越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#38

タイ・ハートレック~カンボジア・ココン

文と写真・室橋裕和

 

 タイとカンボジアの間の最南端国境を、海を見ながら越えていく。そこには外国人をカモにするボッタクリがいて、カジノがあり、日系企業の工場も建っており、さまざまなものが入り乱れる面白さがあった。


 

回廊のようなタイ領を南下して国境へ

 僕はグーグルマップと車窓とを見比べながら、ときめいていた。ミニバンに乗っていま走っている道から、左手に連なる低い山を越えた向こうは、もうカンボジアなのだ。そして右手には、タイ湾が広がっている。
 タイ国道318号線は、カンボジアとタイ湾とに挟まれた、回廊のような道だった。カンボジアの西部に、薄皮のようにタイ領が張りついているのである。
 どうしてこうした領土配分になったのかはわからないが、グーグルマップを見てみれば、もっとも狭いところは東西500メートルもない。そんな極細のタテ長タイ領を南に下っていく。
 いびつな形の領土でも、村があり学校がありコンビニがあり、市場がある。このへんの人たち、ふらっとカンボジアに行ったりしてるんだろうか……などと考える。国境線に沿って暮らすというのは、どんな気分なのだろうか。
 この狭い回廊のどんつきが、ハートレック国境だ。ミニバンを降りると、潮の香りが漂う。海が見える。
 ささやかな国境市場にも、海産物が目立つ。エビや魚がバケツに入れられて売られ、のしたイカが山になっている。酒のつまみには良さそうだ。

 

 

01

ハートレック国境タイ側イミグレーション。タイとカンボジアの間に国境はたくさんあるが、その最南端だ

 

02

タイ側に広がる国境市場の特産は、なんといっても干しイカ

 

 

国境に巣くう外国人狙いの悪人たち

 タイ側のイミグレーションで出国手続きをして、緩衝地帯を歩いていけば、タイ湾をバックに翩翻と翻るタイとカンボジアの国旗。しぶい。
 つい夢中になってバシャバシャ写真を撮りまくっていると、英語で声がかかった。まずい、軍か警察か……国境は基本的に撮影にはナーバスだ。スマホを構えているだけで怒られることもある。それでも東南アジアはルーズなもので、イミグレーションの内部だとかを撮らなければ問題視されないのだが、なにか言われるだろうか……警戒したのだが、その男はいきなり親指を立てて、
「俺がビザを取ってやるぜ」
 と自信満々のドヤ顔である。
「カンボジアのビザ、まだだろう。書類を書くのは面倒だよなあ。だから俺が代行してやろう。安くしとくぜ」
 なあんだ。警戒することはなかった。カンボジア国境でよく見るカスリ商売じゃないか。相手にする必要はない。ビザの書類なんぞ3分で書き上げてやろう。僕がいったい何度、この国に来てると思ってんだ。
 見くびるなよ……男を一瞥して僕はカンボジアのイミグレーションに歩き出した。「200バーツでいい」「さ、パスポートを」とかなんとか言いながら男はついてくるが、こういう場合いっさいの無視がいちばんだ。
 入国オフィスの係官にパスポートを提示し、ビザの申請用紙を所望する。だが、応じないのだ。
「そいつを通すといい」
 いつのまにか僕の横にちゃっかり並んでいる男をアゴで示す。勝ち誇った顔の男。そんな馬鹿な、癒着じゃないか。こんなことが許されていいのか。
「いや、自分で書くから用紙をくれ」
「用紙はそいつが持ってるから」
 男はビザ申請用紙を手に、にっこりと笑うのだった。
 国境の不正を世に問いたいところではあるが、ここは汚職の国、修羅の国カンボジアである。だったらお前が公務員の安い給料をどうにかしてくれんのか、と逆ギレされることは目に見えている。仕方ない……いったんシカトした相手にやっぱり頼むよと言うのは屈辱だが、せめてもの腹いせに200バーツの言い値は100バーツに値切った。
「待ってろ、すぐ終わる」
 そりゃあすぐだろう。見ていると申請用紙の記入欄はほとんど埋まっていない。パスポート番号や国籍や名前を書き入れた程度で係官に提出し、受け取ったほうもろくすっぽチェックもせずに、パスポートにビザのシールを貼って入国スタンプを押す。速攻である。ラクでいいが、この国の出入国管理はいったいどうなっているのか。

 

03

しなだれているが、いちおう両国旗。緩衝地帯のちょうど中間、正式な国境線の場所を示している

 

04

カンボジア側のイミグレーションでは外国人と見るや近寄ってくる男たちがたむろする

 

 

国境の経済はいったいどうなっているのか悩む

「さあ、ココンの街だろう。行こうぜ」
 男は今度は、バイクタクシーに変身するのであった。カンボジア側のゲートウェイであるココンまで100バーツなり。
 だが続けざまに言いなりになるのは悔しい。ほかにもバイクタクシーはいるんだ、こいつじゃなくて別の人を……と思ったのだが、誰も寄ってこない。話しかけても「そいつのバイクで行け」とそっけない。国境の掟か、カモをロックオンした相手の商売は邪魔しないという不文律があるようだった。男はバイクの後部座席をばんばん叩いて「レッツ・ゴー!」とか言うのであった。
 カンボジア国境の例に漏れずここにもカジノがあった。辺鄙な国境とは思えない宮殿のようなカジノを右手に見ながら、バイクは走ってゆく。やがて左手にはココン経済特区が見えてきた。
「韓国の企業が多かったんだけど、最近になって日本の工場もできたんだ。照明器具をつくってる。給料はいいし、地元の人間をたくさん雇ってくれて、みんな日本には感謝してるんだ」
 バイクを飛ばしながら、ボッタクリのくせに嬉しいことを言う。生産した商品は、国境を越えてタイから世界各地に輸出されていくのだろうか。あるいは、ここでは基礎的な部品の生産だけで、組み立てをタイ工場で行なうのかもしれない。国境を越えた分業システムは、インドシナ半島にいま広がりつつある。カンボジアもタイやラオスも、国境沿いに経済特区や工業団地の開発を進め、税制の優遇措置をとって外資を引っ張り込もうとしている。
 経済特区を過ぎたバイクは、巨大な橋にさしかかった。タイ湾に注ぎ込むカオパオ河にかかった全長1900メートルのこの橋によって、物流は大きく変わった。タイとカンボジアの間でモノや人がスムーズに流れるようになったのだ。
 橋を疾走していく。ココンの街が見えてくる。なかなかいい気分じゃないか。
「ところでダンナ、こっちはどうするんだい」
 言いながら、男は振り向いてくる。親指を人差し指と中指の間から突き出す、卑猥な握り拳を示す。ほう、カンボジアでもこのポーズなのか……。さらに男は、
「ハッパもあるぜ。このへんは産地で上モノなんだ」
 と違法植物をも勧めてくるのであった。彼はビザ申請用紙から春や禁制品まで、なんでも売っている国境のよろず屋なのであった。
 ココンはこうした裏オプションを目的に訪れる者も多く、こちらの経済もさかんな土地だ。裏と表のマネーのせめぎあいが、一見の外国人にも見て取れる国境なのである。
「いいからホテルに行け」
 僕は男に命じ、ココン橋をぶっ飛ばした。

 

05

国境カジノはカンボジア名物。週末になるとタイ側からチャレンジャーが殺到する

 

06

ココン橋を越えていく。架橋したのは、日本なのである

 


 

*好評発売中!

『最新改訂版 バックパッカーズ読本』

発行:双葉社 定価:本体1600円+税

 

cover

 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

BorderAsia00_writer01

室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

紀行エッセイガイド好評発売中!!

ISBN978-4-575-31280-5

最新改訂版 バックパッカーズ読本

     

越えて国境、迷ってアジア
バックナンバー

その他のTRAVEL

ページトップへ戻る

ページトップへ戻る