ブーツの国の街角で

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#26

グレッチョ:プレゼーペ発祥の地を訪ねて(前編)

文と写真・田島麻美

 

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  カトリック・キリスト教の最も重要な祝日であるナターレ(=クリスマス)。12月に入ると、イタリア各地でキリストの生誕を祝う準備が始まる。聖母マリアの胎内にキリストが宿ったとされる12月8日から東方の三博士がキリストに会った日を祝う公現祭の1月6日までがナターレの期間で、この時期はお正月休みの日本の街中と同じようなムードに包まれる。クリスマスの飾りといえばすぐに想像するのがクリスマス・ツリーだが、イタリアのナターレに不可欠な飾りはツリーではなく、「プレゼーペ」と呼ばれるキリスト生誕のシーンを人形などで再現した模型である。ツリーはなくともこのプレゼーペだけは飾るという家庭は今でも多いが、このプレゼーペは一体いつから、なぜ飾られるようになったのだろうか? 調べてみると、「プレゼーペの発祥はラツィオ州のGreccio/グレッチョ村である」ということがわかった。「プレゼーペ=人形=ナポリ」というイメージが染み付いていたので、てっきりナポリが発祥かと思っていた私は驚き、早速グレッチョへ行ってみることにした。今月は、イタリアのナターレに不可欠なプレゼーペの起源とその発祥地の探訪記を、2回に渡ってご紹介しよう。

 

 

 

 

 

イタリアのクリスマスに欠かせない「プレゼーペ / Presepe」

 

 

 

   最近はクリスマス商戦を盛り上げようと、11月後半には街中のあちこちでイルミネーションやツリーを見かけるようになったが、伝統的には12月8日に家々や教会、街中を一斉に飾り付けて聖母マリアの受胎を祝い、12月25日のキリストの誕生に向けて日に日にお祝いムードを高めていくものらしい。カトリックの総本山があるヴァチカンのサン・ピエトロ広場はもちろん、イタリアの各家庭でもキリスト生誕のシーンを再現したプレゼーペの飾りは、25日が近づくに連れて賑やかになっていく。24日までは空のまま置かれているジオラマの中心の籐籠に、25日の真夜中、幼子イエスの人形を置いてキリストが誕生したことを祝う、という手順になっている。
ジオラマは、基本となる聖母マリア、ジュゼッペ、そして幼子イエスという聖家族の人形を中心に、ベツレヘムの街や馬小屋の模型、動物達、羊飼いや農民など、飾る人の想像力や好みによってアレンジされている。木彫りや陶器のシンプルなものから、本物そっくりのミニチュアで一つの部屋を埋め尽くし、ベツレヘムの街をそっくり再現するほど手の込んだものまで、多種多様なプレゼーペが見られるこの期間は、各地の教会へ足を運ぶのも楽しい。
 

 

 

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 専門の職人も数多くいるほど、イタリアのナターレには不可欠なプレゼーペ。人形だけでなく、建物の模型や植物、動物など様々なアイテムがあり、12月にはこうしたアイテムを売るクリスマス市も各地で開かれている。(写真はグレッチョのプレゼーペ博物館の作品)
 

 

 

 

 

起源を探りに、グレッチョのプレゼーペ博物館へ

 

 

 

  イタリアはもちろん、世界中のカトリック教徒の家庭に浸透しているプレゼーペだが、周囲のイタリア人に聞いてもその起源について知ることはできなかったので、「発祥の地」と言われるグレッチョに足を運んでみた。村に着いた私は真っ先に『国際プレゼーペ博物館』を訪れた。小さな村の広場から100mほどのところにある博物館は、元は教会だった建物を再利用し、地元のプレゼーペ職人のマエストロであるマンフレード・プロイエッティ氏の作品を始め世界中から寄贈されたプレゼーペを展示している。この博物館を管理しているティツィアーナさんに、プレゼーペの由来について質問してみることにした。
「プレゼーペの発祥がこの村だというのは本当ですか? プレゼーペにはどういう意味が込められているのでしょうか?」
矢継ぎ早に質問した私に、ティツィアーナさんはゆっくりと、丁寧に説明してくれた。
「世界で一番最初のプレゼーペはこのグレッチョの村で、1223年にアッシジの聖フランチェスコによって実現されました。最初のプレゼーペは人形ではなく人間、つまりグレッチョの大地主で貴族だったジョヴァンニ・ヴェリータと聖フランチェスコによって、キリスト生誕のシーンを表現したのが始まりです。その時、聖フランチェスコが奇跡を起こし、抱いていた幼子イエスの人形が本物の赤ちゃんになったという伝説が残っています。まぁ、本当かどうかは定かではないですけれど」。お茶目に笑いながら、ティツィアーナさんは聖フランチェスコとグレッチョのプレゼーペにまつわる話をいろいろと教えてくれた。
 

 

 

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元は教会だった建物を利用した『国際プレゼーペ博物館/Museo Internazionale del Presepe』。内部には古い教会の祭壇跡も残されている(上)。博物館の中には、様々な素材で作られたプレゼーペが展示されている。著名な作家のものから素朴な木彫りの作品まで、世界中から寄せられたプレゼーペが見られる(下)。
 

 

 

 

   聖フランチェスコは、かつて自身が巡礼で訪れたベツレヘムの街の風景を貧しい山間の村グレッチョに見出した。そこでナターレの日に、イエスが誕生した瞬間の馬小屋の場面をこの村の中で再現し、人々にキリストの存在が身近にあることを伝えようとした。これが奇跡の伝説と重なり、瞬く間にイタリア中に広まったのだそうだ。グレッチョの村ではこの聖フランチェスコの教えを後世に伝えようと、毎年12月24日の夜中頃、村人たちが聖フランチェスコの行ったシーンを再現する『プレゼーペ・ヴィヴェンテ(=生きたプレゼーペ)』が行われている。
 

 

 

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プレゼーペと村の歴史を教えてくれた博物館員のティツィアーナさん(上)。
グレッチョ村では毎年12月24日の夜、聖フランチェスコが行なった世界初のプレゼーペを村人たちが忠実に再現する『プレゼーペ・ヴィヴェンテ』が行われる。今年は12月24日の夜十時半に開催。後日、12/26、30、1/1、5、6、7にも再演される(下/写真提供Visit Greccio)

 

 

 

 

聖フランチェスコが初めてプレゼーペを実演した聖地

 

 

   

   博物館を後にする時、ティツィアーナさんが「この後、サントゥアリオ(Il Santuario di Greccio=グレッチョの聖地)にも必ず行ってみてね。修道士さんがいるから、話をしてみるといいわ。私よりもっと詳しく、聖フランチェスコのことを教えてくれるはずよ」と言ってくれた。そのアドバイスに従って、村はずれの切り立った崖の上にそびえるフランチェスコ修道会のサントゥアリオへと向かった。
長い階段を息を切らせながら登りつめ、ようやくサントゥアリオの入り口にたどり着いた。一年中、世界中からの巡礼者が訪れることで知られる聖地だが、この日は幸い人も少なく、とても穏やかな静寂に満ちていた。入り口前のテラスから見渡すヴァッレ・サンタ(聖なる渓谷)の絶景に感嘆のため息をついた後、修道士さんの姿を探してウロウロ。巡礼の記念品などをそろえた売店で、ようやく修道士さんが見つかった。「博物館のティツィアーナさんに聞いて来たのですが」と言うと、忙しそうに働いていた二人の修道士のうちの一人、ステファノ神父が質問に答えてくれるというので、太陽が輝くテラスでインタビューすることにした。
「このサントゥアリオには、今でも修道士さんたちが住んでいるのですか?」と尋ねると、ステファノ神父はにっこりと笑って、「そうですよ。私もここで暮らしています。聖フランチェスコもここで暮らしていました」と言った。この渓谷の自然をこよなく愛した聖フランチェスコは、各地に点在する洞窟にこもって瞑想を続けたというが、このサントゥアリオの中にもフランチェスコが実際に使っていた洞窟が残っている。
「プレゼーペの起源を知りたいのでしょう? でしたらここではなく、実際にフランチェスコが最初のプレゼーペを行なった洞窟の前でご説明しますよ。その方が現実味があるし、素晴らしいと思いませんか?」ステファノ神父のありがたい申し出に心を躍らせ、聖地に足を踏み入れた。

 

 

 

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フランチェスコ修道会の聖地であるサントゥアリオ・ディ・グレッチョ(上)。険しい崖の上にそびえる聖地からは、まるで別世界にいるかのような素晴らしい景色が望める(中)。厳しい戒律を守りつつ、ここで暮らしている修道士のステファノ神父。忙しい日課の最中にもかかわらず、穏やかな微笑みをたたえて親切に案内してくださった(下)。

 

 

 

 

感動に心が震えたプレゼーペ誕生秘話

 

 

 

 ステファノ神父の誘導で足を踏み入れた聖堂内で、まず最初に目にしたのは聖母マリアと幼子イエスのフレスコ画が残る洞窟。脇の通路には、この洞窟の前で祈りを捧げる前法王ヨハネ・パウロ二世と、現ローマ法王フランチェスコの写真があり、ここがカトリック・キリスト教にとってどれほど神聖な場所であるかを実感する。
「この洞窟で、聖フランチェスコが初めてプレゼーペを行なったんです。この奥に、フランチェスコの瞑想所があります。行ってみましょう」ステファノ神父に従って行くと、細長い石の通路の再奥に、人一人入るのがやっと、という狭い岩だらけの洞窟があった。
「ここがフランチェスコの瞑想所です。彼はここにこもって、ほとんど眠らずに瞑想を続けました」。目の前にあるこの狭く冷たい石の小部屋で、伝説の聖人が実際に暮らしていた。想像するだけで、鳥肌が立ってくる。約800年の歳月を超えて、聖フランチェスコの存在が生々しく感じられる場所に立ち、しばし言葉を失った。
「フランチェスコはなぜプレゼーペを行なったのか? トンマーソ・ダ・チェラーノが書き残した伝記には、フランチェスコがとても現実的な人間であったとあります。フランチェスコは聖書の中の言葉ではなく、実際にその手で神の愛に触れることを欲しました。そのために苦行をし、瞑想をし、神の存在とその愛を実際に体で感じることを強く望みました。フランチェスコは敬虔に、神の愛、キリストの愛をその生身の体で受け取ることに没頭したのです。1223年の12月25日、フランチェスコはここで、彼の『敬虔、清貧、欠乏』という教えを、聖書の中にあるキリスト生誕の場面を実際に人間の体を通して体現して見せることで人々に理解させようとしました。そこで、修道士と村人たちを集め、彼はこの貧しい洞窟の中にベツレヘムのイエスの馬小屋を再現して見せたのです。その時のことは伝記にも書かれています。『フランチェスコが赤ちゃんを抱いて現れた時、神の愛を語る彼の口、その顔、その姿に、にわかに光が満ちて煌々と輝いた』と」。
目の前の聖地を見つめ、ステファノ神父が熱く、深く、そしてとても敬虔な口調で語ってくれたプレゼーペ誕生秘話を聞くうちに、感動で胸がいっぱいになって来た。
「『プレゼーペ』という言葉の意味をご存知ですか? これはラテン語でかいば桶、つまり『馬小屋』という意味です。イエスの愛が現実に触れられるものとしてここに存在することを、フランチェスコは体現して見せたのです」。
聖フランチェスコが800年前、この小さな洞窟で人々に見せてくれた神の愛。その小さな試みが、今では全世界に広まり、人や人形によって毎年繰り返し再現されることになったのだ。ナターレの飾りだとばかり思っていたプレゼーペに、これほど深い意味が込められていようとは。聖人の魂が宿った小さな洞窟の前で感動に震えながら、ここに来られた幸運に感謝した。
         

 

 

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約800年前の聖フランチェスコの瞑想所が今もそのまま残されているサントゥアリオの入り口。神聖な場所なので、内部は撮影禁止(上)。フランチェスコ修道会の教会、13世紀の当時のままの修道士たちの部屋や瞑想所、礼拝堂なども残っている素晴らしい聖地(中)。サントゥアリオは入場無料。毎日9時〜18時(夏は19時)の間、誰でも見学できる。世界中の敬虔な信者達の巡礼地なので、服装やマナーなどには十分敬意を払って訪れて欲しい(下)。
 

 

 

(次回、後編に続きます。お楽しみに!)

 

 

 

★ MAP ★

 

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<アクセス>

ローマ・ティブルティーナのバスターミナルからコトラル/Cotral社のバスでリエーティRietiまで約2時間。リエーティのFS駅前でグレッチョ/ Greccioまで約10km。鉄道の駅もあるが、駅は村からかなり離れていて駅から村までの交通手段がないので、リエーティから直接村の広場まで着くコトラルのバスを利用する方が便利。リエーティとグレッチョを結ぶバスは1日に3本(午後2本)しかなく、日曜日はバスの便はないので要注意。日帰りではなく一泊する予定を組んだ方がいい。
 

 

 

<参考サイト>

・グレッチョ観光情報
http://www.visitgreccio.com/

 

・グレッチョ市(宿泊施設などの情報)
http://www.comune.greccio.ri.it/

 

・グレッチョの聖地
http://www.santuarivallesanta.com/portfolio/

 

・バス・コトラル社

http://www.cotralspa.it/lang/

 

・サントゥアリオ・ディ・グレッチョ

https://www.oasidigreccio.it/

 

 

 

 

 

 

 

*この連載は毎月第2・第4木曜日(月2回)の連載となります。次回は12月28日(木)掲載予定です。お楽しみに! 

 

 

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田島麻美 (たじま・あさみ)

千葉県生まれ。大学卒業後、出版社、広告代理店勤務を経て旅をメインとするフリーランスのライター&編集者として独立。2000年9月、単身渡伊。言葉もわからず知り合いもいないローマでのサバイバル生活が始まる。半年だけのつもりで暮らし始めたローマにそのまま居座ること17年、イタリアの生活・食文化、歴史と人に魅せられ今日に至る。国立ローマ・トレ大学マスターコース宗教社会学のディプロマ取得。旅、暮らし、料理をメインテーマに執筆活動を続ける一方、撮影コーディネイター、通訳・翻訳者としても活躍中。著書に『南イタリアに行こう』『ミラノから行く北イタリアの街』『ローマから行くトスカーナと周辺の街』『イタリア中毒』『イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる』他。

 

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