ブルー・ジャーニー

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#35

スカンジナヴィア 神、生まれし地へ〈3〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

行きたくて、行き着きたくなくて

 解けた氷河が絶えず流れこんでいるフィヨルドは、だから潮の香りが淡い。

 石川啄木と雑誌“樹木と果実”を創刊した土岐善麿(ぜんまろ)がこの地を訪れたのは1927年(昭和2年)の秋だった。

 

――自然というものの大きさ、深さ、悠遠さ。フィヨルドからフィヨルドへ、だんだんと奥深く、ノルウエにはいってゆくと、自然の力は底が知れなくなる。

 人間に逢えば何事かまず口を開いて、物をいわなければならない慣習だが、こういう旅をつづけていると、不必要なことはしゃべらなくなる。いや、必用なことさえ言いたくなくなる。

 

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 魚市場のにぎわいの向こうに、1979年にユネスコの世界遺産に登録されたブリッゲン地区の――ふたつの傾斜面が本を伏せたような山形を成す――切妻屋根が身を寄せ合っている。

 七つの丘に囲まれて、干しダラの上に築き上げられた町、ベルゲン。

 物語りはここから北へ約1000キロ、北極圏に浮かぶ島々、ロフォーテン諸島から始まった。

 

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 白子を畑の肥料にするほどタラが取れるロフォーテン諸島で、干しタラが作られるようになったのは1000年以上前。考案者はヴァイキング。終わりの見えない航海に備えるためだった。

 この究極の保存食の需要はヨーロッパ中に拡大。ノルウェー国王は、関税や物品税を徹底するために取引の場所をベルゲンに限定した。

 12世紀から13世紀にかけてベルゲンは、ノルウェーの首都として、北ヨーロッパ最大の都市に発展。

「ここには、世界中から無数の船と人びとが集まって来る。欲しいものはなんでも手に入れることができる」

 この地を訪れる船乗りたちをうらやましがらせた繁栄は、1349年、暗転する。イギリスからやってきた帆船の積み荷に紛れていたペスト菌が元凶だった。

 

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 黒死病はまたたくまにノルウェー中に広がり、一時は国民の半数以上が死亡。働き手を失った農場は荒れ果て、パンの原料であるライ麦が決定的に不足。

 そこに目をつけたのが、北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した北ドイツの商業集団、ハンザ同盟の商人たちだった。

 ベルゲンに上陸した商人たちは、穀物の供給と引き換えに、ロフォーテン諸島との干しタラの交渉権を独占。漁師がほかの商人に流れていかないようにするため、物々交換の際、貸しを作ることを忘れなかった。

 港の一画のドイツ人居住区に切妻屋根が現れたのは1360年頃。ハンザ証人の取引所兼住居で、徒弟制度が徹底され、住人は独身男性に限定されていた。当時、ティスク・ブリッゲン(ドイツ埠頭)と呼ばれたこの一画は、14世紀に入ると治外法権を獲得。15世紀にはベルゲンの人口の約3分の1にあたる6000人のハンザ商人でにぎわった。

 

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 16世紀に入り、大航海時代が到来。スペインやボルトガルが新たな海の覇者となり、帰国と帰化の二者択一を迫られたハンザ商人たちは、ブリッゲンから姿を消した。

 取り残された切妻屋根の家々は、度重なる大火事で58棟に減ったが、いまなお実用されている。

 ハンザ商人に代わって行き来するアーティスト。軒を連ねるパブの、時の澱にグラスの音が響く。

 

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 標高320メートルのフロイエン山へ。

 海に背を向けて10分も歩くと、道路は上り坂に変わる。歴史に磨き上げられた石畳のところどころの真ん中に長方形の石が3列に敷かれているのは、馬が歩きやすいようにするためだ。

 歩くほどに道路の傾斜は増し、道幅が狭くなっていく。箱根のイロハ坂を路地サイズに縮小したようにうねる。

 

――ベルゲンはほとんど九百年近くも前の古都で、その特殊な風向は海から近づくとき、もっとも発揮されているというか、市街のうしろにあるフルーエンに登ると、ちょうど大きなドックを浮かべたような形をして突きだした半島に、きちんと計画された新しい都会の全容が美しい。

 

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――名所の一つは魚市場で、二カ所にある。日本橋や築地などはまるで嘘のようだ。その一角に立って見わたすと、ベルゲン全体が魚市場のようにさえ思える。しかも江戸ッ児のように、ガヤガヤわめきたてるものは一人もなく、いかにも北欧らしい取引なのも愉快だ。

 

 計り売りの塩茹での海老(500グラム/65クローネ)と円いパンにサーモンをはさんだサンドイッチ(30クローネ)、ビール(104クローネ)を買い求める。(1ノルウェークローネは約15円)

 マーケットで醤油(27・9クローネ)を見つけ、レジでお金を払って店を出ようとしたところ、呼び止められる。

「エクス・キューズ・ミー」

「イエス」

「じつは少々おうかがいしたいことがあるのですが」

 スカンジナヴィアは英語の普及率が高く、アメリカやイギリスの英語より耳にやさしい。

「なんでしょうか?」

「じつはわたし、かねがね疑問に思っていたのですが、キッコーマンとヤマサの間には、どのようなちがいがあるのでしょうか?」

「味はほとんど同じだと思いますが、日本ではキッコーマンのほうが有名です」

 深くうなずく店員。

「ありがとうございます。ヨーロッパも同じです」

   

 1年の3分の2は雨。傘をささない人を見ると馬がおびえると言われるベルゲンに薄日が降り注いでいる。

 紙袋とグラスを抱えて、白い円テーブルが並べられた港の一画のテラスへ。  

 北緯60度の3月だが、メキシコ湾流の影響で、ジャケットを脱ぎたくなるほど温かい。

 塩茹での海老はほのかに甘く、サーモンはとろけるようで、ビールはやっぱりビール。もうしわけないほど幸せな昼下がり。

 

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 国内外の多くのトップスキーヤーと仕事をしたが、彼らに共通していたのは「今日の撮影はこれで終わりです」と言うと、リードから解き放たれ猟犬のように、ものすごいスピードで一目散に滑り降りていき、凹凸を利用してジャンプしたり、時々は宙返りをしたりしながら、あっという間に見えなくなることだった。

 ぼくたちは後を追うことなど到底出来ず、いつもポツンと取り残されるのだが、ステンマルクはちがった。時々斜面に立ち止まり、滑り、また立ち止まり、ぼくたちとおなじペースで山を降りた。遠ざかる後ろ姿を見せられたことは一度もなかった。

 取材を始めてから3年目、サンモリッツ(スイス)でのある日、尋ねた。

——どうして、先に滑り降りないのですか?

「いや、なにも。滑るときは、いつもなにも考えていないんだ」

 そう言うと、ステンマルクは口を閉じた。

 

 ——ノルウエに住んでいる人達は、大部分、その心境が「自然」の中に没入しているのではあるまいか。むしろ本統に自然そのもののような気がする。イプセンの作中に出てくる人物は、あれがドラマだから、何とかセリフをとりかわさなくてはならないのだろうが、実際は、ああまで口をきかないのではなかろうか。

 

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 さっきの言葉が答えのすべてだったのかと思い始めたころ、ステンマルクはふたたび口を開いた。少し高く、スカンジナヴィアの空気のように透明な声が耳に心地よい。

「そう言われてみると、ぼくは撮影を仕事として考えていないのかもしれない。きっとほかのみんなは、仕事で山に来ているんだという意識を持っているのだと思う。だから撮影が終わると、さあ仕事は終わりだ、帰ろう、そう考えるのだろう。ぼくはそうじゃない。うまく言えないけれど、山にいるときの気分は、子どものころもいまも全然変わりない。たから撮影が終わったからといって、スキーに対する気持が変わるわけじゃない。むしろ逆に、これが今日の最後の1本だと惜しみながら、いっしょに滑った仲間たちと山を滑り降りる感じなんだ。昨日も今日もそうだった」

 

 夕方の飛行機でノルウェー第3の都市トロンハイムに飛び、1泊。トロンハイムから湾岸急行船に乗ってネスナへ。そしてネスナから3時間ほど車を走らせたところに、神生まれし地、ターナビーはある。

 行きたくて、行き着きたくなくて。

 

 

(スカンジナヴィア編、続く)

 

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

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