ブルー・ジャーニー

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#28

カナリア 風の中の島々〈3〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

絵のような

 

 風の中の島々の、もっとも風が吹きすさぶ場所に立つ。

 カナリア諸島のひとつ、テネリフェ島の南にそびえる火山、テイデ山。

 その山頂、標高三七一八メートルは大西洋の最高地点。

 壊滅的な噴火を繰り返すこの山を、先住民グアンチェ族は“Echeide(エチェイデ=地獄)”と呼んだ。

 アフリカの砂漠から絶え間なく立ち上り、東の風に乗って吹き寄せる空気は、乾いて澄み切っている。

 雲、海、茶色い山肌、目に映るすべてのものが、鮮やかすぎるほど鮮やかに目に映る。

 

0301

 

 

 一四九二年八月九日、第一回目の航海の途中、テネリフェの沿岸に停泊したクリストファー・コロンブスは、その日の日記に書き付けた。

「高くそびえ立つ山の峰から、火が強く燃え出ているのが見えた」

 山肌を流れる真っ赤な溶岩。不気味な光と轟音、めらめらと燃え上がる炎と煙。大地を揺るがす恐ろしい力。かつてシシリー島でエトナ山の噴火を目撃したコロンブスは、恐れおののく船員たちに、火山は地獄ではないことを説明し、動揺を沈めなければならなかった。

 コロンブスから約三〇〇年後の一七九九年、二九歳のドイツ人、アレクサンダー・フォン・フンボルトがスペインの港、ラ・コルーニャから、南米大陸探検旅行に出航した。

「ごく若いころから、ぼくには、ヨーロッパ人がめったに訪れたことのない遠い土地に旅したいという衝動があった。地図を調べ、旅行記に目を走らせていると、秘密の魅惑をかきたてられ、それが時には耐えがたいまでにたかまるのだった」

 

0302

 

 ゲーテの情熱をかきたて、ダーウィンをビーグル号乗船に駆り立て、ナポレオンと並んで名を知られた博物学者、フンボルトの核を成していたのは「なぜ?」だった。経験や知識に鍵をかけ、なぜこの場所にこの花が咲いているのか、なぜ空がこんなに青いのか、目前の光景に白紙の自分を投入することだった。

 南米大陸に向かう途中、フンボルトはテネリフェ島に上陸。

「ここにあるすべてが深い孤独を示している」

 一週間滞在し、テイデ山に登ったフンボルトは、こう書き残した。

「テネリフェ島の火山の頂への旅が興味深いのは、単に私たちの科学的調査の対象となる現象が多いという理由によるだけでなく、自然のすばらしさを強く感じる人に供された絵のような美しさによる魅力がさらに大きいからである。こうした感動を描写するのはむずかしい課題であって、何か明確にできないものをもつだけに、それは一層強く作用しているのである」

 

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 五年間、一万五千キロメートルに及ぶ南米大陸探検をまとめた『新赤道地方紀行』全三〇巻。未知の世界に接触したときの感動を現すとき、フンボルトは「ピクチャレスク=絵のような」という言葉を、数多く使った。

 大半がフランス語で書かれたフンボルトの『新赤道地方紀行』を英訳した──フランス革命時にイギリスからパリに移住、革命共鳴者だったために何度も投獄されながらもフランスにとどまった──ヘレン・マライア・ウィリアムズは言った。

「この旅行者のなんと幸せなこと! かれは自然法則を解明する一方で、自然の崇高さに打たれ、いたく熱狂して自然の歩みにしたがう」

 晩年、フンボルトは、こうこぼした。

「人びとはなにかというとぼくに言うんだ。ぼくはあまりにも多くのことに、それも同時に、好奇心を持ちすぎるってね──植物学、天文学、比較動植物学といった具合に。でもね、自分を取り囲むすべてのものを知りたい、受け入れたいという欲望を抱く人間に、それを実際に禁じることができるとでも思うのかい?」

 南米大陸行のために用意された四〇余りの機器のひとつ、空の青を計測する“シアン計”。フンボルトは、このカナリアを吹き抜ける風の中にシアン計を差し出したのだろうか。

 

0304

 

 カナリア諸島で、海に瓶を投げ入れると、風に吹かれ、海流に乗り、やがてカリブ海にたどり着く。

 グレゴリオ・フェンテスは、一八九七年、カナリア諸島のひとつ、ランザローテ島に生まれた。父親は船のコックだった。

 四歳のとき、「ランサローテの港のお偉方」に聞かれた。

「こっちへおいで、坊や。おまえは、どうやって国王さまのお役に立つつもりだね? 海でかね、陸でかね?」

「ぼくは海が好きです」

 その年、父親とカリブ海に向かう帆船に乗りこんだが、途中で父親が死去。たどり着いたキューバでカナリア系の移民に育てられ、漁師となった。

 四四歳のある日のことだった。悪天候に見舞われ、キーウエストから一〇〇キロ余りのところに浮かぶ珊瑚礁の島、ドライ・トルゥーガスに停泊していると、アニータ号が避難してきた。水先案内人が使う信号機のような赤と黒のチェックのシャツを着たグレゴリオは、アニータ号に乗っていたヘミングウェイとその友人を自分の船に招待、ヘミングウェイのもっとも好きな取り合わせ、ラム酒とオニオンをふるまった。

 七年後、グレゴリオは、ヘミングウェイの船ピラール号の船長──ヘミングウェイ曰く“エル・ピラール・デル・ピラール(ピラール号の支柱)”──となった。

 

0305

 

 ふたりきりのある晩、ヘミングウェイはグレゴリオに聞いた。

「きみは友だちってどういうものか知っているかい?」

「あんたとわしは友だちでさあ」

「友だちは親兄弟よりもすばらしいものだ。ひとつの友情というのは、つまり共有したひとつの過去ってことだ。きみとわたしはこのピラール号の上に二七年もいっしょにいた。きみやわたしがどの国の出身であるかは、問題じゃない。ある日、きみとわたしが出会った。きみはきみの人生を引きずり、わたしはわたしの人生を引きずって。ふたりの友だちはふたつの人生がひとつに合流したものなんだ」

「友だちは鎖みたいなものさ」

「わたしたちはすばらしい船を持っているね、グレゴリン(ヘミングウェイはグレゴリオをいつもそう呼んでいた)。わたしたちはこの船の上で、たくさんのあらしを切り抜けてきたし、ガルフ・ストリームのなかでたくさんの魚を釣ってきた。ドイツ潜水艦を追いかけもした」

「わしに考えがあるんだ。わしらのどっちが先に死ぬか知らんが、もしあんたが先に死んだら、わしがこの船の面倒をみよう。わしはこの船を(ヘミングウェイの家がある)フィンカ・ビヒアに持って行って、これをガラスの家のなかに入れることにする」

「そうかい。それはいい考えだ。うん、実にいい考えだ」

 先に死んだのはヘミングウェイだった。

 

0306

 

 コロンブスがテネリフェ島をあとにしてから約五二〇年。地球上のありとあらゆる場所に足跡が刻みこまれた。人類誕生からこれまでの歴史を一日とすれば、四秒前に生まれたインターネットが「未知」を消し去った。マウスをクリックすればエベレストの頂上から眺めることができるし、世界中の食卓につくことができるし、南国で熱帯魚を追いかけることができる。

 だが「旅」は情報や事実の確認ではない。情報や事実の下に流れる物語のページを、畏れをこめてめくり、行間に立ち尽くし、なにか大切なことを見落としたように思えて前にもどる。そのプロセスが「旅」であり、目的地に到着することにそれほどの意味はない。

 岩と沈黙に支配された、圧倒的な景色。

 一瞬として立ち止まることなく、淀むことを知らない風。

 物語はどこに向かうのだろう。

 

*引用参考文献『ヘミングウェイ キューバの日々』(ノルベルト・フエンテス著/晶文社刊)

 

 

(カナリア諸島編、次回に続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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