越えて国境、迷ってアジア
#26
香港~マカオ
文と写真・室橋裕和
中国にあるふたつの特別行政区、香港とマカオ。フェリーで結ばれたふたつの区を越えていく。その際のお供となるのは、たくさんの若者を旅に誘った伝説の書籍、沢木耕太郎著『深夜特急』だ。そこに描かれた当時の息吹がまだ残る場所を、探し歩いていく。
重慶大厦の安宿
かの名著『深夜特急』にハマッて旅人生を歩み始めてしまった僕は、その日もやはり重慶大厦(チョンキンマンション)にいた。小さなベッドにかろうじてシャワートイレがつき、これらをコンクリ壁で囲んだかのような独房スタイル。ベッドの上部にはいちおう申し訳程度の小さな窓があったが、そこからは隣接するブロックの部屋が間近に見えた。壁はもとの色がなんだったのかわからないほど汚れ果てている。手が届きそうなほどの近さに洗濯物がはためき、その向こうには横になってテレビを見ているスリップ姿のオバハンが見える。首を捻じ曲げて階下を見下ろしてみれば、4つのブロックに囲まれた空間の底は、ゴミの山となっていた。
重慶大厦は香港中心部・尖沙咀 (チムサーチョイ)のきらびやかなホテルやオフィスビル群、ショッピングモールに囲まれて建つ、古びて怪しげなオーラをむんむんと放つ汚い雑居ビルである。『深夜特急』の中で、主人公はこのビル内部に点在する娼婦宿のひとつに泊まり込み、ひたすらに香港を徘徊するのだ。
ネイザンロード、クィーンズロード、アバディーン……とりわけ主人公がのめりこんだのは廟街だった。露天がひしめき、人で覆いつくされ、ありとあらゆるものが売られる巨大市。香具師が芸を競い、路上のあちこちの屋台からうまそうな匂いが漂ってくる。まさにアジアの混沌、「魔都」と呼ばれた香港を象徴するような場所だった。
主人公が熱にうなされたかのように香港を歩いた記録は、当時まだ高校生だった僕に衝撃を与えた。世の中にはこんなところがあるんだ。ようし大学に進学したらすぐにでもアルバイトをしてお金を貯め、旅に出てやる……。
多感で青臭い世代には、危険な書物であった。多くの若者たちとともに僕は旅に飛び出し、人生を狂わせてしまった。
それからいまに至るまで、香港に来るたびに重慶大厦の安宿に泊まっている。1階にたむろす正体不明のインド系やアフリカ人を押しのけ、ぼろぼろで小さなエレベーターにギュウ詰めとなり、A座16階の定宿を目指すのだ。この小さな部屋から重慶大厦内部の生活の様子をぼんやりと眺めるのが好きだった。その生活臭さは、僕がはじめて香港を訪れた20数年前から、あまり変わっていないようにも思うのだ。
現代の魔窟、重慶大厦。この物件がナゼいまに至るまで取り壊しもされず一等地に建ち続けているのか
重慶大厦の我が部屋から吹き抜け部分を見下ろしてみる
しかし、時が止まってしまったかのようなこの重慶大厦をのぞいて、香港は変貌を遂げた。国際観光・金融都市として急速な発展を遂げ、すっかり洗練され「魔都」の面影はない。廟街からは怪しさが失われ、健全な観光スポットとなった。
それでも香港は、活力に満ち、食事はおいしく、僕が大好きな街のひとつだ。とりわけ九龍半島と香港島を結ぶスターフェリーは、おそらく『深夜特急』の頃からほとんど変わっていない。乗り合わせた香港人たちとともにスターフェリーから香港島の摩天楼を見つめ、つかの間、潮風を受けるとき、旅人たちはセンチな気分になるのだ。
わずか10分ほどだが豊かな航海を終えてスターフェリーを降り、地下鉄・港島線の湾仔(ワンチャイ)駅まで5分ほど歩き、上環(ジョンワン)までは3駅。すぐ目の前に、マカオ行きのフェリーターミナル、港澳埠頭があるのだ。
スターフェリーから仰ぐ香港島の摩天楼の壮大なランドスケープは感動的だと思う
香港に行ったら必ずスターフェリーには乗るようにしている
往時のマカオが残る風景を探して……
香港もマカオもいまや中国の特別行政区だが、行き来するにはパスポートが必要だ。ターミナルの中には吉野家なんぞがあってやや風情には欠けるが、それでも陸路よりさらに旅感・越境感に満ちた海路国境越えである。
シブくパスポートを提出すれば、イミグレ係員は厳粛な顔で香港出国スタンプを押してくれるのであった。我がジェットフォイルは10分に1本ほどと、日本のイナカの電車よりはるかにハイペースでマカオとの間を行き来しているのだが、それでも急がねばならない。あらゆる交通機関において、僕の鉄則は「座るのは窓側」である。そして窓から外の様子を見学し、旅を満喫するのである。たとえ飛行機であっても、はるか眼下の大陸の様子なぞ観察しつつ、あの半島はどのあたりであろうか、この河はメコンに違いないなどと思いを馳せるのだ。
が……あいにくの濃霧と重い曇天によって、せっかく香港人のババアを押しのけて奪った窓側席からは、ただ白い世界が続くばかり。東シナ海の島々を愛でつつ往きたいところだったが仕方ない。フテ寝を決め込んで1時間もしないうちに、船はマカオに到着した。
はじめての国(国とは違うが)である。押し戴いたマカオ入国スタンプはジミではあったが、それでも初モノは嬉しい。輝いて見える。
大事にパスポートをしまいこんで、いざマカオへ……と、いきなり出迎えてくれたのは、ボードを手にしたミニスカギャルたちなのであった。なにやら広東語でお誘いの文句を言いながら近寄ってくるではないか。数多の国境を越えてきたが、キャンギャルが立ちふさがってきたのははじめてのことである。その美貌、艶かしいナマ足といい匂いに理性が狂いそうになるが、般若心経を唱えて心を落ちつける。どう見たってギャルたちは、カジノホテルの客引きである。重慶大厦に泊まっている僕が、カジノホテルに滞在できる金があろうはずもない。誘いに乗ってはならない。
だが、さすがはカジノシティである。各ホテルを結ぶ無料のシャトルバスがこのフェリーターミナルにも立ち寄ってくれるのだ。これを使ってマカオ中心部まで行った僕は、かつての赤線地帯であり、いまはこの街に残された唯一の安宿街、福隆新街に身を寄せた。代金は香港ドルでそのまま払えた。レートはほぼ1対1で、このあたりはほかの国境にはない、同じ特別行政区同士ならでは、といったところだろうか。
香港とマカオを結ぶフェリー。リッチな人々のための定期ヘリも運航されている
マカオの埠頭ではホテルの客引きギャルたちが待ち構えている
『深夜特急』でマカオにやってきた主人公は、カジノにのめりこんでいく。ギラギラとした庶民たちがテーブルを囲み、声を張り上げる熱い雰囲気の中、ディーラーと駆け引きをし、勝負の結果に一喜一憂する。これからはるかロンドンまで旅をしなくてはならないというのに、その資金は恐ろしい勢いで減っていく。それでも、やめられないだけの魔力を、マカオのカジノは持っていた。
僕もいくつかのカジノに行ってみるが、鉄火場のような場所はもうほとんどない。大陸からの中国人観光客で埋め尽くされたイナカカジノか、香港からヘリでやってくるような客が遊ぶ高級なラウンジか。
どこか往時の匂いを残しているところはないか。そんなことを考えてマカオの北部を歩いていると、ドッグレース場に行き当たった。昭和感に満ちた寂れた感じがいい。入ってみると、競艇か競輪のような、いかにも大衆賭博という様子で、マカオのオヤジたちが馬券ならぬ犬券を握り締めて叫んでいる姿に、ほんの少しだけ『深夜特急』の時代が見えた気がした。
マカオ中心部はドハデなネオンで飾り立てられたカジノホテルが並んでいる
ドッグレースはカジノに客を取られ、また動物虐待との声もあり、存続が危ぶまれている
夜、街を歩いていると、暗闇に沈むポルトガル風の建築物が見えてくる。石畳の道路、クリーム色のコロニアルな家並みは、大航海時代を髣髴させる。こんな歴史的建造物が並ぶマカオの街歩き、ポルトガル料理をベースに東西貿易の拠点となってきたインドやマラッカ、そして中華のエッセンスが加わった独特のマカオ料理、それにスイーツを楽しみに、日本人の女子たちで賑わうようにもなった。時代は変わっていく。『深夜特急』の頃の、いかがわしい博打街では、もうないのだ。
その後、香港もマカオも出入国のスタンプが廃止されてしまった。きわめて味気ない紙っぺらが渡されるだけで、パスポートに訪問を証明する誇り高きスタンプが押されることはなくなってしまったのだ。これもまた、時代の移り変わりであろうか……。
そして2017年夏頃には、香港とマカオを結ぶ全長およそ35キロというトンでもない巨大橋が開通する予定だ。こちらもぜひ制覇し、国境の新ルートを開拓せねばならない。
コロニアル時代から残る、パステルカラーのかわゆい建物がマカオにはたくさんある
左がマカオ、右が香港。入国時にプリントアウトされてくる。出入国の管理も変わっていく
*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」
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*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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室橋裕和(むろはし ひろかず) 週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。 |