ブーツの国の街角で

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#32

フェッラーラ:憧れの貴婦人イザベッラ・デステの面影を探しに

文と写真・田島麻美

 

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  カーニバルが終わり、春ももうすぐと思っていた矢先、突然の大寒波襲来で真冬に逆戻りしてしまったイタリア。こんな時は家にこもって読書三昧に浸ろうと本棚を漁っていると、懐かしい歴史小説などの蔵書が出て来た。イタリアへ来たばかりの頃、この国についての知識を少しでも増やそうと片っ端から歴史や芸術に関する本を読んだことを思い出す。イタリアの歴史の中では古代ローマとルネサンス時代が私のお気に入りで、特に政治的にも文化芸術の分野でも個性溢れる人物達が活躍したルネサンス時代を背景とした書籍には夢中になった。中でも、私がとりわけ憧れた貴婦人がイザベッラ・デステ。芸術の保護者であり、優れた政治家であり、宮廷のファッション・リーダーでもあった貴婦人だ。彼女に関する本をめくっていくうち、生誕の街フェッラーラをまだ訪れていないことに気づいた。小国ながら中世イタリアでは絶大な影響力を持っていたといわれるフェッラーラ。寒さよりも好奇心が勝ち、イザベッラの面影を探しに日帰りの旅に出た。
 

 

 

 

 

「世界一のレディ」と謳われたルネサンス期の賢女

 

 

 

   ローマからフェッラーラまで高速鉄道で3時間弱の車中、蔵書の中では一番新しいイザベッラ・デステに関する一冊を改めて読み直した。
『知的で華々しく、教養がありエレガント、そして若い頃は非常に美しかった。その一方、性格はきつく、意志が強くて短気で、結婚後はあらゆる手段を用いて苦悩を遠ざけようとした。野心的で抜け目がなく、皮肉屋、女性としての魅力(彼女の場合は侍女達のそれ)を武器に、望むもの全てを勝ち取ろうとした』(出典:”La casa di Isabella” Edgarda Ferri著)。15世紀半ば、フェッラーラ公エルコレ1世デステとナポリ王女エレオノーラの長女として生まれたイザベッラは両親に溺愛され、生れながらに持ち合わせた高い知性にさらに磨きをかけるがごとく、幼少時から語学、歴史、古典文学、音楽や絵画などあらゆる分野において、当時最高と言われた教師達の元で教養を深めていった。16歳でマントヴァ侯爵フランチェスコ二世と結婚後は、自身の宮廷を舞台に芸術・学問の保護者として、また、フランスやスペイン王宮の女性達も憧れるファッション・リーダーとして国内外から賞賛を浴び、かと思えば夫の留守中は君主となって政治を司るなど、文字通りあらゆる方面でその実力を発揮した。『夢もなく、恐れもなく』という格言はイザベッラ・デステの座右の銘として有名だが、名門貴族の子女が政略結婚の道具のように扱われていた時代に、このような現実的なモットーを掲げて生きた彼女は稀有な存在だったに違いない。
 

 

 

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ティツィアーノが描いたイザベッラ・デステの肖像画(上/出典:”La casa di Isabella” )。四方を深い堀で囲ったエステ家の本拠地「エステンセ城」。入り口左の「ライオンの塔」にある大理石のレリーフには、兜をかぶった二頭のライオンと、エステ家の家訓である『WOR BAS(常に前進せよ)』の文字が刻まれている(下)
 

 

 

 

 

エステ家の繁栄の歴史が息づく城と街

 

 

   イザベッラの人生についてあれこれと想像しているうちに列車はフェッラーラの駅に到着。駅前の広場から、旧市街行きのバスが今まさに発車しようとしている。慌てて飛び乗ってから、運転手さんに「エステ家のお城に行きますか?」と尋ねると、運良く城の近くに停留所があることがわかった。駅から10分足らずで旧市街の中心にあるエステ家の城に着いた。フェッラーラのルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯は、ユネスコの世界遺産にも登録されている美しい街だ。生憎の雨に見舞われたものの、目的のお城はすぐ目の前。ツーリスト・インフォメーションもこの城の中にあると聞いたので、早速入城することにした。1385年に着工されたエステンセ城は、エステ家の政治の本拠地であると同時に、外部からの侵略・攻撃に対する軍事基地でもあった。そのため、街の中心部にありながら、東西南北の入り口と市街地の間は深い堀で隔てられている。跳ね橋を渡って城の門をくぐった時、現代からルネサンス時代へ一瞬にしてタイムスリップしたような感覚に襲われた。
 城内の見学ルートに沿って、城の模型図がある部屋から始まり、不気味な地下牢、豪華なフレスコ画で装飾された華麗な大広間、旧市街を一望できる塔など、この美しく機能的な城の隅々までじっくりと見て回る。イザベッラ・デステはもちろん、その後イザベッラの弟でこの城の主人となったアルフォンソ1世と結婚したルクレツィア・ボルジアもここで暮らした。当時を想像しながら、歴史上の女性達の日常や人生について思いを巡らす。
 

 

 

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 市街地と城は広く深い掘で隔てられている。当時のままの木製の跳ね橋を渡って入城(上)。城内の見学は有料(6€。塔へ登るにはさらに2€プラス)。盛大な宴会が開かれた豪華な大広間は2012年の地震で被害を受け、現在も修復が続いている(中)。背筋が寒くなるような地下牢には、エステ家に叛逆した者達が投獄されていた(下)。
 

 

 

 

 

王侯貴族を虜にしたルネサンスの天才料理人

 

 

    レオナルド・ダ・ヴィンチを始め、聖職者や芸術家、王侯貴族などルネサンス期イタリアの最重要人物たちが集った城の内部で、私が最も興味を引かれた場所が「台所」。広々とした台所には16世紀の釜がいくつも並び、当時エステ家に仕えた天才料理人・クリストフォロ・ディ・メッシスブーゴの晩餐会メニューも展示されている。メッシスブーゴという人物については知識がなかったのだが、解説やガイドブックを読むうちに俄然興味が湧いてきた。クリストフォロ・ディ・メッシスブーゴは1524年から48年にかけて、このエステンセ城の宮廷に仕え、豪勢で知られたエステ家の晩餐会を切り盛りした料理人。当時の王侯貴族から「食のダ・ヴィンチ」と呼ばれ、公式行事としての晩餐会のフルコース・メニューを初めて体系化した、食の芸術家であった。現在もイタリア料理の代表として世界中に知られているラザーニアやリゾットといったレシピの原型を考案したのもメッシスブーゴなのだそうだ。台所には彼が書き残した料理書(1549年出版)の一部が展示されているが、この著書の中ではコースのメニューの順番から各料理のレシピ、使用するナイフや鍋などの調理器具といった細部にまで詳細に言及されている。メッシスブーゴが考案したレシピの中には、現在もフェッラーラの伝統料理として受け継がれているものがあるそうだ。文化人や芸術家の保護に熱心だったエステ家の城では、料理人もまたその才能を開花させ、実力を遺憾無く発揮させられる最高の環境が整っていたらしい。

 

 

 

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天才料理人メッシスブーゴが腕を振るった台所(上)。彼の著書『Banchetti, composizioni di vivande e apparecchio generale(宴席:食べ物と諸々の道具立ての構成)』は1549年に出版された(中)。16世紀の台所事情が詳しくわかる図は見るだけでもワクワクする(下)。
 

 

 

 

 

500年前から続く郷土の味

 

 

  イザベッラ・デステの面影を求めて訪れたフェッラーラで、思いもかけずメッシスブーゴという天才料理人に出会い、すっかり心を奪われてしまった。食のダ・ヴィンチが考案した料理は今もフェッラーラに受け継がれていると知り、早速ルネサンスの味を求めてフェッラーラ伝統料理の店に足を踏み入れた。
  明るくモダンな店内は先ほどの城の雰囲気とは大違いだが、ウエイトレスのお姉さんに、「昔からあるフェッラーラの伝統料理が食べたい」というと、お姉さんはメニューを広げて一皿一皿細かく解説してくれた。メニューの概要がわかったところで、今度は私の好みや胃袋の具合を確認しつつ、二人で10分以上相談した上でようやくメニューが決まった。
  プリモ・ピアットは「カッペラッチ」というフェッラーラ名物のカボチャ入りパスタ、そしてセコンドにはメッシスブーゴのレシピである「サラミーナ・フェッラレーゼ」。どんなものか想像もできない私に、お姉さんは「豚肉をたっぷりの香辛料で味付けし、6時間以上かけてじっくり調理したサラミよ。かなり強烈な味がするから万人受けはしないわね。私は大好きだけど」と教えてくれた。どうしようか迷ったが、500年以上も前のレシピを食べられる機会はそうそうあるものではない。ボリュームも考慮した結果、「半人前」を注文することで合意し、皿が運ばれてくるのを待った。
  カボチャのクリームが入ったラヴィオリのようなパスタ「カッペラッチ・ディ・ズッカ」はラグー・ソースとパルミジャーノがかかっている。肉の旨味とチーズの塩味、ほんのり甘いカボチャのクリームとの組み合わせはとても優しい味わい。次いでいよいよ、ルネサンス時代のサラミが登場。豚肉をよく叩き、塩、唐辛子、シナモン、ナツメグなど様々な香辛料を入れて赤ワインで煮込み、さらに弱火で6時間煮込んだサラミは、お姉さんが言ったとおり強烈な味わい。どっしりした赤ワインにとてもよく合う。確かに好き嫌いがはっきり分かれそうだが、貴重な香辛料を惜しげも無く使ったこの料理、ルネサンス時代の人々にとっては文字通り贅の限りを尽くした一品だったに違いない。イザベッラ・デステやルクレツィア・ボルジア、レオナルド・ダ・ヴィンチもこの料理を食べたのだろうか、と想像しながら食べると味わいもひときわ深まる。
 

 

 

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フェッラーラの代表的なパスタ「カッペラッチ・ディ・ズッカ/Cappellacci di zucca」(上)。メッシスブーゴが考案したレシピ「サラミーナ・フェッラレーゼ/Salamina ferrarese」(別名:Salama da sugo ferrarese)は、500年前から続く伝統料理(下)。
 

 

 

 

 

エステ家の宮廷で生まれ、愛された陶器

 

  ルネサンスの味をたっぷり満喫した後、摂取したカロリーを少しでも消費しようと、雨も寒さも省みずに旧市街を歩き始めた。世界遺産にも登録されている旧市街は、レンガの低い建物が軒を連ね、石畳の道もとても美しい。サン・ジョルジョ大聖堂やスキファノイア宮殿、ディアマンティ宮殿など見所も多いのだが、いかんせんシーズンオフのこの季節、重要文化財は修復中で見られず。さらに、日曜日と悪天候が重なって、ほとんどの観光ポイントは閉まっていた。さて、どうしたものかと思案していると、大聖堂に並列したトレント・トリエステ広場に出店している露天商が目についた。日曜日はここでメルカートが開かれているらしい。「ブォンジョルノ。雨の中、大変ですね」と声をかけながら近づいて見ると、色とりどりの鮮やかな陶器の数々が目に飛び込んできた。デザインも色使いも独特の美しさがあり、これまで見たことがないようなオリジナリティに溢れている。
「この陶器はフェッラーラの伝統的な工芸品なんですか?」と尋ねると、「そうですよ、珍しいでしょう?この陶器の製法はエステ家の宮廷で開発されたもので、私たちの工房では1400年代の当時そのままの材料と技術を受け継いで制作しています」と店主は答えた。粘土で型を作り、デザインを施した後、さらにデザインを彫って浮き立たせてから着色して焼くことで独特の陰影を出すことができるのだとか。聞けばフェッラーラを代表する陶芸家であったマッツァ氏は、エステ家の陶器の技法と特徴について詳しく教えてくれた。
「私たちの工房では、材料まで全て1400年代にこだわって制作しています。例えばここに描かれている植物は、図書館で古書を調べて当時この地域にあった花や植物だけをモチーフにしています。それから当時は真っ白な色を出す釉薬がなかったので、このベースのクリーム色も1400年代に使われていた釉薬を苦労して再現したんですよ」。マッツァ氏の説明を聞きながら、私は早くも「どの皿を買おうか」と真剣なお買い物モードに入っていた。イザベッラという女性の面影を探しに来たフェッラーラで、思いがけず出会った天才料理人と美しく個性的な陶器。この街は、まだまだ奥が深そうだ。ルネサンスの文化と芸術の香りが今も漂う旧市街を歩きながら、春になったらまた絶対に来よう、と心に誓った。
 

 

 

 

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ルネサンス期の建築が軒を連ねる旧市街。中心にある市庁舎は、かつてエステ家の宮殿だった建物(上)。サン・ジョルジョ大聖堂のファサードは現在修復中。聖堂側面にはメルカートが開かれる広場がある(中)。15世紀のエステ家独自の陶器を忠実に再現している陶芸家マッツァ氏。家族で代々技術を受け継ぎ、陶器の彩色や柄、デザインまで、当時のままの美しさにこだわっている(下2点)。
 

 

 

 

 

★ MAP ★

 

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<アクセス>

ローマから直通のフレッチャロッサで2時間40分。フェッラーラへの直通は本数が少ない。直通列車がない場合はボローニャまで行き、ローカル線に乗り換えて約30分。
 

 

<参考サイト>

・フェッラーラ観光情報サイト(英語)
http://www.ferrarainfo.com/en?set_language=en

 

・フェッラーラ陶器工房・Ceramica Artistica Graffita di Franco Mazza(伊語)
https://www.facebook.com/Ceramica-Artistica-Graffita-di-Franco-Mazza-320745824714841/

 

 

 

 

*この連載は毎月第2・第4木曜日(月2回)の連載となります。次回は3月22日(木)掲載予定です。お楽しみに! 

 

 

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田島麻美 (たじま・あさみ)

千葉県生まれ。大学卒業後、出版社、広告代理店勤務を経て旅をメインとするフリーランスのライター&編集者として独立。2000年9月、単身渡伊。言葉もわからず知り合いもいないローマでのサバイバル生活が始まる。半年だけのつもりで暮らし始めたローマにそのまま居座ること17年、イタリアの生活・食文化、歴史と人に魅せられ今日に至る。国立ローマ・トレ大学マスターコース宗教社会学のディプロマ取得。旅、暮らし、料理をメインテーマに執筆活動を続ける一方、撮影コーディネイター、通訳・翻訳者としても活躍中。著書に『南イタリアに行こう』『ミラノから行く北イタリアの街』『ローマから行くトスカーナと周辺の街』『イタリア中毒』『イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる』他。

 

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