したように、東京や海外の日本茶ファンに川根での本物の茶産地体験を提供してきたし、テレビや雑誌の取材でも川根での活動をメインに取り上げてもらってきた。川根の地元の方々に向けて小さな講演会を開催したり、フレンチシェフを呼んで地元食材やお茶を使った料理を振る舞うイベントを開催したり、川根茶業協会の方々に東京に出向いてもらって販売の現場を見てもらったのもよい思い出だ。私はいつも、「生産者と消費者との相互理解を私なりに深めることができたら」、という思いからこんな活動をしてきた。  
 私の活動を理解してくれる生産者、茶業関連団体、そして地元の行政関係者の助けがなければ、今の私、今の『おちゃらか』のストーリーは描けなかったと思う。川根でとの関係が深まったことは私にとって大きな宝になった。
 その川根で私のことを一番よく理解してくれている大切な友人を紹介してみたい。そしてその人の口から私、ステファンのことを語ってもらいたいと思う。
 

 

 

大沢集落

「天空の里」と呼ばれる大沢集落の茶畑(トニー提供)
 

 

 

 

川根の「トニー」

 

 静岡に行くと必ず会う人、会いたい人がいる。川根の「トニー」だ。
 誕生日の10月2日にちなんでトニーと呼んでいるけど、彼は川根生まれの、生粋の日本人だ。しかも実家は茶農家を営んでいて、本人は地元の役場で働いている。
 彼との出会いは10年前。2008年のサラゴサ万博が終わったころだったと思う。日本館の公式飲料“サラゴ茶”に使用する茶葉を、川根茶の産地である島田市と川根本町に協賛してもらったことから、地元行政との関係がひときわ深まっていたそのころ、さまざまな共同事業について相談をするために私はしばしば川根本町の役場を訪れていた。そのころ、当時の町長に紹介された職員の一人がトニーだったと記憶している。
 多くの職員の中で、とくに彼と親しくなったのは簡単にいえば「気が合った」から。地方の役場に現れた「外人」の私に積極的に話しかけてきたのは彼くらいだったと思う。もちろんみんな親切だったけど、トニーは特別だった。とても軽やかになんの壁も感じさせずに私の話につきあってくれたのが不思議なくらいだった。
 それから10年、彼は私と川根本町をつなぐ窓口になってくれている。直接一緒にした仕事は、川根本町の茶農家に向けた「千年の学校」という講座、東京での川根本町の産業(お茶だけでなく茶箱や木工作品も)の紹介などたくさんある。テレビなどの取材で川根本町を取り上げるときや、外国人向けの茶産地ツアーを企画する際には関係先との調整をお願いしている。
 トニーは私にとって先生でもある。日本に長く暮らしているとはいっても、行政の仕組みや事業申請の方法などわからないことは多い。そんなとき、彼に相談すれば、役所の考え方やスケジュールの組み立て方、申請の仕方といったことをわかりやすく教えてもらえる。
 そして、人口減少や茶農家の後継者不足といった諸問題とその対策として行政がどのような方針を持っているのか、茶産地の現状を知らせてくれる貴重な情報源でもある。
 

 

 

 

吉祥寺おちゃらかでのイベントにて、川根の木工品を紹介するトニー(2013 ) のコピー

吉祥寺『おちゃらか』でのイベントにて、川根の工芸品を紹介するトニー(2013年)
 

 

 

 

日本茶を愛する仲間


 

  トニーは、川根本町と私、そして私を通して東京や海外とを結ぶ窓口であり、私にとっての行政の先生でもある。なぜこれほどまでに彼を信頼しているのか改めて考えると、彼が本当に地元・川根本町を愛し、川根茶に誇りを持っているからだと思う。
 彼への第一印象は、「こんな行政マンがいるんだ」というものだった。なにしろ明るくて自由なムードが「役所の人は自分の仕事しかしない固苦しい人たちばかり」という私の決めつけとはかけ離れていた。
 その後、一緒に仕事をし、ときには酒を酌み交わす中で感じたのは、「彼はいつでも自分の所属する部署の仕事を超えて、幅広く川根本町全体のことを考えている」ということ。10年の間に所属部署も仕事の内容も変わったけれど、いつでも変わりなく私の相談に応えてくれる。率直に「これからの日本茶、川根茶、そこに『おちゃらか』が果たす役割」についても意見してくれる。

 「どうしてそこまで日本茶、川根茶だけじゃなく、『おちゃらか』のことまで考えてくれるの?」と先日トニーに聞いてみた。
 彼は「趣味だから」と一言。さらに聞くと、こんなふうに答えてくれた。
 「代々続く茶農家の長男に生まれて、役場の仕事でも川根茶に関わってきた。仕事抜きでも日本茶が本当に好きだから、各地の日本茶を飲み歩いてもきた。贔屓目抜きにしても川根の煎茶はダントツだ。しかも「高級煎茶」じゃなくて「並」のランクでもおいしいのが川根茶の特別なところだよ。ステファンもそう思うでしょ? 俺は川根茶に誇りを持っているんだよ。役場の仕事が忙しくなって、茶畑は弟に任せていることが少し後ろめたくもあるから、生産とは別の形で川根茶の振興を考えているんだ。だから川根のお茶を広めてくれるステファンの存在は大切なんだよ」
 

 

 

トニーの実家の茶畑の茶の芽

 

トニー実家のお茶

トニー実家の茶の芽/トニー実家のお茶 (2枚ともトニー提供)
 

 

  トニーのように心から地元と地元のお茶を愛し、その将来を本気で考える友人がいる私は幸せだと改めて思った。これからも、相談しあい学びあえる仲間としてよろしく、トニー。
 
 

 

 

 

 

*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。次回の更新は12月17日となります。お楽しみに! 

 

 

写真/ステファン・ダントン    編集協力/田村広子、スタジオポルト

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ステファン・ダントン

1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/

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