東南アジア全鉄道走破の旅

東南アジア全鉄道走破の旅

#28

ミャンマー国鉄の迷路〈5〉

文・下川裕治 写真・中田浩資 

夜行列車の生き物たち

 ミャンマーの未乗車区間はまだまだ残っていた。効率よく乗車したいが、なかなかうまく路線を組み合わせることができない。地道に潰していくしかない。
 マンダレーからどちらに向かうか。
 少し迷ったが、北に向かうことにした。ミャンマー最北端の駅、ミッチーナをめざす。距離とミャンマーの列車の速度から考えると、夜行列車になる。
 マンダレーからミッチーナへは山岳地帯に分け入っていく路線である。山が険しく、道路の整備も遅れているのか、バス便がなかった。頼りは列車か飛行機になる。1日4本の列車が運行していた。選んだのは55UPという夜行列車。朝の5時15分にマンダレーを発車する。到着は翌朝。ほぼ24時間の列車旅だ。
 寝台車を選んだ。運賃は1万1350チャット。ローカル線を乗り継いできた身には桁違いの高さである。椅子ひとつではなく、ベッドひとつなのだから、このぐらいは仕方ないか……と呟きながら、日本円に換算してみる。約976円。1000円もしなかった。ミャンマーの列車はアジアでいちばん安い。これだけは確かだった。
 ベッド4つのコンパートメントスタイルだった。同室になったのは、幼い子供を連れた女性とその父親らしい男性だった。男性はこの路線に何回も乗っているようで、どこで買ってきたのか、朝食用の肉まんを頬張りながら、荷物をベッドの下に詰めている。
 しかし僕らにはその前にすることがあった。ベッドの掃除だった。数えきれないほどの虫の死骸があったのだ。前夜の運行中か、駅に停まっているときに入り込んだのだろう。ミャンマーの列車には冷房はない。窓はいつも開いている。電灯の明かりに誘われて入ってきてしまう。ベッドを拭いている間に、列車は静かに発車した。ミャンマーの夜行列車の趣ということか。
 列車は北上する路線を進む。途中のキンウーまでは、前日の深夜、マンダレーに向けて乗った道筋である。日本の車両がそこそこのスピードで南下した路線を、ミャンマーの列車がのろのろと遡っていく。キンウーを過ぎ、しだいにこんもりとした山が近づいてくる。
 昼を過ぎ、カウリンでしばらく停車した。中田カメラマンは、同室のおじさんに誘われて列車を降り、ビニール袋入りのミルクティーを買ってきた。駅舎を出たところにある市場で売っていたという。ミャンマーの駅は、田舎にくると、出入りが自由になる。ホームに物売りがいなくてもなんの問題もない。
 しかしビニール袋入りのミルクティーは飲みにくかった。熱いのだ。それをストローで吸う。冷めれば飲みやすくなるのだろうが、生ぬるいミルクティーというのもいただけない。悩みつつ、ひと袋約26円のミルクティーをチューチュー吸うしかない。
 列車はしだいに高度をあげていった。谷に架かる老朽化した鉄橋をゆっくり進む。両側の山々がしだいに線路に近づいてくる。傾いた日が、濃密な森の木々を照らしている。
 やがて虫との格闘の時間がはじまった。車内の電灯がともると、まるでそれを待っていたかのように虫が飛び込んでくる。途中駅で買った駅弁を広げるのだが、そこにもウンカや羽虫が落下する。それをつまみだしては箸を動かす。なかなか食べることに集中できない。ふと、視線を横切る黒いものがあった。
「ネズミ?」
 向かいに座るおじさんが笑っている。ミャンマーの車両には、いったい何種類の生き物が入り込んでいるのだろうか。人間はその一部にすぎない。そんな気になってくる。夜も更けても、飛び込んでくる虫の数は減らない。列車は無数の虫を乗せて、山あいの線路を粘り強くのぼっていくのだった。

 

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カウリン駅の駅弁屋。おかずを選ぶことができる。世界一の駅弁?


 ミッチーナに着いたのは朝の5時だった。
 この街が一般の外国人に開放されてから、そう長い年月が経っていない。しかしその前から、この街に入ることができる日本人がいた。第二次大戦時にこの街に駐留した日本の兵士たちだった。遺骨収集が目的だった。
 ミッチーナは激戦地のひとつだった。日本軍が、当時はビルマといったミャンマーに侵攻した理由は、援蒋ルートを遮断することだった。このルートを通り、イギリスやアメリカは武器をはじめとする援助物資を、蒋介石率いる中国国民党に送っていた。シャン州を通るビルマ公路、そしてミッチーナを通るレド公路が知られている。日本軍はミッチーナを占領するが、大戦末期にはイギリスやアメリカの激しい攻撃に晒されることになる。軍上層部の指示に反して、兵士を撤退させた水上源蔵少尉の決断は、戦後の日本では美談にもなった。
 元日本兵が寄進した涅槃仏が、ミッチーナを流れるエーヤワディー川沿いにあった。その近くでは、雲南麺とシュウマイの店がにぎわっていた。店のおばさんは、両親が雲南省から移り住んだと話してくれた。
 もう、中国は近い。エーヤワディー川の川風がそう教えてくれる。

 

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ミッチーナ駅。軍事政権時代を思わせる殺風景な駅だった

 

 

※地図はクリックすると拡大されます

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*2012年のミャンマー鉄道旅行記は、双葉文庫『不思議列車がアジアを走る』に収録されています(第三章ミャンマー ヤンゴン環状線「窓ガラスのない木造列車は、南国のスコールも吹き込む」)。そちらもぜひお読みください。

 

 

*本連載は月2回(第2週&第4週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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著者:下川裕治(しもかわ ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。著書に『鈍行列車のアジア旅』『不思議列車がアジアを走る』『一両列車のゆるり旅』『タイ語の本音』『世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ』『「裏国境」突破 東南アジア一周大作戦』『週末バンコクでちょっと脱力』『週末台湾でちょっと一息』など、アジアと旅に関する紀行ノンフィクション多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。WEB連載は、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週日曜日に書いてるブログ)、「クリックディープ旅」(いまはユーラシア大陸最南端から北極圏の最北端駅への列車旅を連載)、「どこへと訊かれて」(人々が通りすぎる世界の空港や駅物)「タビノート」(LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記)。

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