韓国の旅と酒場とグルメ横丁

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#33

名優キム・ヨンエさんを偲んで、釜山を歩く

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キム・ヨンエさん、享年66歳、影島出身

 

 スクリーンやテレビで長らく活躍してきた韓国のベテラン女優、キム・ヨンエさんの訃報に接し、私は釜山を思い出していた。キムさんは釜山の影島出身だ。

 

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チャガルチ市場側から影島(ヨンド)を望む

 

 夕方、私の地元から近い水西(スソ)駅から新しい高速鉄道SRTに乗り、釜山駅に着いたのが夜7時少し前。釜山には何度も来ているが、近年、この街を舞台とした映画『弁護人』や『国際市場で逢いましょう』『悪いやつら』などがヒットしたこともあり、その関係の仕事で今までより頻繁に来るようになった。

『弁護人』でキム・ヨンエさんは、自身の背景そのままに、影島のクッパ屋の人情女将を演じていた。ノ・ムヒョンをモデルとした弁護士役のソン・ガンホに、反体制運動に関わった嫌疑をかけられた息子の弁護を懇願する熱演が思い出される。

 

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キム・ヨンエさんの故郷、影島のヒンヨウル文化村。壁には映画『弁護人』のセリフが

 

 

近代史の物語がはりついた街

 長らく日本人を相手に、ソウルの路地裏の魅力や庶民の息吹を伝え続けているが、私はソウル育ちなので、ソウルはあくまでも日常である。ハレとケで言えば、完全にケ。ソウルにいる私はナグネ(旅人)ではないので、表現者としてのモチベーションを維持するのはけっこう大変だ。だから、ソウルを外国として観ることのできる日本の表現者たちがうらやましくもあった。ソウル以外の韓国の地方紹介に力を入れてきたのも、自分も日常から脱出したかったからかもしれない。

 旅人として、物書きとして自分がもっとも熱が入ったのは、全羅道と江原道だった気がする。このふたつの地域に魅かれたのはそこに悲哀があったからだ。

 全羅道は長らく政治的に不遇だった。南道の光州で悲しい事件があったのは1980年だから、そう昔のことではない。そして、光州は私の実父の生まれ故郷でもあった。

 一方、江原道には朝鮮戦争のときに避難してきた人たちが多く住んでいる。戦争が終わったら北側の故郷に戻りたいと38度線の近くに仮住まいしたが、願いかなわず、失郷民と呼ばれるようになった人たちだ。私の育ての母と産みの母(姉妹)はともにこの失郷民で、今は北朝鮮に属する黄海道から避難船に乗り木浦までやってきた。

 そして、この釜山はもっとも多くの戦争避難民が集まったところだ。ファン・ジョンミンが演じた『国際市場で逢いましょう』の主人公は私の母の分身でもある。

 

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釜山庶民の暮らしを再現した像。左手は影島大橋、その向こうは影島

 

 チャガルチ市場を左手に見ながら海岸沿いを歩く。半分屋台のような酒場で少し感傷的な気分でソジュを流し込む。頭の中ではハーブ・アルパートの「BITTERSWEET SAMBA」が鳴り続けている。

 韓国で女が一人で飲んでいると、周りの客からいぶかしがられることが少なくないが、この店は以前にも訪れたことがあるので大丈夫。女将がなんだかんだと話しかけてくれ、常連扱いしてくれる。彼女の言葉の語尾から察するに全羅道の出身らしい。農村から釜山に働く場所を求めてきた人かもしれない。

 釜山はよそ者の町だ。昔から釜山にいた人、朝鮮戦争で半島各地から避難してきた人、慶尚道や全羅道の農村からの離農者、1948年の政情不安で済州道を離れた人などの混成部隊。解放(日本の敗戦)前までは日本人が多く流入し、解放後は日本人の多くが釜山港から故郷に帰って行った。

 人なれしているというのだろうか。ソウルの人と比べると、女が一人で酒を飲もうが何をしようが、あまり気にしない。この店はそれを象徴する空間だ。

 釜山駅から乗ったタクシー運転手さんの言葉を思い出す。

「安東(貴族的自尊心)で生まれ、大邱(排他主義)に移ったあと釜山に来たけど、ここがいちばん暮らしやすいよ」

 釜山が都会だから住みよいと言っているわけではない。よそ者に対する釜山人の懐の深さ、おおらかさを言っているのだろう。

 女将ととりとめのない話をしながら、焼酎を2本も空けてしまった。今夜の寝場所も決めていないが、この辺りには船乗りがしばし羽を休める安宿がいくらでもあるから心配ない。

 

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夜、人気が少なくなったチャガルチ市場の帰り道

 

 

168階段を歩いてのぼる

 翌朝、目覚めるともう昼近かった。

 ここはソウルではない。旅人らしい行動をしよう。そう思って最寄りの地下鉄チャガルチ駅から釜山駅に移動し、かつては戦争避難民が住んでいた駅西側の傾斜地を散歩する。

 写真を撮りながら坂道を登っていく。何年か前ならこんな住宅街をうろうろしていたら、いぶかしがられたものだ。だが、ここ数年、釜山西部のタルドンネ(避難民たちが仮住まいを造った山の斜面)、甘川文化村が観光地として集客に成功したため、釜山のいたるところにあるタルドンネがそれに続けとばかりにレトロ観光地として再開発されるようになった。私以外にもアマチュアカメラマンと思しき女性の姿がちらほら。

 住宅街を縫うように続く坂道を、軽く汗ばむくらい歩くと、「168トシラクッ」という懐古趣味的な弁当を出すカフェが現れる。ここで少し休憩したかったが、がまんして店の角を左折。突き当りには168段の長い階段が待ち構えている。

 

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168階段ののぼり口。右手に小型モノレールの乗り場がある

 

 その名も168階段。これを登るのか……。昨日の酒が残っているアラフィフには過酷だ。だが、新設されたエスカレーター風の小型モノレールを使うのもしゃくにさわる。

「ここは避難民たちが、故郷や離れ離れになった家族を思いながら登り降りしたところ」などと本で書いているからには、一度は自分の足で登らなければならないだろう。

 ふうふう言いながら、一段、また一段と足を持ち上げる。半分ほど登って後ろを振り返ると、眼下に釜山駅、遠くに釜山港大橋と周辺の島々のパノラマが広がる。じつに釜山らしい眺めだ。来てよかった。昨日の酒が完全に抜けた気がする。

 

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168階段をのぼり切ったところにある山腹道路からの眺め

 

 

白くて甘いごほうび

 ようやく168段を登り切ると、ごほうびが待っている。怠け者の私がただで苦しい階段を登るわけがない。店の名は「625マッコリ」。レトロ観光地化の一環で2年ほど前にできたマッコリの店だ。625はもちろん朝鮮戦争が勃発した1950年6月25日に由来している。

 平日の昼下がり、客は誰もいない。店の向かい側でひなたぼっこしているアジュマ2人は、たぶんそうだろうと思ったが、やはり店の人だった。

「オイソ」(いらっしゃい)

 と、私のあとから入って来たアジュマから声がかかる。

 

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レトロとモダン折衷の「625マッコリ」。平日は15時~21時、祝日は14時~21時まで営業

 

 やかんに入ったマッコリを頼む。釜山の代表銘柄であるセンタク1本分だ。それを、とぷとぷとおわんに注ぎ、ぐっとやる。

 

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小さなやかんマッコリが2500ウォン、ブチュジョン(ニラのチヂミ)が3000ウォン

 

「懐かしさ、甘酸っぱさの入りまじった郷愁のようなものが、口の中に、鼻の奥に広がり、喉から食道にかけてとろりとした爽やかさが通りすぎ、そして腹の底から少しずつ醸されてくる酔い……」『わたしの釜山』川村湊(風媒社、1986年)

 マッコリがまだ荒々しい酒だった時代、釜山を舞台に、その旨さを伝えた日本人作家の名文だ。

 外国人である私には、このような繊細かつ力強い日本語表現は難しい。

 ただ飲む、餓鬼のように飲む。

 そして、アジュマにこう叫ぶのだ。

「お姉さん、やかんをもうひとつ!」

 

 マッコリで気分がほぐれた私は、キム・ヨンエさんが生まれた影島を再訪したくなった。 ちょうどこの辺りにはマンディバス(旧市街観光用マイクロバス)の15番停留所がある。そこから乗り込めば30分ほどで影島のヒンヨウル文化村に着くはずだ。

 

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釜山駅を起点に、影島、南港大橋、松島、甘川文化村、国際市場、山腹道路、民主公園、168階段などにある18の停留所を回り、再び釜山駅に戻ってくるマンディバス。1日10000ウォンで、どの停留所でも乗り降り自由。30分間隔で運行。

 

●「釜山 History Tour マンディバス」日本語サイト→http://www.mandibus.kr/wp2/?lang=ja

 

 

 

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紀行作家。1967年、韓国江原道の山奥生まれ、ソウル育ち。世宗大学院・観光経営学修士課程修了後、日本に留学。現在はソウルの下町在住。韓国テウォン大学・講師。著書に『うまい、安い、あったかい 韓国の人情食堂』『港町、ほろ酔い散歩 釜山の人情食堂』『馬を食べる日本人 犬を食べる韓国人』『韓国酒場紀行』『マッコルリの旅』『韓国の美味しい町』『韓国の「昭和」を歩く』『韓国・下町人情紀行』『本当はどうなの? 今の韓国』、編著に『北朝鮮の楽しい歩き方』など。NHKBSプレミアム『世界入りにくい居酒屋』釜山編コーディネート担当。株式会社キーワード所属 www.k-word.co.jp/

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