東南アジア全鉄道走破の旅

東南アジア全鉄道走破の旅

#33

ミャンマー国鉄の迷路〈10〉

文・下川裕治

マンダレーとモンユワ間の路線とは?

 マンダレーとモンユワ間の路線に乗ることにした。マンダレー駅で訊くと、早朝に発車した列車は、11時に着き、午後1時にモンユワを発ってマンダレーに戻るという。モンユワからマンダレーに戻る列車を選んだ。モンユワまではバス便がある。モンユワに1泊することになるが、ホテル代はマンダレーより安いはずだ。
 ミャンマーを歩いていて思うのだが、列車や食事代と比較すると、ホテル代が高い。30ドルから40ドルはする。1食が100円ほどですむ国にしたら、つり合いがとれない。そのなかでも、ヤンゴンやマンダレーは高い。先にモンユワに向かった理由だった。
 マンダレーのバスターミナルに行くと、モンユワまでの乗り合いバンが運行していた。3000チャット、約258円。列車よりは高いが、1時間おきに出ているという。まあ、これが普通なのかもしれない。モンユワはチンドウィン川に面した中都市である。
 すぐに出発するという乗り合いバンにわさわさと乗り込んだ。車は時速80キロを超えるスピードで進む。
「モンユワ?」
 発車して2時間半後には着いてしまったのだ。ミャンマーの列車に染まっていると、とんでもなく早く思える。列車は5時間半かかる。乗り合いバンならその半分で着いてしまう。この差はいったいなんなのか……。モンユワのバスターミナルで溜め息をついてしまった。
 モンユワでは1泊13ドルの宿がみつかった。
 まず確認しておくことがあった。以前、パコックからモンユワまで乗った。そのとき、駅員はマンダレー行きも1日1便あるといっていた。問題はその路線だった。パコックを発車したモンユワ行き列車が、モンユワからマンダレーに向かう路線に合流すれば問題なかった。しかしパコックからマンダレーに向かう列車が、別の路線を通るというなら、そこも乗らなくてはならない。そのあたりを駅員に確認することは難しかった。そこまでのやりとりは難しかった。
 宿でネットにつなぎ、グーグルマップを開く。この地図は道路に比べ、鉄道が見にくい。おそらく衛星から映した地図を基にしているのだろうが、上空から見ると、鉄道の存在感はこんなにも薄いのかと思う。駅から細い線を辿っていく。ときどき消えかかる。しかしこの路線にはひとつのポイントがあった。パコックからモンユワやマンダレーを結ぶ路線は、必ずチンドウィン川かエーヤワディー川を渡らなくてはならない。そこを見ればいい。
 ほッと胸をなでおろす。パコックからの線路は、チンドウィン川を越え、モンユワからマンダレーに向かう線路に合流していた。モンユワからマンダレーまで乗れば、この周辺の路線を乗り潰すことができる……。
 モンユワ駅で訊くと、マンダレー行きは午後1時発だった。運賃は700チャット、約60円である。

 

 

日本車両キハ40に再び出合う

 翌日の12時近くにモンユワ駅にいた。この時間帯、この駅は1日のうちでいちばんにぎやかになる。パコック、キンウー、マンダレーという3駅を早朝に出発した列車がモンユワに到着するのだ。そしてどの列車も折り返していく。その乗客が集まってくる。
 キンウーからの列車は、連載#27「ミャンマー国鉄の迷路〈4〉」で紹介している。電灯のつかない列車である。見ると、あのときとまったく同じ車両だった。相変わらず、あの車両が走っている。
 ホームから線路を2本越えた先に、日本の車両が停車していた。駅員に訊くと、マンダレーへは、その車両が向かうという。
 日本の車両は車高が高い。それがホームから離れた線路の上に停まっている。乗り込もうとしたが、乗降ステップのいちばん下の段が、僕の胸のあたりにきてしまう。まず荷物をすべて床にあげ、手すりを両手でつかんで、体をもちあげなくてはならない。子供や足の悪い老人、いや一般の女性も困るのではないか。しかし乗り込むと、女性や子供が涼しい顔で何人も乗り込んでいた。いったいどうやって乗り込んだのだろうか。
 車両の内部にはキハ40と書かれていた。岐阜と多治見間を走っていたことが、掲げられた料金表でわかる。以前、キンウーからマンダレーまで乗った日本車両も岐阜と多治見間を走っていたものだった。それがモンユワ路線にまわってきたのだろうか。いや、同じ路線を走っていた車両が何台もミャンマーに送られたのだろうか。
 マンダレーまでは5時間かかった。途中は水田もない乾燥した土地が広がっていた。羊の群れも見える。チンドウィン川とエーヤワディー川に挟まれた一帯である。雨が少ない地域なのだろう。街は川筋にしか発達しない。線路脇は灌木が多く、その枝が窓にがりがり触れる。窓にはその後が筋になって残り、すりガラスのようになっていた。

 

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キハ40のトイレ。タンク式を垂れ流し式に改造していた。水は瓶に貯めてあった

 

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途中でモンユワ行きと待ち合わせた。かなり待っていたらしい。この区間は1日2便

 

 

※地図はクリックすると拡大されます

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*2012年のミャンマー鉄道旅行記は、双葉文庫『不思議列車がアジアを走る』に収録されています(第三章ミャンマー ヤンゴン環状線「窓ガラスのない木造列車は、南国のスコールも吹き込む」)。そちらもぜひお読みください。

 

 

*本連載は月2回(第2週&第4週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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著者:下川裕治(しもかわ ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。著書に『鈍行列車のアジア旅』『不思議列車がアジアを走る』『一両列車のゆるり旅』『タイ語の本音』『世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ』『「裏国境」突破 東南アジア一周大作戦』『週末バンコクでちょっと脱力』『週末台湾でちょっと一息』など、アジアと旅に関する紀行ノンフィクション多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。WEB連載は、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週日曜日に書いてるブログ)、「クリックディープ旅」(いまはユーラシア大陸最南端から北極圏の最北端駅への列車旅を連載)、「どこへと訊かれて」(人々が通りすぎる世界の空港や駅物)「タビノート」(LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記)。

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