ステファン・ダントンの茶国漫遊記

ステファン・ダントンの茶国漫遊記

#38

私を支える仲間たち2〜四万十の「あにき」にステファンのことを聞いてみた

ステファン・ダントン

 

 

 

 

 
 
 四万十を中心とした幡多地域の特産品に地域の文化や歴史、生産者の顔や想いをのせて適切に伝えることで、地域全体を活性化に導いている細木さんを私は『あにき』とあおいでいる。私のいっていることをおそらく全部理解してくれていると思うし、彼のいうことはどんなに耳に痛いことでも受け容れられる。だから、今回あらためて『あにき』に「私、ステファンのこと、仕事のしかた、どう思う? あにき、アドバイスをくれない?」と第三者に聞いてもらった。
 

 

 

あにきが上京したときは必ず一杯。2018年10月、この時思い切ってステファンについてインタビューしてみた

あにきが上京したときは必ず一杯。2018年10月、酒の席にて。
 

 

 

 

ステファンの第一印象

 

 

 ステファンとはじめて会ったのは2011年。2009年、幡多地域の大月町というまちの商品開発と販売を委託されて、まちの歴史・文化環境や食材を調査して5、6種類の商品を共同開発したんだ。デパート販売、展示会出展をするようになって3年目、宣伝のために「雑誌でPRしよう」となって、かねてから懇意にしていた雑誌『自遊人』の社長に相談した。予算はとても少なかった。「広告を掲載することはできるよ。でもその予算だと1ページしか割けないな。それじゃあつまらないから、イベントをしよう。幡多地域の食材を使ってフレンチのシェフに料理に仕立ててもらおう。各界からゲストを30名くらい呼んでパーティーをしてその様子を記事にしよう」と提案してくれたんだ。
 そのパーティーの現場にゲストとして現れたのがステファンだった。会場に遅れて入ってきたにもかかわらず、恐縮した様子をみじんも見せず、むしろ場の空気をかき混ぜる勢いで嵐のように登場した。大きな声でみんなに話しかけながら、取り出したペットボトルから「飲んでみて」と自分の店の水出し茶をグラスに注いでいる。「うわ。なんだこいつ! 変な奴だな」というのがステファンの第一印象だ。
 その席上、大月町のきしまめ茶について説明していたら、その変な奴が食いついてきた。ものすごい勢いで「どんな場所に生えているの? 周辺の環境は?  他の農作物は? どんな場面でどんな人が飲んでいるの?」矢継ぎ早に質問をぶつけてくる。その答えを聞き終わる前に「〜をブレンドしたらいいかもしれない」と自分のアイディアをかぶせてくる。最初は面食らったけどその熱量に「素朴なきしまめ茶をどのように展開したら都会でも飲まれる商品にできるか」その答えをステファンが持っていることを確信したから「おまえと組もう」と思ったんだ。
 

 

 

 

2012年おちゃらかで再会した2人

2012年『おちゃらか』で再会したステファンとあにき。

 

 

 

 

変な奴が双子の兄弟

 

 

 
 それから話は盛り上がったんだけど、実際に事業がスタートしたのはそれから1年後。予算や他の環境が準備できて、吉祥寺の『おちゃらか』に行ったんだった。1年間電話で話したりはしていたけど、1年ぶりの再会をしたときには、もうすっかり打ち解けていた。たまたま同じピンク色のシャツを着ていて「おそろいじゃん」と笑いあったのを覚えている。
 それから、「四万十河原茶」開発のためにステファンは何度も四万十へ来て、そのたびに一緒に農家を訪ねたり酒を飲んだり遊んだりするうちに、いつしかステファンは僕を『あにき』と呼ぶようになったんだ。最初のうちは「俺のほうが年下なのになんで『あにき』なんだよ?」といっていたが、ステファンは一向に呼び方を変えないから、そのうちどっちでもよくなってきた。今では、本当に兄弟のように気のおけない存在になっている。
 実際、ステファンと自分がよく似ているな、と感じることがままある。仕事に対する態度、考え方、進め方。トラブルが起きたときの対処の仕方。とてもよく似ているから、意見の衝突はほとんどない。「だよね?」「だろ?」と同意を確認しながら同じペースで作業が進められる。自分のペースでどんどん話し、どんどん進んでいくから、ときによっては「ついていけない」と思われるかもしれないこの感じもよく似ている。
 最近こんな風にステファンといい合った。
「双子はあとに生まれたほうが兄だったよな。なんか俺たち前世双子だったんじゃないかってくらい気が合うな。それがたまたま今回フランスと四万十に生まれて、奇跡的に再会したんじゃない?」
50を過ぎたおじさんどうしがまるで乙女みたいなことを、と笑われるかもしれないが。
 

 

 

 

ステファンの仕事について

 

 

 日本茶の普及のためにフレーバー茶を利用するというのは、とても効果的だと思う。四万十河原茶もステファンが手がけている地元の茶葉と特産品をブレンドしたフレーバー茶は魅力的な物語をつくっていると思う。
 日本は全国どこでもお茶をつくっているけれど、少なくない人が「今はお茶が売れない」といいながら、なかなか昔ながらのやり方を変えられないでいる。そこへ、ステファンのやり方を持ち込むことで生産者や行政やまちの人を巻き込んでいけば、変革の可能性が出てくると思う。
 実際、この8月にステファンが四万十へ来たとき、とある小さな茶農家に連れていった。70代の父親と30代の息子が細々と営む茶畑の脇に自生している青じそを発見したステファンは「お茶にこの青じそをブレンドしたらいいものができるよ!」と、すぐに茶農家親子と一緒に町長に会いにいって「これで地域創生しましょう!」と段取りをつけてしまった。今、彼らは試作に取り組んでいるところだ。
 ステファンは、どんな場所でもどんな状況でもあっという間に頭にアイディアが浮かんで、それをみんなと共有したくてどんどんしゃべる。彼の熱量は人を動かして、それが現実になっていく。ときには具体化しないアイディアもあるかもしれないが、ステファンのアクションは、動かない水面に投じられた石のように波紋を起こして広がっていく。
 それがステファンの仕事の価値だと思う。

 

 

 

2018年9月、四万十を訪れたステファンと。

2012年『おちゃらか』で再会したステファンとあにき。

 

 

 

ステファンにアドバイス

 

 ステファンの仕事、やりたいことをうまく進めるために、もう少し丁寧に話すことを心がければ、より相手の理解を得られると思う。
 頭に浮かぶアイディアを言葉にするスピードが速いから、相手が理解する前に言葉をかぶせていく。僕もその傾向があるからよくわかる。日本人は相手が話し始めたら終わりまで待つのが作法だから、ステファンが話し終わるのをじっと待っているんだ。そのうちに自分の意見を挟むのが面倒になって会話を投げ出してしまう人もいるだろう。
 話すことよりも相手の話を聞くことを大事にしてみたら、もっとステファンの仕事はうまくいくんじゃないかな。

 
 

 

 

 

 

 

 

*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。次回の更新は12月3日となります。お楽しみに! 

 

 

写真/ステファン・ダントン    編集協力/田村広子、スタジオポルト

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ステファン・ダントン

1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/

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