三等旅行記

三等旅行記

#27

巴里の生活Ⅱ

文・神谷仁

 

仏蘭西人は、日曜と祭日を太陽のやうにうれしがる国民だ

 

 

 

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<巴里案内 (前回続き) >

 

私は仏蘭西の女学生にはあまり知己がなかつたが、仏蘭西語を習ひたい広告を新聞に出したら、六十人ばかりの申込みの半分が、女学生であつたのに驚いてしまつた。で、十七歳になる家政女学校の女学生に来て貰つて、私はかなり長い間、レツスンを続けて行く事が出来た。

 此お嬢さんはブルタアニユ生れの海臭い娘さんだつたが、非常に真面目で、自分で判らない事はわざわざ先生に聞いて来てくれたりして教へてくれた。それに日曜日は帽子屋の売り出しに務めてゐたり、仲々の働きものでもあつた。

「貴女の宗教は?」 と彼女は初めにかう尋ねる。で、私は周章して仏教だと云ふと、「方丈記を教へてほしい」と云い出したのには驚いてしまつた。 日本人を教へるには、日本の事を少しでも知らなくてはならないとソルボンヌ大学の東洋の宗教と云ふ課外教室へ通ひ出したと自慢して話してゐた。 何としても十七歳の先生が此様に真面目で、生徒の私が、呑気なのには、閉口頓首のかたちであつた。

 たまに私が台所をしてゐる時なぞ来ると、此可愛い先生は、さつそく二ツ三ツ料理をつくつてくれたり、全くいゝ友人でもあつた。

「私の理想は自分の働いた金でお前の国へ行つてみたい事だ」 これが十七歳の娘の理想で、結婚はどう考へてゐるかと聞くと、文明がこんなに私達若い者を楽しませてくれるのだから、急ぐ事はないと云つてゐた。「男の友達は沢山ありますか?」 と尋ねると、「男も女も沢山友達がある」と威張つてゐた。

 巴里では二度困つて質屋と云ふものに飛び込んだ事があるが、初めは、市民権を取つてゐなかつたので断はられ、二度目はパスしたものゝ全く安くてお話にもならない。 まるでお役所のやうなところで、日本と違つて市営ばかりなので、あのやうにケンシキが高いのであらう。

 私が持参したものは、絹の日本着物であつたが、値をつける爺さんは、「これはまさに歴史的だ」と云つた。なる程、日本の女着物を持ち込んだものはおそらく私が初めてゞあらう。 沢山の行列の眼は、珍らしさうに、赤い絹の着物に集つて、「おゝ美しい!」とさゝやいてゐた。だが、美しくはあつても役にはたゝないので、貸してくれた金は着物三枚で、五十法あまり、約五円位ででもあつただらうか。私は此金で長い間断食する事から救はれた次第であつた。

 パイプを置きに来てゐる老人だの、クンシヨウを胸に飾つた男がピアノを持ち込んでゐたり、銀のフオクに肉刺しを十本ほど置きに来てゐるお上さん。天井の上には、ランプや蝋燭立のやうなものまでぶらさがつて、実にお伽話のやうな長閑な風景ではあつた。 だが、この五十法を借りて質屋を一歩出ると、怪し気な男が、いつまでもついて来て、質屋なんかに置くより、俺に売つてくれた方が、高価に買うと云つて来る。 「ノンノン、あの着物は再び着なければならないから」と片言混りに云つてやるのだが、此古物買ひは、お前の部屋に東洋の珍奇なものはないかと、あくまでしつこい。で、こんな奴の言葉にひつかゝつてうまうまと引つかゝらうものなら、質屋よりも二束三文で持つて行かれてしまうと云ふ話であつた。利子は日本と同じで四月目四月目の払ひらしい。

 銀座なんかへ行くと、蝋紙に包んだ、十銭の花束を可愛い娘達が売つてゐるが、あの十銭の花束は、よつぽど所帯臭いものでなければおそらく買つて行かないだらう。気の利いた散歩人達は、あの十銭の花束をかゝえて歩く気もしないだらうが、一ツ巴里の真似をして、銀座人の胸を飾る花束をつくつて売る娘達はゐないものだらうか。 巴里の夕方の散歩道には、菫やカアネヱシヨンや薔薇を二三輪藍玉のやうに円く束ねて道行く女連れの男達にしつこくつきまとつて来る。すると男達は、新聞を買ふ程の小銭で、その花を買ひ、女の胸に或ひは自分の胸に飾つて散歩するのだ。 花と云ふものがこゝまで、進出して来れば、何と街は花の匂ひであふれる事であらうか。 一人で歩いてゐてさへ、淋しくなれば、此花束を買つて私は胸にさして楽しんで歩いた。

 巴里は、草花の多い街であるし、女も男も草花の私情をよく心得てゐる。 日本の百貨店程、広告術の下手なところはないだらう。 その月々に、何を力点にして売り出すと云ふモツトウがないので、いつも新聞広告には蔵払ひ大売出し式の文字ばかりで、A百貨店もB百貨店も同じに見えて仕方がない。

 私が巴里へ行つた月は丁度秋の十一月で、クリスマスが近いせゐか或るマガザンは玩具の月であつたり、又、他のマガザンは、子供服の月であつたり、或ひは手袋ばかりを主にした店なぞもあつて、その店々で仲々面白い好みを示してゐた。又、入口や出口には、その店の無料月刊雑誌が置いてあるので、自由に買物を調べる事も出来るし流行を知る事も出来、又、その店がその月のおもになつて売り出してゐる品物も知る事が出来た。 それに、クリスマス前になると、巴里の百貨店達は、いつせいに日記帳を売り出す事になつている。日本で買えば二三円はするだらう日記が、たつた三十銭あまりで売り出されるので、此日記の売場は大変なひとだかりであつた。 私が、ボン・マルセヱで買つた日記帳は表紙は銀色、模様は一輪の赤い花で、大きさは婦人雑誌の二倍大、一頁をめくると、先づ店の主意が書いてあり、店の写真が出てゐる、第二頁は花言葉、第四頁は女流芸術家達の一寸した言葉と写真、日記をつける余白にはかならず店の商品をつかつてゐる美しい絵が描いてある。夏ならば、海水着を来た女が、砂に寝転んでゐる図や、旅を賛美した詩などが書いてある。此広告が三百六十五日間の日記の余白に絵になつてゐるのだから、とても美しい。その絵も同一人の手になつてゐるので、此広告絵はさう苦にならないのだ。 終りには巴里の大きな地図がつき、仲々抜目のない広告法であると考へる。

 又、巴里の百貨店では、貧民相手を主にしてゐる店や、男ばかりしか売らない店、又上流相手ばかりのなぞ、仲々考へた百貨店が多かつた。

 巴里の街でも、町内々々で時々祭りのある事は日本と似てゐて、四ツ角には、子供の木馬がかゝつたり、風琴屋が出たり、づぼんつりを売る香具師が出たり、仲々賑はふ。 玉転がしも、私の楽しみに待つ遊びのひとつであるし、お菓子屋、果実屋、パンジユウ屋、小さな並木街は玩具箱をひつくり返へしたやうになる。 又公園の入口などには、鉄アレイを持つた力持ちの芸人が店を拡げたり、漫画雑誌を売る女が、面白い身振りで、通行人を皮肉つたり此様な祭気分は、日本の町内の祭気分と少しも違はない。

 仏蘭西人は、日曜と祭日を太陽のやうにうれしがる国民だ。日曜日になると、魚屋も肉屋も八百屋も午前中で店を閉めてしまふので、初めて行つた当座は、大変不便なところだと感じるが、馴れて来ると、仲々規則だつて気持ちがいゝ。 日本の夜更けのやうに、一寸いつぱいのおでん屋風のものもなければ、夜の十一時までも開いてゐる食料品屋は、血眼に探してもみつからない。 時間から時間へと云つた感じの巴里だが、只、キヤフヱだけは夜明し店が多くて、旅行人には何より便利に感じるものゝ一つであらう。日本のキヤフヱのやうに女をおいたキヤフヱなどはないので、チツプの心配もなく、安心して休息出来るのが、巴里での一番楽しいものであつた。

 これから、秋近くなつて来ると、辻々に大きな鉄釜の中で焼栗がはじけて香る頃となるだらう。 「熱い熱い焼栗! お前さんの心より熱い焼栗!」 気の利いた焼栗屋のおやぢさんが、こんな風に呼び売りしてゐる。

 あのなつかしい巴里の焼栗の事を思ふと、若い美しい巴里女が、枯れかけたマロニヱの並木道を、ムシヤムシヤ、焼栗を頬ばつて歩いて行くのを、私は愛なしく思ひ出すのだ。 

 

 

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< 解説 >

 

 ベストセラーとなった『放浪記』の印税を手にヨーロッパへと渡った芙美子は、その昭和6年の11月から昭和7年の6月まで、約7カ月の旅の間、かなり切り詰めた生活をしていた。

 今回の文章にもあったように、日本から持って行った着物を質屋などにも持って行くこともあり、出版社などには原稿料の前借りなども行っていた。この時期には一時、栄養不足のため視力が減退したこともあったようだ。 三等列車での移動に貧乏生活。 現代に置き換えて言えば、格安チケットで海外放浪をするバックパッカーのような生活を送っていたわけである。

 

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巴里の街かど

 *パリの街角に立つ芙美子。この時は洋服だが、和服で街を歩くこともあったようだパリの辻の花屋。芙美子はこのような街の花売りから花を買ったりするのが好きだった(写真提供:新宿歴史博物館)

 

40巴里日記表紙

*芙美子がデパート「ボン・マルシヱ」で購入した日記帳(写真提供:新宿歴史博物館)

 

 

 小遣い帳2

 

* ph01 芙美子がパリでつけていた小遣い帳の1ページ。事細かに買った物や支払ったお金の金額が書き留められている。「日仏銀行に行き持参の米ドルをフランになおす。かみくづ(ず)みたいだ」の感想がおもしろい (写真提供:新宿歴史博物館)

 

 

 

 

 
                         

                                                         

      *この連載は毎週日曜日の更新となります.次回更新は2月19日です。お楽しみに。           

 

                     

 

 


 

                                                                                                 

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林 芙美子

1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。

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