日本一おいしい!沖縄の肉食グルメ旅

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#30

鼎談「沖縄そばと沖縄ラーメン」〈後編〉

鼎談・仲村清司×藤井誠二×普久原朝充

 

 

戦後に広まった沖縄そば 

藤井:ところで、当時は、沖縄でどの程度メリケン粉が消費されていたのだろうか。

普久原:メリケン粉って小麦粉のことですよね。世代によっては通じないんじゃないですか? 

藤井:そうかな? 沖縄の中学校では卒業式の後にメリケン粉を掛け合う風習があるんでしょ?

仲村:関西でもメリケン粉というよ。メリケン粉を掛け合う習慣はないけど。そんなことをしたら喧嘩沙汰だねな。

普久原:沖縄のは珍妙な行動をしている一部のヤンキー文化がまだ残っているみたいですね。そのおかげで、沖縄だけ若い世代にもメリケン粉という呼び方が残っているとしたら、悲しいなあ。

藤井:普久原くんはそういう不純行為がすごく嫌そうだね(笑)。話を戻すと、当時の沖縄そばは、どの程度消費されていたんだろう。

普久原:そもそも戦前の沖縄で小麦がどれぐらい栽培、流通していたのか、よくわからないですね。西洋では大麦、小麦、ライ麦、燕麦など、それぞれ別の言葉で峻別されていますよね。「麦」というのは東洋の概念なんだそうです。要は、秋に植えて春に収穫する穀物が「麦」ということらしい。春に植えて秋に収穫する「稲」との区別のようですね。「ウマチー」という沖縄の豊作祈願の古い行事がありまして、穂が実る時期と収穫の時期の15日に行っていたそうです。旧暦の2月と3月は麦、5月と6月は稲というように、栽培植物の時期に合わせていた。でも、ここでの麦って、大麦のことだと思うんですよ。

藤井:沖縄で小麦が育つのだろうか。

普久原:小麦は、中国でも主に北の地域で栽培されていた穀物です。当初は小麦を粉にする発想はなくて、粒のまま食べられていて雑穀扱いだった。粉にする発想は、騎馬民族の影響により、やはり北方から伝わったと考えられています。そして、中国北部には、たまたま塩湖というアルカリ性の塩辛い水の湖もあった。塩湖は鹹湖(かんこ)とも言います。つまり、かん水があった。このめぐりあわせが麺や餃子や饅頭などの多様な食文化を生み出したと思うと感慨深いですね。

藤井:塩湖って、ヨルダンとイスラエルの国境にある死海などのような湖だよね。そうか、だからかん水が手に入らない南部では灰汁を代用して使い、その手法が中国から小麦と一緒に沖縄にも伝わってきたということなんだな。

仲村:そもそも沖縄版のドーナツ、「サータアンダギー」だっていつごろからなのかよくわからないしね。沖縄そばが急速に普及した起源は戦後、大量にアメリカから小麦粉が入ってきたことが主要因で、いわゆる戦争未亡人がそば屋をはじめたというのが定説ですよね。

藤井:なるほど、生きるために沖縄の女たちは「そば屋」をオープンさせたということか。

仲村:戦前は那覇だけでなく、与那原なども沖縄そばが名物になっていたようです。軽便鉄道に乗ってわざわざ食べに行ったと母から聞いたことがあります。与那原は軽便鉄道の主要駅で、路線の主要駅に店が多かったのかもしれない。

藤井:今でいう「駅そば」だね。

藤井:話を総合すると、もともと中国などから小麦粉が入り、それが戦後にアメリカから大量の小麦粉が入り一般化したということなのかなあ。ともあれ、ラーメンが沖縄そばを追い越すとぼくは書いたけど、もともと同源というか、麺から見ると、沖縄そばは限りなくラーメンに近い。ラーメンがウケ入れられる土壌はあるわけです。

仲村:先ほど述べたように、沖縄そばは戦後しばらく経って普及した食べ物ものです。大阪も圧倒的なうどん文化圏で、ラーメン文化は定着していなかった。僕の子どもの頃でも札幌ラーメンのチェーン店ぐらいしかなかった覚えがあります。神戸や横浜は中華街があるから独自のラーメン文化が根付いた。池波正太郎先生のエッセイで紹介されている「ハマのラウメン」がそれですね。

普久原:速水健朗さんの『ラーメンと愛国』(講談社/2011年)によれば、「ラーメン」という呼称が一般化されるのはチキンラーメンのCMが全国放送されるようになった1960年以降とのことです。札幌ラーメンや博多ラーメンなど各地の中華そばは、スープや具材だけでなく麺の太さも異なります。それぞれ独自性があるのにもかかわらず、ラーメンとして認識されるようになった。しかし、当時の沖縄は米軍統治下にあったために、ラーメンという認識の枠組みから外れたのではないかと説明されていますね。

 実は、「沖縄そば」という呼称が出始めるのは、慰霊旅行などで本土の人々が沖縄に来るようになる1960年代からとされていますね。

仲村:メニューに書くときは日本蕎麦との区別で形式的に「支那そば」としていたけれど、それまでは単純に「すば」って言っていたらしいね。それと、戦前も「琉球そば」と書くように通達があったようだけど、定着しなかった歴史がある。当時の沖縄の人々は日本に同化することに邁進していたから、かつての王朝時代の名前を使いたがらなかったのかもしれない。

普久原 まぁ、僕も子どもの頃に本土のチェーン系の蕎麦屋でそばを注文して、黒い蕎麦が出てきたときにビックリしたことがありますから、本土の方々が沖縄に来たときも紛らわしかっただろうなと想像できますね(笑)。

仲村:沖縄そばは小麦粉が原料なので、属性としてはうどんに近い感じもするけど、やっぱり別物ですね。何しろ、灰汁やかん水を使っているから製造法からして違う。それに讃岐うどんのようにシコシコとしたコシがないし、コシの強いことで有名な『首里そば』もシコシコというよりボソボソしています。

 

 

増え続けるラーメン店、希少な日本蕎麦屋 

藤井:それにしても沖縄はラーメン屋が増えましたね。ここ5年で180店以上新規オープンしたらしい。

普久原:やはり『通堂』ができてから一気にラーメン屋が広がりましたね。

藤井:かつて港で来訪者を迎え入れていた迎恩亭の別称「通堂」の名をつけるところに、沖縄人らしいオーナーの気持ちが表れている。

仲村:沖縄タイムスが調査した資料によると、県内には260店舗(2016年12月25日現在)あるらしい。一方の沖縄そばを扱う店は329店舗。沖縄そばは大衆食堂の看板メニューで、それも含めての軒数だから、専門店でいえばラーメン屋のほうが多いかもしれません。

藤井:まさに「ラーメン屋が沖縄そば屋に追いつき追い越せ」というムードですね。

仲村:話は変わるけど、僕は関西育ちだけど、東京で暮らした年数のほう多いのです。だから味は「江戸」贔屓で、うどんも醤油味の真っ黒ダシのほうが好みなんです。とりわけ蕎麦には目がないのだけど、沖縄は蕎麦屋が数える程度しかない。それが非常に困る。

普久原:確かに、那覇をのぞけば絶無かもしれませんね。

仲村:沖縄に移住して初めてこの島にはに蕎麦屋がないことを知ったのね。しかも当時は泡盛全盛期で日本酒を置いている店も少なかった。猛烈に焦った。人生の大切なものを置き忘れてきたんじゃないかと、夕まぐれの東の空を眺めながら「蕎麦ぁ~!」と叫んだものです。

普久原:叫ぶほどのものなんですか(笑)。

仲村:キミの冷静さは冷酷さも多分に含まれているね。

普久原:でも、沖縄では「そば」といえば沖縄そばのことですから。呼び名が同じだから、「蕎麦」と漢字で筆記しないと通じない土地なんです。

藤井:確かに蕎麦は「日本蕎麦」というふうに「日本」という接頭語をつけないと区別つかないしなあ。まあ、それぐらい蕎麦は必要とされていない島ということだね。

普久原:蕎麦の不毛地帯(笑)。

仲村:したっけ、蕎麦にぞっこんの江戸っ子にとっちゃ笑い事じゃねえんだよ。

藤井:いつから江戸っ子になったんです(笑)。

仲村:蕎麦をたぐりながらよ、ぬるめの燗酒を一献。これがオレの勝利の方程式ってわけよ。

普久原:何に勝利するんです?

仲村:そうでもしないと一日を締めくくれないということ! 沖縄は立ち食い蕎麦屋もないからねえ。まったく困ったもんだ。

普久原:そもそも、沖縄の感覚では、なぜ立って食わねばならないのか、理解に苦しみます(笑)。

藤井:あれは江戸の文化だね。僕は好きだなあ。東京にいるときは3日に1回は立ち食い蕎麦です。ぼくは名古屋の生まれ育ちだけど、名古屋にも立ち食い蕎麦がほとんどなくて困る。この数年間、じつはうまい豚骨ラーメン屋もなくて困っていたんです。

仲村:尾張名古屋の生まれというのに「きしめん」をうっちゃらかして「豚骨ラーメン」が食いてえとは。てめぇ、さては国を売ったな(笑) 。

藤井:そろそろ、その下手な江戸弁やめてもらえませんか。聞いていて恥ずかしいというより、イタイですよ。とにかく、沖縄はこの十数年で県外の有名店の支店や『通堂』みたいなオリジナルとか、レベルの高い店がたくさんにオープンしたから、少なくともラーメンには困らなくなりました。よく3人でシメで食いに行くけど、外れがないね。

普久原:交通インフラの発達などで、様々な人が気安く訪れることができるようになったからでしょうね。ホルモン屋が活発になっているのもそうですよね。

仲村:激変していく沖縄の「食」事情に立ち会っているような気分だね。豚骨系のラーメンが地元の人たちにこれほど受け入れられているのは、やはり「豚肉」文化があるからだと思う。

普久原:豚骨ラーメン。昔は好きでしたよ。でも、『通堂』でいえば、今は男味より女味のほうが好きですね。安里の『肉マースソバ・マサミ』というラーメン屋に藤井さんと行ったけど、美味しかったです。塩ラーメンって美味いなと。開店前から行列でしたね。最近はあっさりした塩系のほうが好きだなあ。

仲村:普久原クンも国を売ったな(笑)。まあ、沖縄そばも塩味ベースの麺類だから、『通堂』の「女味」がウケるのもわかる。今回、いろんな店を食べ歩いてラーメンは沖縄そばを超えるという藤井さんの指摘はそのとおりだと確信しましたね。

普久原:僕も同感です。

仲村:実は、どの麺類が好きか僕の講座を受講している大学生にアンケートをとってみたんです。沖縄そばより圧倒的にラーメン、それも豚骨ラーメンが多かったです。驚くべき結果です。

藤井:豚肉大国の沖縄が豚骨ラーメンの人気まで押し広げている。豚骨好きのぼくとしては、沖縄ならではの「豚骨」ラーメンを期待したいな。

仲村:藤井さん、相変わらず「きしめん」の「き」も出てこないですね。

藤井:きしめんねえ。あんまり興味ないです(笑)。

仲村:てめぇ、きっぱりいいやがったな。国賊じゃねえか、やっぱし。

 

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沖縄そばと沖縄ラーメン、まだまだ話題はつきませんが、今回はここまで。

 

 

*本連載シリーズを大幅加筆した単行本が、双葉社より6月に発売予定です。お楽しみに!

 

*本連載は、仲村清司、藤井誠二、普久原朝充の3人が交代で執筆します。記事は月2回(第1週&第3週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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仲村清司(なかむら きよし)

作家、沖縄大学客員教授。1958年、大阪市生まれのウチナーンチュ二世。1996年、那覇市に移住。著書に『本音の沖縄問題』『本音で語る沖縄史』『島猫と歩く那覇スージぐゎー』『沖縄学』『ほんとうは怖い沖縄』『沖縄うまいもん図鑑』、共著に『これが沖縄の生きる道』『沖縄のハ・テ・ナ!?』など多数。現在「沖縄の昭和食」について調査中。最新刊『消えゆく沖縄 移住生活20年の光と影』発売。

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藤井誠二(ふじい せいじ)

ノンフィクションライター。1965年、愛知県生まれ。8年ほど前から沖縄と東京の往復生活を送っている。『人を殺してみたかった』『体罰はなぜなくならないのか』『アフター・ザ・クライム』など著書や対談本多数。「漫画アクション」連載のホルモン食べ歩きコラムは『三ツ星人生ホルモン』『一生に一度は喰いたいホルモン』の2冊にまとめた。沖縄の壊滅しつつある売買春街の戦後史と内実を描いたノンフィクション作品『沖縄アンダーグラウンド』を2017年に刊行予定。

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普久原朝充(ふくはら ときみつ)

建築士。1979年、沖縄県那覇市生まれ。アトリエNOA、クロトンなどの県内の設計事務所を転々としつつ、設計・監理などの実務に従事している。街歩き、読書、写真などの趣味の延長で、戦後の沖縄の都市の変遷などを調べている。最近、仲村と藤井との付き合いの中で沖縄の伝統的な豚食文化に疑問を持ち、あらためて沖縄の食文化を学び直している。

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