ブルー・ジャーニー

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#30

アラスカ 燃える闇〈1〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

囲いの外へ

 

 高く広い空の下に、建物が寄り添い、うずくまっている。

 アメリカ合衆国アラスカ州アンカレッジ。

 町の中心地から太平洋に面したクック湾に向かって歩くこと二〇分あまり。坂道を下りきったところにアラスカ鉄道のアンカレッジ駅はある。

 東京ディズニーランドの駐車場ほどの広さの敷地に線路とこぢんまりとした駅舎があるだけで、プラットフォームもコーヒーショップもない。

 地面に置かれたプラスティック製の踏み台を使って客車に乗りこむ。

 ざっと見たところ、乗車率一〇パーセント前後。

 定刻を少し過ぎた午前八時三三分、列車は、ひとつ身震いすると、ゆっくり動き始めた。

 到着予定時刻は午後七時四五分。

 

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 アンカレッジからアラスカ州の中央に位置する町、フェアバンクスまで、直線距離で約六〇〇キロ。飛行機で約二時間、車なら七時間あまりの道のりを、このアラスカ鉄道は一一時間一五分かけて走る。

 ダイヤグラムはきわめて柔軟かつ即興的に変更される。線路脇で旗を振れば(正確には、線路から二五フィート離れて立ち、列車が汽笛を鳴らして応えるまで、頭上で大きな白い旗を振りつづけること、とされている)停車し、乗客が「あのあたりで降りたい」と言えば停車する。あるいは野生動物が線路を横断していれば停車して通過を待つ。そのように、いつでも、どこでも停車できるほどのスピードでアラスカ鉄道は走りつづける。

 三年前に乗ったときは、あと二時間で到着というところで雪崩に遭遇。「列車でアンカレッジに引き返すか、バスに乗り換えてフェアバンクスに向こうか、どちらを選ぶか考えてください」アナウンスから間もなく、除雪車が到着。フェアバンクスにたどりついたとき、時計の針は午後一〇時をまわっていた。

 

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 食堂車に行ってデニッシュとコーヒーを買い、眼鏡をかけた若くて愛想のよいシェフに聞く。

「ずいぶん空いていますね」

「この時期は、だいたいこんなもんですよ。観光客がほとんどいませんからね」

「列車がムースをはねてしまうことがあると聞きましたが」

「ときどきね」

「ムースがはねられるのを、オオカミがものかげでじっと待っているというのは、ほんとうのことですか?」

「ほんとうのことですよ。息をきらして獲物を追いかけるより、そっちのほうが楽じゃないですか。ぼくだって料理をするより食べるほうが好きですしね」。シェフはそう言うと、眼鏡の奥の両目をくしゃくしゃにして笑った。「あっ、それからコーヒーはおかわり自由ですよ」

 席にもどり、コーヒーの香りを楽しみながら、窓の外を見る。アラスカ州最大の都市を出発してから、まだ一時間もたっていないのに、すでに周囲の景色に人の気配はまったくといってよいほどない。

 アナウンスが流れる。

「乗客のみなさん、右側前方、木の頂を見てください。ハクトウワシがとまっています」。

 車窓の景色、車内のゆったりとした空気、車掌の顔ぶれ、なにもかもが三年前のままだ。

 

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 車窓を埋め尽くすトウヒの森。海岸に打ち寄せる波のように、おなじように見えて、しかし一瞬としておなじではない風景の果てることのない連なり。

 圧倒的な現実を見つめるうちに、少しずつ、少しずつ、アラスカが体にしみこんでくる。

 一八四五年、ロシア、アメリカ、イギリスがアラスカ東南部沿岸の豊かな海産物を奪いあっていたころ──当時、アラスカはまだどこの国の領土でもなかった──ヘンリー・ソローはマサチューセッツ州のウォールデン湖畔に小屋を建て、社会との関係を断ち、ひとり暮らし始めた。ネイチャー・ライティングと呼ばれるジャンルにおいて名著される『ウォールデン──森で生きる(ほかに『森の生活──ウォールデン』など、いくつかの邦題がある)』は、このときの二年間の経験をもとに書かれた。

『ぼくは囲いの外で語りたい。次第にめざめて行く人が、これまた目ざめつつある人たちに語りかけるようにだ』

 ソローの言葉を借りれば、いま、ぼくたちの住む世界は、情報という囲いに包囲されている。

 繰り返し吹きこまれる情報は錯覚を引き起こす。見たことも触ったことも匂いをかいだことも聞いたこともないものを、すでに知っていることのように思わせる。“旅”もあやうい。

 

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 政治、経済の両面において一種の飽和状態にあった西ヨーロッパの国々は、一七世紀に入ると、スペイン、ポルトガルの勢力の及んでいない北アメリカ大陸に続々と入植。先住民を追い払い、アフリカから運んできた奴隷を駆りたててミニチュアの国家を建設した。

 フランスはミシシッピ川全域を占領してルイジアナと名づけ、イギリスはヴァージニアとニューイングランドをつくり、オランダはハドソン川流域をニューネザーランドとして、その中心地をニューアムステルダム(現ニューヨーク)としたが、アラスカに積極的に踏み入ろうとする国はなかった。

 一七四一年、オランダ生まれのロシアの探検家、ヴィトス・ベーリングが、東南アラスカのシトカ付近に到着。このとき、ロシアに持ち帰ったラッコ、オットセイ、アカキツネなどの毛皮がアラスカをめぐる利権争いのきっかけとなった。

 

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 一九世紀の半ば、クリミア戦争ですっかり疲弊したロシアは、占有していたアラスカを七二〇万ドルでアメリカに売却。コロンブスのアメリカ大陸“発見”から約三七〇年後の一八六七年、アラスカの国籍が──もちろん先住民の意志を無視して一方的に──定められた。

“巨大な冷蔵庫”に膨大な量の金が隠れていることをアメリカが知ったのは一九世紀の終わり間近、一八九六年のことだった。最初にユーコン川の水源近く、次いでベーリング海に面したノーム、フェアバンクスの近郊のタナナ渓谷と、つぎつぎに砂金鉱床が発見され、空前のゴールドラッシュが始まった。

「もしも親友といっしょに金鉱を発見したら、おれはためらうことなく銃を抜く」

 そんな狂気を運ぶために、アラスカ鉄道は二三年の歳月をかけてつくられた。

 

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“植民”と“略奪”に埋め尽くされた南北アメリカ大陸の歴史において、唯一の例外がアラスカだった。

 西ヨーロッパ諸国は積極的に足を踏み入れようとしなかったし、ロシアは毛皮や海産物を大量に手にすると工場や家々を引き払い、金が掘り尽くされるとフェアバンクスの人口は激減した。(つけ加えれば、はじめてアラスカの大地に立ったアメリカの大統領はウォーレン・G・ハーディング。ロシアからアラスカを買い取ってからじつに五五年後の一九二二年、あちこちで砂金鉱床が発見されてからのことだった)

 どの国も略奪はしたが、ほんとうの意味での植民はできなかった。

 冬の寒さが厳しいからではなかった。農地に適した土地が少ないからでもなかった。社会という虚構を持ちこみ、根づかせるには、アラスカの大自然はあまりに広く深すぎたからだった。

 

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 いつのまに眠ってしまったのだろう。気がつくと、列車はまっ白な雪景色の中を走っていた。

 シートから腰を上げ、デッキに出る。

 半分眠ったままの頭に冷気がここちよい。

 遠くに連なる山々の、かすかな陰影を 含みながら、それでいて陶器よりも白い雪の白。目前の感情豊かな風景にくらべると、飛行機から見下ろすアラスカ山脈は造花のように思える。

 

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(アラスカ編、続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

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