ブルー・ジャーニー

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#33

スカンジナヴィア 神、生まれし地へ〈1〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

心を置き去りにしないように

 彼方で柔らかくうねるフィヨルド。

 温かく、透明な日差し。

 鼻をかすめる潮と針葉樹の香り。

 春まだ浅いオスロ。

 

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 面積454平方キロは横浜市とほぼ同じ。人口は横浜市の6分の1を下回る50万人。“神の草地と森”を意味するノルウェーの首都オスロは、60パーセントが森林地帯。その中を540キロの散歩道、140キロの森林道、490キロのクロスカントリーコース──約4分の1の120キロはナイター設備を完備している──が駆けめぐる。

 基本的な就業時間は8時〜16時。仕事を終えたヴァイキングの末裔たちは、日溜まりでグラスを傾け、クロスカントリー・スキーを楽しむ。

 

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 埠頭をひとめぐりしてから、車でホルメンコーレンのジャンプ台に向かう。

 ハンドルを握る観光局の女性が、いかにも申し訳なさそうに「今、ラッシュアワーなんです」。

 平均的日本人サイズのぼくよりもひとまわり大きく、笑顔がすてきな観光局の女性はオスロから電車で約3時間、フィヨルドの奥まったところに位置し、大自然に抱かれた町、ヤイロの出身。

 それにしても。東京の道路を見たら彼女はどう思うのだろう?

 

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──出身地のターナビーはストックホルムの北、どれくらいのところにあるのですか?

 アルペンスキーレース史上、ただひとり“神”と呼ばれた男、インゲマル・ステンマルクは、いつものように少し間を置いてから、口を開いた。

「直線距離で約700キロ、道路をたどると900キロほどになります」

──ターナビーから北極圏までは?

「約100キロです」

──スウェーデンには約10万の湖があるということですが、家のまわりにも?

「たくさんあります。いちばん近い湖まで約1キロ。そこから5キロほどいくと、またべつの湖が広がっています」

 冬季オリンピックの金メダル1、銀メダル1。世界選手権金メダル3、銀メダル1、ワールドカップ通算86勝と151回のトップ3。ワールドカップ・ジャイアント・スラローム10戦全勝(77/78シーズン)。

 あらゆる勝利と名誉を手にしたステンマルクだったが、“神”の呼称を決定的なものとしたのは、2位とのタイム差だった。ジャイアント・スラローム4・09秒、スラローム3・16秒。100分の1秒単位の時間で勝敗が決まる世界でのこの数字、同時代を生きたレーサーは言った。「ステンマルクに次ぐ2位は優勝と同じ価値がある」

 

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 スウェーデンの北、ユーエシェーという寒村でステンマルクは生まれた。5歳の時にそこから32キロ離れたターナビーに移り住み、17歳で、突然世界のトップに踊り出るまでの大半の時間をそこで過ごした。

 日本にはターナビーについての資料は無いに等しい。ユーエシェーに至っては、スカンジナビア半島の250万分の1の地図上には存在しない。

 

──もしその湖がだれかの持ち物であったとしても、自由に入っていって釣りやハイキングができる。そういうルールがあなたの国にはあると聞きましたが。

「持ち主に迷惑をかけるようなこと、たとえば家から20メートルしか離れていないようなところでテントを張るのは許されないけれど、そうでなければキャンプをしても全然かまいません。それは当然のこととされているので、所有者はなにも言いません」

──ぼくが生まれ育ったところは、家の前が車1台ようやく通れる300メートルほどの路地で、5、6歳まではそこが行動範囲のほとんどすべてでした。書物や資料から想像する限り、あなたはぼくとは正反対の環境で育ったようですが、実際のところ、子供のころのあなたの目に映った世界はどのようなものだったのでしょうか?

「行動を制約するものはなにもありませんでした。自由は特別なものではなく、当たり前のものという感覚でした。といっても5歳までの行動範囲はせいぜい半径500メートル。道路や柵があったわけではないけれど、その向こう側には行きませんでした。6歳になり、自転車に乗るようになってからは、行動半径は10キロぐらいに広がりました」

──ぼくの場合、路地の向こう側の世界に行くためには、車通りの多い道を渡らなければならなかったのですが、あなたには、当然そういう種類の危険はなかったのでしょうね。

「親からよく言われたのは川の流れの速いところには注意しなさいということでした。あと、張り始めたばかりの湖の氷の上もそうです。アイスホッケーをする時は氷に穴を開けて厚みを調べましたし、かならずだれかの親がついていてくれました」

 

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 1989年3月、長野県・志賀高原で開催されたアルペンスキー・ワールドカップ。ジャイアント・スラロームの2回目、ステンマルクはベストタイムを記録、最速のままコースを去った。セカンドベストは、ステンマルクがワールドカップにデビューしたとき、まだ8歳だったスウェーデンの選手だった。

 引退の翌年の1990年から7年間、この不世出のレーサーと、カナダ、アメリカ、オーストリア、日本など、世界各地の雪の上で1週間をともにする幸運に恵まれたのだが、“神”は寡黙で、虹を追いかけるような取材となった。残された記録、目の当たりにした事実、ぽつりぽつりとこぼれ落ちる言葉をかき集めた1冊はたよりなく、とりわけ、ターナビーについては、想像力はどうにも像を結ばなかった。 

 

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 日本からターナビーまで、最短距離を行こうと思うなら丸1日でたどりつくことができる。4回飛行機を乗り継ぎ、3時間ほどドライブすればよい。

 だが、思いがけず訪れたターナビー行きの機会を、簡単にかなえたくなかった。

 陸路をたどってスウェーデンを縦断するルートと、ノルウェーの海岸線を北上し、スウェーデンに入るルート。大きくふたつの遠回りが考えられたが、“船旅”に引かれて後者を選択した。

 日本からノルウェーの首都オスロに飛び、電車で世界遺産の町、ベルゲンへ。ベルゲンからトロンハイムまでは飛行機を利用。トロンハイムから沿岸急行船に乗り、船内で一泊。フィヨルドをネスナに向けて北上。ネスナの港から車に乗り、国境を越えてターナビーへ。

 旅程は5日間になったが、それでも急ぎすぎるように思えた。心を置き去りにしてしまわないか心配だった。

 

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 オスロの中心から車で約20分。山の中腹、標高412メートルの地に、ホルメンコーレン・ジャンプ台は森の緑と空の青を横切るようにそびえたつ。自ら「ノルウェー人はスキーを履いて生まれる」と言うノルウェーの人びとの誇りと情熱を象徴する建造物だ。

 少し離れたところに、日だまりを楽しむ若い男女がひと組。一般に解放されているが、ほかに人影はない。

 初めてジャンプ大会が開催されたのは1879年(明治12年)。当時のジャンプ台は木製で、最長不倒距離は21・5メートル。その後、幾度もリビルドを重ね、現在の規模(ラージヒル)になった。

 通常、ジャンプ台の拡張は上方向に向かって行われるが、このホルメンコーレンは、高さを上乗せすると同時に、ランディングバーンの岩盤を掘り下げ、下方向にも延長している。

 観客席はむき出しのコンクリート。上部はランディングバーンと平行に作られているために、かなり急勾配。選手との距離がものすごく近く、ストッピングゾーンが地下に掘り下げられているため、オペラを2階席から観劇するような位置関係になっている。

 ホルメンコーレンのジャンプ大会は、通常、ワールドカップの後半戦に行われ、5万人前後の人々が集まる。1952年のオスロオリンピックでは、会場は12万人の人々に埋め尽くされた。

「スキーを履いて生まれてきた人々の国を挙げての熱狂。荻原健司や船木和喜は、その上に、だれよりも長く、優雅な放物線を描いたのだった。

 

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 エレベーターを降りて階段を121段登り、高さ60メートルのジャンプ台の頂上の四方をガラスに覆われた展望ルームに立つ。

 遠くにオスロフィヨルドの柔らかな曲線。手前にオスロ市街が鬱蒼とした緑のなかに広がっている。森林地帯は国有のものと私有のものが混在しているが、それを区別する標識や柵はない。

 町並みは淡く明るく、童話の世界のようだ。もっとも目につく色は赤。次いで黄色、白、グリーン。ダーク系はごくわずかで、中央ヨーロッパの都市の色合いとは対照的だ。

 ヤイロ出身の観光局の女性から感嘆符が言う。

「オスロはなんでもあって、大好きだわ」

──なんでも?

「ええ。山、森、300余りの湖、そして海には100キロのフィヨルドと40の島々。ほんとうにすてきなところだわ」

 

(スカンジナヴィア編、続く)

 

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

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