ブルー・ジャーニー

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#38

スカンジナヴィア 神の休日〈1〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

予想することも、想像することも

 壁一面にはめこまれたガラスの向こうに広がる町並みが、ナイフで切り分けたように光と影に二分されている。

 神、生まれし地、ターナビーを訪れてから5年4ヵ月。

 スウェーデンの短い夏のただ中、ぼくはストックホルム市内のホテルのロビーで、インゲマル・ステンマルクを待っていた。

 

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 約束の午前10時より少し早く、ステンマルクはドアの向こうから姿を現し、笑顔で言った。

「ようこそストックホルムへ」

「こんにちは」

「痩せた?」

「すこし。努力して」

 そういうインゲマルはあきらかに以前よりも体重が落ちている。

「痩せたでしょう?」

「うん。選手だったときは75キロ(身長181センチ)、いまは71キロ。夏は2日に1回、20キロほど自転車に乗っているから、どうしても体重が落ちてしまうんだ」

 ステンマルクのあとについてホテルを出る。

「車を停めたところまで、ちょっと離れているんだ」

 道行く人が立ち止まり、目を丸くしてこちらを見ている。サングラスをかけていても、インゲマルだとわかるのだろう。

「ストックホルムははじめて?」

「ええ」

「最近、市内に家を建てたんだけど、ここの夏はものすごく快適だ。今日はちょっと涼しくて25度ぐらい。食事のあと、町を案内するよ」

「ぜひ」

「いま、庭造りの真っ最中なんだ」

「たしか犬を飼い始めたと」

「うん。ラブラドールを。体重が30キロぐらいある。東京にラブラドールはいる?」

「いる」

「ストレスを溜めていないかな?」

 日本に何度も来ているインゲマルがもっとも苦手にしているのが東京の雑踏。人や車に反応してしまい、疲れ切ってしまうのだという。

 10分ほど歩き、車に乗りこむ。

 一瞬、オートマチック車かと思うような静かでなめらかなシフトチェンジ。“急”がつくアクションがまるでない。滑りとまったくおなじだ。

 

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 1956年、インゲマル・ステンマルクは北極圏まであと100キロのところにあるユーエシェーの病院で生まれ、そこから32キロ離れた人口700人の寒村、ターナビーで育った。

 スキーを始めたのは5歳のときだった。ホームゲレンデは家から200メートルほど離れた1枚バーン。現在“インゲマル・バッケン(インゲマル・コース)”と名づけられ、保存されているこのコースの標高差は約160メートル。もっとも急なところでも斜度20度あるかないか。子どもでも、ちょっとがんばれば、スキーをハの字に開いて、まっすぐ降りられてしまうほどゆるやかだ。

 裏庭のようなスキー場で16歳まで父親とふたりでトレーニングを積んだインゲマルは、17歳でアルペンスキー・ワールドカップにデビュー、18歳の12月、デビュー10戦目のスラローム(マドンナ・ディ・カンピリオ/イタリア)で初勝利を挙げ、このシーズン、スラロームとジャイアント・スラロームの2種目で種目別優勝をはたした。

 それ以後、残された記録の主だったものはつぎのとおり。

 冬季オリンピック金メダル2個、銀メダル1個、世界選手権大会金メダル3個、銀メダル1個、ワールドシリーズにおける数えきれないほどの優勝、ワールドカップ通算86勝、3位以内151回。

 勝利数よりすさまじいのが2位とのタイム差だった。アルペン伝統国――オーストリア、フランス、イタリア、スイス――の政治力によって総合優勝から遠ざけられた78/79シーズン、100分の1秒差で勝敗が決まる世界で、インゲマルはつぎのような2位とのタイム差を記録。

 ジャイアント・スラローム 4・09秒。

 スラローム 3・16秒。

 

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 1989年3月、志賀高原スキー場。インゲマルにとってワールドカップ通算129回目の出場となったジャイアント・スラローム、その2本目で16年前にデビューしたとき、まだ小学校に通っていたレーサーたちを従えてベストラップを記録。

『これ以上、すばらしい瞬間があるとは思えない。もう十分だ。十分にレースを楽しんだ』

 アルペンレース史上ただひとり、神と呼ばれたレーサーは、2本のスキーを重ね合わせ、こわれものを扱うようにそっと壁に立てかけた。

 

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 大型船がそばを通り、船上レストランがゆらりと揺れる。

「ここからバルト海に出ると約24000の島が浮かんでいるんだ」とインゲマル。

 降り注ぐ透明な夏の太陽。きらきら光る水面を渡る風。大小合わせて14の島で構成されている水の都の、溶けてしまいそうに心地よい昼下がり

「今回、インゲマルを訪ねてオーストリアからモナコまでドライブしようと考えていたんだ」

「モナコの家はもう売ってしまったんだ。スウェーデンのジャーナリストにはないしょだよ」。すこし間をあけてインゲマルはつづけた。「モナコはとても好きな場所だったけれど、やっぱり自分の国がいちばんいい」

「食べ物はどう? どこの料理が好き?」

 めずらしく即答。

「日本食とイタリア料理。こっちにも日本食のレストランはたくさんあるけれど、でも、ほとんどの店がおいしくないんだ」ひと呼吸置いて「日本の魚はおいしいし、盛りつけが美しい。そういう意味ではドイツやアメリカは最悪だ」

 

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 1980年2月、冬季オリンピック・レイクプラシッド大会(アメリカ)でふたつの金メダルを手にしたインゲマルは、シーズンオフに入ると、モナコに移住し、Bライセンスを取得した。

 故郷のターナビーからヨーロッパアルプスのスキー場まで車や飛行機を乗り継いで10時間前後、デビューから7年間つづけた渡り鳥のような生活に、インゲマルは疲れていた。

 モナコからなら、飛行機に乗らず、数時間のドライブでヨーロッパアルプスのたいていのスキー場に行ける。有名人が大勢住んでいるから、注目されることもない。加えて税金も安い。それが移住の理由だった。

 Bライセンスとは、条件付きでプロフェッショナルの存在を認める制度だった。

 1980年代、インゲマルが選手としてもっとも充実していた時期、選手はアマチュアではないことは黙認されていたが、プロであることは認められていなかった。たとえば契約しているスキー板のコマーシャルに出演した場合、出演料は選手ではなくスキー連盟に支払われ、プールされることになっていた。

 Bライセンスは、選手が企業と直接契約を結ぶことを認める制度だったが、取得した選手にはさまざまな負担が科せられた。

 スキー連盟に約2万ドル(当時のレートで約460万円)払い、ライセンス取得によって得られる収入の5パーセントをスキー連盟に収め、自費でトレーニングキャンプに参加しなければならなかった。

 最大の負担は、オリンピックの出場資格を放棄しなければならないことだった。そのためにインゲマルは、16年間の現役生活で、3回しか冬季オリンピックに出場することができなかった。

 

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 インゲマルに尋ねる。

「スキーはしている?」

「うん、大好きだから。友だちと行くのもひとりで行くのも、どっちも楽しい。この先もずっとやると思う。そういえば、先シーズン、スウェーデンの放送局が、日本にたくさん雪が降っていると言っていた」

「すごかった。野沢温泉なんか2メートルを超えたよ」

 テーブルの下で、ステンマルクの両足がすっかりくつろいでいる。

「スウェーデンのナショナルチームからコーチの要請は?」

 これまで折に触れて投げかけてきた質問だった。

「引退した直後からそういう話はあった。コーチや、選手を育てるしごとに関わらないかと。でも、断った」

「もし今後、要請が来たら?」

 この質問に対するインゲマルの回答は、いつも次のようなものだった。『ずいぶん長く選手生活をつづけたから、ちがう世界を見たいんだ』

 この日はちがった。

「ぼくはぜったいにいいコーチにはなれない。なぜなら、やろうと思ったことは、考えなくてもすべてできてしまったから」

 予想することも、想像することもできない答だった。

「なにも考えなくても?」

「そう、ぼくはなにも考えずにスキーがうまくなってしまったんだ」。ノンアルコールビールをひと口含み、インゲマルはつづけた。「考えながらスキーを分析してうまくなった人じゃないと、いいコーチにはなれないと思う。だからぼくは選手たちにスキーを教えられない。教えたくないんじゃなくて、教えられないんだ」

 

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(スカンジナヴィア編、続く)

 

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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