ブルー・ジャーニー

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#26

カナリア 風の中の島々〈1〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

アリシアに踊る砂

 

 バルセロナから南へ三時間二〇分。

 旋回しながら高度を下げる飛行機の窓に、島影が映る。

 群青に浮かぶ柔らかな茶色。

 風にあおられる翼をねじ伏せるようにフェルテベントゥーラ空港に着陸。

荷物を受け取ってロビーに出ると、カルメンが待ち受けていた。

「こんにちは。ステファノはちょっと手が離せなくて。揺れたでしょう?」

「ええ、けっこう」

「今日はサハラ砂漠から、たくさん砂塵が飛んできているわ」

 

0101

 

 モロッコから飛び立った雁の群れのように、アフリカ大陸の沖合に浮かぶ島々、カナリア諸島。

 ランサローテ島がもっともアフリカ大陸から近く、距離は東京〜熱海ほどの一一五キロ。次いでフェルテベントゥーラ島、グランカナリア島、テネリフェ島、ラ・ゴメラ島、ラ・パルマ島、エル・イエロ島の全七島。

“カナリア”の語源はラテン語の“カヌム(CANUM)”。上陸した古代ローマ人が、野犬の群れを見て「インスラ・カヌム(犬の島)」と呼んだことが名前の由来だとされている。

 

0102

 

 ステファノはファッションとポートレイトを主なテーマとするカメラマンで、初めていっしょに仕事をしたとき、ミラノの中心から地下鉄で一〇分ほどのピオラという町に、マヌエラとダルメシアンのウーゴと住んでいた。

 マヌエラはサボナの生まれで、髪がくりくりとカールしていて、手足が長く、ワンピースの似合う女の子だった。

 ステファノと、時々マヌエラもいっしょに、あちこちに行った。ヨーロッパのスキー場をめぐり、古城に登山家メスナーを、セリエAフィオレンティーナにバティストゥータを、カフェを切り盛りするアルペンスキーの女王アンネマリー・モザー・プレルを訪ねた。野沢温泉の外湯で手足を伸ばし、台風で荒れる海にもまれながら三宅島に渡った。

 ステファノの頭のなかには、いつもいろいろなアイデアが並行していて、じっとしていることがなかった。レストランに入ってオーダーすると、すぐ携帯電話を持って外に出て行き、もどっては立ち上がり、いつもそんなことを繰り返していた。

「なにを撮るの?」

 ステファノが出て行ったあと、自分のコンパクトカメラを手に取ったマヌエラにそう聞くと、マヌエラはすこし寂しそうな笑顔を浮かべ、答えた。

「“ステファノがいない場所”を撮っているの」

 ぼくはステファノとマヌエラが大好きで、マヌエラはステファノが大好きだったが、けっきょくふたりは別れた。その後、マヌエラはセリエAで働いている男性と結婚して、双子の男の子の母となった。

 

0103

 

 一五世紀初頭、カナリア諸島征服に乗り出したふたりのフランス人、ジャン・ドゥ・ベタンクールとガディフェール・ドゥラ・サル。その著書『カナリア諸島征服記』には、つぎのように記述されている。

「ここ(フェルテベントゥーラ島)には小鳥も多く、ウグイス、野ガモ、それに、われわれがいる島(グランカナリア島)のとはちがう羽毛の水鳥、白テンの尾を持つ鳩、また家バトもすばらしいが、鷹がどの鳥にもおそいかかる。うずら、ひばり、そのほか、無数の鳥がいる」

「無数の鳥」のなかの、ひときわ美しい鳴き声を持つ諸島原産の鳥、フィンチ。“カナリア島の小鳥”と呼ばれたフィンチは、やがて“カナリア”になり、その飼育熱はスペイン上流社会からヨーロッパ中に広がっていった。

 

0104

 

 ステファノとレストランで食事を取り、仏壇が置かれた部屋があるピオラの家にもどったとき、時計の針は一二時をまわっていた。

 いつも不眠症になるほどこだわりを持って写真を撮っていたステファノは、若手アーティストNek の、イタリア国内だけで六〇万枚を売り上げたCDジャケットの撮影を依頼されるなど、着実に階段を上っていた。

 ステファノが言った。

「アンナに会いにいきたいんだ。いっしょにいってくれないか」

「もちろん」

 アンナはマヌエラのつぎの彼女で、ファッションブランド“GAS”の広報に勤務。ベジタリアンで、一度離婚していて、ふたりの男の子の母親だった。

「アンナはどこに?」

「バーリの占い師のところに」

 バーリは長靴のつま先のほんのすこし手前、ミラノから約九〇〇キロ離れた、南イタリアのアドリア海沿岸の都市だった。

 ボローニャを経由してアドリア海沿いに高速をひた走り、バーリの旧市街に着いたのは朝八時過ぎ。四階建てのアパートの四階に上がり、ベルを鳴らすと、しばらくしてドアが開いた。

 品の良いワンピースにハイヒール、たったいま、美容院から帰ってきたかのような髪。真っ赤な口紅。おそらく五〇代後半の占い師は言った。

「少し野菜がほしいの」

 指示にしたがって、車を走らせること約一〇分。

「ここでいいわ」

 広大な畑を貫く農道に車を止めると、占い師はハイヒールのまま畑に入っていき、ネギをはじめ数種類の野菜を引き抜いてトランクに放りこんだ。

「あなたの畑なんですか?」

 占い師は、いかにもおかしそうに笑いながら答えた。

「まさか」

 

0105

 

 ギリシア神話の“祝福された人たちの島”“幸福の島”に関する記述を前に、カナリア諸島以外の場所を想像することはむずかしい。

『ウェルギリウス(ヴァージル)の詩ではエリュシオン(極楽浄土)は地下にあって、神の恵みを受けた人びとの住み家だとしてありますが、ホメロスの極楽浄土はよみの国にあることにはなっていません。

 ホメロスの詩によると、極楽浄土は例の大洋に近い西方の地上にあって(そこでは雪も降らねば、寒さも知らず、雨も降らず、いつもたえずさわやかな清風のみが吹きそよいでいる幸福和楽の地だとされています)、神の恵みをうけた英雄たちは、そこで、死ぬということを知らずに暮らして、ラダマンテュスの支配の下に、幸福な生活を送っていました。』(※ラダマンテュス=ギリシア神話に登場する冥界の審判者)

 

0106

 

「来月、そっちに行くことになったんだけど、忙しい?」

 ステファノが電話の向こうで言った。

「いや、もうミラノにはいないんだ」

「いない?」

「うん。フェルテベントゥーラにいるんだ」

 イタリアのカメラマンの世界の足の引っ張り合いに、ほとほとうんざりした/姉が住むフェルテベントゥーラに訪ね、すっかり気に入って、一軒家を借りた/風景写真だけを撮りたい/もうミラノでしごとをしたくない/近々、ミラノの家を引き払おうと思っている/アンナとは、いろいろあって別れた/いまは島で知り合ったカルメンと暮らしている/カルメンはバスク地方の出身。精神科医で前夫とのあいだに設けたひとり息子、ペラーヨがいる。

 ステファノはバーリからの二年間を駆け足でたどり、言った。

「ここは、とても静かでMaditative Islandだ。一度来てほしい」

“Maditative=瞑想的”や“ Maditation=瞑想”は、ステファノがよく口にする言葉だった。

「そういえば」思い出したようにステファノがつづけた。「あの占い師、じつは詐欺師だったんだ」

 電話を切ってから、フェルテベントゥーラがカナリア諸島のひとつだということ、スペインの領土だが、本土から遠く離れたアフリカ大陸の沖合に浮かんでいることを初めて知った。

 

0107

 

 一年を通して、春風のように吹くカナリアの風、“アリシア”。

 なでられていることを忘れてしまうほど、やさしく柔らかな風が、絶えず身体中をなで、解きほぐし、通り過ぎていく。

 砂の粒子が、アリシアに持ち上げられ、落ち、ほかの粒子に当たって、跳ね上げる。風がつよくなると、あたり一面、砂の粒子のダンスで覆われる。

 ダンスはアリシアと大地と水と太陽によって決まる。四つの要素は、いつもそれぞれに変化し、時に歩調を揃え、時にリズムを合わせ、別れ、また重なる。生きたダンスを人工的に再現する試みに成功した者は、いまのところ、ひとりもいない。   

「ロサンゼルスでしばらく働いてからチューリッヒに移ったら、雨がとてもよく降る町で、なんだか体もこころもぐったりしてしまって、休暇をとってアフリカの西海岸に出かけたの。これからさき、どうやって生きていけばいいのだろう。こうやって砂浜に座りこんで、将来を考えたわ」カルメンは言った。「あとになって、あのとき見ていた方向に、この島があったことを知ったの」

 

(カナリア諸島編、次回に続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

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