ブルー・ジャーニー

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#31

アラスカ 燃える闇〈2〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

静けさは野ウサギのように

 アラスカの懐の奥深くに向かって北上したアラスカ鉄道は、定刻通り、ゴールドラッシュの落とし子、フェアバンクスに到着。フェアバンクスとおなじようにプラットフォームのない駅は、うっすらと雪に覆われていた。

 これが三度目のアラスカ。一度目はシアトルから出航し、グレーシャーベイをめざして東南アラスカの沿岸を北上。日本列島を飲みこんでもまだ余る一五〇〇キロ、一〇日間の船旅だった。

 二度目は陸路をたどった。フェアバンクスから人口一三人の北極圏の村、コールドフットまで約五〇〇キロのドライブ。さらに“北極圏のとびら”という名の国立公園まで足を伸ばした。

 一度目も二度目も移動しつづけた旅だったから、こんどはじっとアラスカに浸りたい。そう思い、三度目の今回は、フェアバンクスに住む友人にキャンプに連れていってもらうことにした。

 

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 アメリカの歴史書において、アラスカが占める割合はおどろくほど少ない。

 先コロンブス時代(一四九二年のクリストファー・コロンブスによるアメリカ大陸“発見”以前の時代)のネイティブのこと、海獣の毛皮やサケをめぐってロシアとヨーロッパ諸国が争ったこと、その主導権をにぎっていたロシアから、アメリカが国家予算の三分の一にあたる七二〇万ドルでアラスカを買い取ったこと、その後、買い取り価格の一〇倍に相当する金が発見され、原野に一夜にして町が生まれたこと、冷戦時代、東側諸国への防衛基地として重視されたこと、ベトナム戦争のさなか、北極海に面するプルドーベイで北米最大の油田が発見されたこと、歴史書に書かれているのは、およそそのようなことだけだ。

 それ以外の事実、たとえば海獣や金や石油を独占するためにネイティブたちが追い払われたこと、同時に多くの地名が塗り替えられたこと。ゴールドラッシュが終わると多くの町が一夜にして消えてしまったこと、北米大陸を縦断するパイプラインの敷設のために自然が破壊されたこと、現在、新たな破壊が行われようとしていることなどについては、ほとんど触れられていない。

 

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 かつてアラスカをめざした人びとは大きく三つに分かれた。

 ひとつは金儲けのために原野に分け入った人びと。ひとつは宣教師、教師、医師などの義務感に駆られた人びと。そしてもうひとつは、ウォールデン湖畔に住んだヘンリー・D・ソローのように、アメリカの資本主義社会を拒否した人びとたちだった。

―——主人の屋敷に衣服を着た見知らぬ人間が近づくとかならず吠えるが、裸の泥棒には簡単に手なずけられてしまうというイヌの話を聞いたことがある。ひとびとが衣服を脱がされたとき、その相対的な地位をどの程度まで保持できるかは興味深い問題である。その際、文明人のなかでもっとも尊敬されているひとびとを確実に見分けることができるであろうか?(『森の生活―—ウォールデン』ヘンリー・D・ソロー)

 

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 今回のキャンプの目的地は、すぐそばを流れるユーコン川の支流、フートゥリナナ川に沸く天然の温泉。

「アラスカにどれくらい温泉があるの?」

「はっきりはわからないけもど、全土で一〇〇以上は」

「そんなに」

「うん。フゥートゥリナナの温泉は、地元の人にもあまり知られていない場所なんだ」

 フェアバンクスでキャンプに必要なこまごまとしたものを購入し、ドルトンハイウェイを北上。リーベングッドからまだ雪が残るエリオットハイウェイに入り、西へ。

 フェアバンクスを出てから三時間ほど走ったところで、車を森の片隅に止める。

 

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 一九〇〇年ごろ、イタリア人フェリックス・ペドロがタナナ川支流の渓谷で金を発見。一九〇二年、ネイティブが住んでいた場所に交易所を開かれ、翌年その地は上院議員チャールズ・W・フェアバンクスの名前を取ってフェアバンクスと名づけられた。

 地名の変更は、文字の置き換えには止まらない。表記の背後に広がる物語と記憶、さらに想像や夢をも塗りつぶす。

 もっとも象徴的なのは、標高六一九四メートル、北アメリカ最高峰であり、アラスカの象徴であるデナリ。先住民コユコン・アサバスカン族の言語で「偉大なもの」を意味する山は、オハイオ州出身の第二五代アメリカ合衆国大統領の名前に塗り替えられた。

 一九七五年、アラスカ州はマッキンリーをデナリにもどすことを決定。州の地理命名委員会もこれも承認したが、政府の地理命名委員会が承認を拒否。

 マッキンリーが元の名前を取りもどしたのは、それから三〇年後だった。

「この地に対する敬意を表し、アラスカ先住民の伝統と、アラスカ州の人びとの強い支持を認め、公式にデナリと改称する」

 二〇一五年八月三〇日、バラク・オバマ政権下の内務長官サリー・ジュエルはマッキンリーの公式名称をデナリにもどす長官令に署名した。 

 

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 レガシー・ツーリングワゴンのラゲージスペースにぎゅうぎゅうに詰めこんだテント、キャンプ道具、食料などを二台のプラスティック製のスノーボート二台に乗せ、クロスカントリースキー用の靴に履き替える。

「温泉まで距離はどれぐらい?」

「直線距離で約一二キロぐらいかな。もう四月だからトレイルの雪も落ちついているよ」友人はつづけた。「一度、真冬に行ったとき、あまりに雪が深くてスキーが全然役にたたなくて、大苦戦。あのときは、ほんとうに遭難するかと思った」

 スノーボートをハーネスで体につなぎとめ、森の中に滑りこむ。気温は0度前後。風はないに等しい。

 山、丘、草地、川、小川、アメリカ人が振り返らなかった場所には、いたるところにネイティブたちの呼び名が手つかずのまま残っている。フートゥリナナは「翼で雷をおこす鳥の川」、ネナナは「川と川の間にあるキャンプに適した場所」。フートゥリナナをはじめ、テナナ、ネナナ、チナなどの語尾の「ナ」はアラスカのネイティブのひとつ、アサバスカン・インディアンの言葉で「川」を意味する。

 

26

 

 トウヒの緑の湿った匂い。あちこちを駆けめぐるウサギやキツネの足跡。木の枝に縁取られたアラスカの空。DVDがしたかのように世界が変わる。

 友人が立ち止まり、雪面にかがみこむ。

「オオカミの足跡だ」

 はっきりした輪郭が、つけられてからあまり時間が経っていないことを示している。

 あたりを見まわす。もしかしたら、道路の両脇の森のどこかからぼくたちのことを見ているのかもしれない。

 

 二キロほど進んだところで水を飲むために立ち止まる。友人のうしろ姿が森の向こうに消える。

 息をこらし、じっと動かないでいると、全身がとほうもない静けさに包みこまれる。防音室の無機質で閉ざされた静けさではない。深く広く、生きている静けさだ。

 ペットボトルをザックにしまいこむ。

 ガサゴソ。

 そのとたん、静けさは野ウサギのようにあっという間に消え失せ、この森にとって、ぼくはただ雑音をたてるだけの存在でしかないことを思い知る。

 

 出発してからもうすぐ四時間。

 木々の向こうから友人の声が響く。

「到着!」

 

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 ティーピーと呼ばれるテントの設営に取りかかる。ティーピーのモデルとなったのは、獲物を追って移動をつづけた北米のネイティブの住居。薪ストーブを使うことができるように、トップに煙突を通す穴がついている。

 すっかり凍りついた地面に苦労させられながら、一時間ほどでティーピーと薪ストーブをセット。倒木を斧で切り割ってストーブに放りこみ、点火。川の水を煮沸して消毒し、腹時計にせっつかれながら食事の準備にとりかかる。

「このティーピーはいくらぐらい?」

 どこにでもあるような廉価品だと思いこんでいたぼくは、友人の答えを聞いて驚いてしまった。

 個人的に“アウトドアブーム”を一歩下がったところから見ていた。資本主義社会とは「人がほしがるものをほしがる社会」。あれがいい、これがいいとブランドにこだわると、大自然に現実社会を持ちこむことになり、アウトドアではなくなってしまうのではないかと思っていたからなのだが、友人は道具を道具以上に扱う人間ではなかった。

 薪ストーブで沸かしたお湯で食後のコーヒーをいれながら「どこに行くか」も大切だけど「だれと行くか」のほうがもっと大切だなと思う。

 

(アラスカ編、続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

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