日本一おいしい!沖縄の肉食グルメ旅

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#29

鼎談「沖縄そばと沖縄ラーメン」〈前編〉

鼎談・仲村清司×藤井誠二×普久原朝充

 

 

ラーメンが沖縄で受け入れられる理由 

 

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藤井:ところで、清司さん、その黄色いかぶりものは何なんですか?「チキンラーメン」の手ぬぐいを頭に巻き付けておられますが、フツーにアブないおっさんですよ(笑)。どこで手に入れてきたんですか?

仲村:あのねえ、キャラクター・バンダナといってほしいなあ。

普久原:そのバンダナの巻き方だと、キャラクターのひよこちゃんの目の部分が……。藤子・F・不二雄先生の『パーマン』みたいになっていますね(笑)。

仲村:今回の鼎談のために横浜の「カップヌードルミュージアム」でわざわざ買ってきたんだよ。このバンダナはチキンラーメンの創業者にして開発者の安藤百福さんに敬意を示すための証。ミュージアムの中にはファクトリーがあってチキンラーメンを実際に作りながら、インスタントラーメンの歴史も調べてきた。

普久原:そうだったのですか。麺が関わるとなると熱心ですね。それにしてもその姿は、一度、鏡をご覧になったほうがいいです(笑)。

仲村:顔から火が出るほど恥ずかしい(笑)。

 

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チキンラーメンのバンダナを手にする仲村隊長

 

藤井:その安藤百福さんが監修された『進化する麺食文化: ラーメンのルーツを探る』(フーディアム・コミュニケーション/1998年)という本があります。その本のなかで、奥村彪生さんという食文化研究家の方が、灰汁を使っていたのは沖縄がいちばんで、それは福建省との交流があったと書かれています。

《灰汁を使ってコムギ粉を練り、麵棒で押し広め、それを折りたたんで包丁で手切りする沖縄そば(すば)がかつての琉球に登場するのは明治中期以後のことだといわれています。もともと中国人がその店を開いていたらしいのです。その中国人はおそらく福建人でしょう。なぜなら、琉球王朝が栄えたころ、中国から琉球に来る使節=冊封使たちを歓迎する宴会料理を作るために、琉球王朝の料理人たちは福建省に料理を学びにいきました。

 また冊封使に随行してきた料理人にも学びました。しかも民間の交流もさかんでした。そんないきさつがあって現在の沖縄料理には、福建系のものが多く息づいているのです。そば(すば)もその一つです。

 沖縄では福建系の灰汁でコムギ粉を練り、幅広く切った麵をたんに「すば」と呼びました。明治末期から大正、昭和初期にかけてヤマトすば、支那すばと呼び、前者はヤマトンチュ(本州や九州四国の人)が作ったもの、後者はウチナンチュ(沖縄の人)、あるいは福建や台湾の人たちが作ったものです。大正七、八年ころに「琉球すば」と名称変更するようにと警察から指導があったそうです。(中略)日本で灰汁入りの麵を食べた先駆けは沖縄の人たちだったのです。》(同書より)

『ラーメンの文化経済学』(奥山忠政/芙蓉書房出版/2000年)でも同様の記述があり、《沖縄スバに関して注目すべきは、麺に本来的に灰汁(あくじる)を使っていたということである。灰汁は、鹹水に代わるものとして福建省あたりではよく使われていた。チャンポンが生まれた長崎では「唐灰(とうあく)」という名で輸入もされてもいた。面白いことに他県ではこれを「カンスイ」と呼んでいた。小麦粉を練るのに鹹水様のものを使っていたという意味で、沖縄スバはラーメンの先輩ということができる。》と書かれています。

 スープは別にして麺自体はラーメンが受け入れられる素地が歴史的にあるわけですな。沖縄がラーメン県になるのは遠くない。

普久原#14「美味な男と女の隠し味」でもラーメンが沖縄そばを追い越すのではないかと結論づけていましたけれど、どうなんでしょうね。確かに、沖縄では今まで美味しいラーメン店が少なかったこともあり、これまでは沖縄そばの独壇場でした。でも、実際のところ選択肢が増えたという話で、結局、両方食べるように思うのです。僕には沖縄そばが無くなるようには思えないですね。それと、競争環境ができたことで、沖縄そばも美味しくなっている気がします。

仲村:うむ、まず僕らはラーメングルメではないことを宣言してから語りたいね。ラーメンを語りだすと、日本人は家系だのご当地ものだの、やれ背脂はとか、やれ煮干しがどうしたこうしたと、一億総グルメになるでしょ。ここはあくまで冷静に麺類の歴史や特徴を議論したいね。

藤井:清司さんにしては真っ当すぎることをいいますね。いや、ぜひそうありたい。

仲村:たとえば、長崎のちゃんぽんは灰汁を使っていて麺も丸いけど、実は沖縄そば文化圏でも八重山そばは中太の丸麺です。しかも、先ほど指摘があったように長崎のちゃんぽんと同じくかん水を使わず、灰を水に溶かした唐灰汁と呼ばれる上澄み液で打つ。要するに、どういうわけか長崎のちゃんぽんと八重山そばは共通項が多いんだよ。

藤井:八重山そばに歴史の源流を見ますね。

普久原:もともと灰汁ってかん水の代用品ですよね。それにもかかわらず、木灰などの灰汁にこだわるのは、灰汁にしか出せない粘りやコシがあるのですか?

仲村:うん。沖縄の麺は小麦粉に灰汁と油を混ぜてこねると化学反応を起こして独特の食感が出るんだね。沖縄には本土のように「コシがある」という言い方はないし、昔はいまほど麺のコシにはそれほどこだわっていなかった。

藤井:ほう、それは興味深い。

仲村:というのも、沖縄には昔から「そばはだしけーむん」という言葉があって、「そばはダシでたべるもの」といわれてきたんだね。つまりは麺よりもダシ。言葉通り、最後の一滴まで飲み干せるダシが上等とされた。だから、豚骨の強いダシではきついものがある。豚骨系のこってり味より、鰹節でとった透明であっさりしたダシが人気で主流になっている理由もこれで紐解ける。

 

沖縄そばを特徴づけるダシと薬味 

藤井:豚の話にちょっと戻すと、那覇のむつみ橋の角にある『かどや』が豚骨味ですね。あっと言う間にそばが出てきて、替え玉もできる。豚骨ラーメン屋みたいだと思った。

仲村:敗戦から数年して大人気になった大盛りそばの祖、『びっくりそば』(閉店)も豚骨だったらしい。当時は鰹ダシが強い味と、こってり味の豚骨ダシに分かれていたようだね。あの頃は食糧不足時代だから、腹持ちのいいこってり味の豚骨ダシも好まれていたということじゃないかな。『かどや』は後者の流れでしょう。

藤井:沖縄は豚骨も使うけど、三枚肉のブロックを茹でてそれをダシ汁にして、それを鰹ダシと合わせるやり方もありますよね。

仲村:そう、骨だけの場合とブロック肉を茹でて取るダシもあります。ソーキ汁は後者ですね。いずれにしても、白濁するまで豚骨を茹でるいわゆる豚骨ラーメンのダシとはまるで違う。やや濁っている程度かな。豚の香りもほのかに立ち上ってくるぐらいです。でないと、「そばはだしけーむん」の言葉にあるようにスープが飲み干せなくなる。

藤井:薬味も特徴があるね。ラーメンは胡椒だけど、八重山ではピーヤーシ。沖縄そばや宮古そばはコーレグースか、一味か七味。それも大きな違いだね。

普久原:僕は、ピーヤーシは苦手です(笑)。

仲村:元東京農大の小泉武夫先生はピーヤーシのことを、どこか猥雑で女性を感じさせるようなにおいがすると表現しておられた。僕は沖縄の子だくさんの理由はそこにもあるかもしれないと書いたことがあるけど(笑)。

藤井:性的なフェロモンを感じさせるということですね。スパイスはエロスですからね。ぼくは石垣島とか八重山の離島で自生しているピーヤーシを持って帰り、栽培したことすらありますよ。ぼくはそれぐらい好き。

 

 

沖縄そばの起源 

普久原:今回、藤井さんがラーメンをテーマにされるということだったので、一応、沖縄そばの起源についても調べてきましたよ。現在、史料で確かめられている最も古い記録は、明治35年4月の新聞広告ですね。「清國ヨリ料理人ヲ招キ」とあります。『琉文手帖』主宰の新城栄徳さんが戦前の新聞広告などの記録を丹念に調査された成果として、1994年2月22日の琉球新報に「沖縄そば/明治40年ごろ独自の味定着」などのように紹介されていました。

藤井:もう一つの『沖縄そばに関する調査報告書・第1集』(サン食品/1982年)という資料には、まず「黒いソバ」を売る店が出てきて、それに対抗するように「黄色いソバ」が出店したという話があるね。

普久原:今後、新資料が発見されれば変わる可能性もあるのかもしれませんが、どうも日本蕎麦を供するお店のほうが先だったようです。当時は、一旗揚げようと本土からの商人が那覇で新しいスタイルの店を構える例が多かったみたいですね。ところで、この沖縄初の支那そば屋とされる店ですが、『琉球花街辻情話集』(沖縄郷土文化研究会/1973年)にも記述がありました。

《序に書き添えておきたいのは那覇における支那そばの濫觴ともいうべきは西の十文字通り側の我那覇の本門の右に福永義一と云う写真師が居たが、此人が何日の間にか支那料理屋を開業しでっぷり肥った弁髪の支那人を料理人として大阪から呼寄せ正真正銘の支那そばを食わした事を覚えて居るが、夕方に警察署前から十文字通りに行く時など彼の香味高い食慾を唆る葱や豚肉を油でいためる匂いに鼻をぴくつかしたのは今でも忘れられない。》(同書より※編集部注:濫觴(らんしょう)=物事の始まり、起源の意)

仲村:寄留商人が大阪から中国人の料理人を連れてきたのが始まりなのか。ラーメンとは親戚どころか、兄弟関係だったんだなあ。

藤井:その後、明治40年ごろに「唐人そば」と呼ばれた『観海楼』と、「ベーラーそば」と呼ばれた『比嘉店』が競い合ったというエピソードがあるようだね。べらべらとホラを吹くというので「ベーラー」と呼ばれていた比嘉店が、福州人の料理人の店に勝ったことになっている。この頃に沖縄の味として定着したと考えられているね。

仲村:「ベーラーそば」の後に、さらに二段階変化しているんだよ。まず具が変わって、その次にスープが変わった。辻のジュリだったとされるウシンマーが、現在も沖縄そばの具として欠かせないカマボコを使うようになる。この「ウシンマーそば」は、ピーヤーシも加えていたり、具を短冊状に細かく切っていたりしたことから、八重山そばの系譜に繋がると考えられているね。

 他にも『ゆたか屋』が紅ショウガを使うようになるけど、スープにも変化をもたらしたとされている。それまでの沖縄そばは醤油ベースで黒いスープだったのだけど、ゆたか屋のスープは白かった。今考えるとなんてことない塩ベースのスープなのだとわかるけど、他の沖縄そばの店主はこぞって白いスープの偵察に訪れたそうだよ。それで、当時のゆたか屋の店主は客に「白い醤油を使っている」と言ってごまかしていた。

普久原:それを聞いて、ありもしない白い醤油を買いに本土まで探しに出かけたという涙ぐましい話まであるそうですね(笑)。スープのダシについては、『波打つ心の沖縄そば』(まぶい組/沖縄出版/1987年)に興味深い証言があります。戦前から戦後にかけて人気だった『井筒屋』の主人のインタビューが載っているんです。

《戦前はね、例えば親子どんぶりが出ますよね。その時トリを潰すんだよね。それでそのトリは、そばだしに入れると大変うまくなったね。そばだしはどういう風に作るとうまいかというとトリを潰して入れることだね。但し、ブロイラーはだめですよ。戦前の鳥は入れるとね、黄色い油が張ったもんだよ。》(同書より)

 つまり、当時は、そばだけでなくサイドメニューの売れ行きも重要だったようなんです。カレーライス用の牛肉の残りとして、牛のスペアリブをそばダシとして使ったりもしていたそうです。

藤井:それは意外だね。

普久原:もちろん、基本は醤油と鰹ダシと豚肉ですよ。

 

(「沖縄そばと沖縄ラーメン」、次回後編に続く)

 

*本連載シリーズを大幅加筆した単行本が、双葉社より6月に発売予定です。お楽しみに!

 

*本連載は、仲村清司、藤井誠二、普久原朝充の3人が交代で執筆します。記事は月2回(第1週&第3週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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仲村清司(なかむら きよし)

作家、沖縄大学客員教授。1958年、大阪市生まれのウチナーンチュ二世。1996年、那覇市に移住。著書に『本音の沖縄問題』『本音で語る沖縄史』『島猫と歩く那覇スージぐゎー』『沖縄学』『ほんとうは怖い沖縄』『沖縄うまいもん図鑑』、共著に『これが沖縄の生きる道』『沖縄のハ・テ・ナ!?』など多数。現在「沖縄の昭和食」について調査中。最新刊『消えゆく沖縄 移住生活20年の光と影』発売。

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藤井誠二(ふじい せいじ)

ノンフィクションライター。1965年、愛知県生まれ。8年ほど前から沖縄と東京の往復生活を送っている。『人を殺してみたかった』『体罰はなぜなくならないのか』『アフター・ザ・クライム』など著書や対談本多数。「漫画アクション」連載のホルモン食べ歩きコラムは『三ツ星人生ホルモン』『一生に一度は喰いたいホルモン』の2冊にまとめた。沖縄の壊滅しつつある売買春街の戦後史と内実を描いたノンフィクション作品『沖縄アンダーグラウンド』を2017年に刊行予定。

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普久原朝充(ふくはら ときみつ)

建築士。1979年、沖縄県那覇市生まれ。アトリエNOA、クロトンなどの県内の設計事務所を転々としつつ、設計・監理などの実務に従事している。街歩き、読書、写真などの趣味の延長で、戦後の沖縄の都市の変遷などを調べている。最近、仲村と藤井との付き合いの中で沖縄の伝統的な豚食文化に疑問を持ち、あらためて沖縄の食文化を学び直している。

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