越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#25

カンボジア・パイリン

文と写真・室橋裕和

 

 ポルポト派の「王国」であったと伝えられるカンボジア西部の町パイリン。ここを通過してタイに抜ける国境が開いたと聞いた僕は、勇んで現地を訪れた。しかし待ち受けていたのは、とてつもない悪路と地雷原であったのだ。

 

 

ひと昔前のバッタンバン

 カンボジア西部、バッタンバン……その名前からしてなんだか呪わしい街ではあるが、サンカー河の左右に植民地時代のクリーム色したフランス風建築が並び、けっこうシャレオツなんである。最近では欧米人の女子がカフェなんか開いちゃったり、こぎれいなゲストハウスでくつろぐバックパッカーがいたりと、ひと昔前とは違って明るい雰囲気。変わりゆくカンボジアを象徴するような街かもしれない。カンボジア第2の都市として着実に発展しつつある。
 で、「ひと昔前」である。
 僕は荒廃したバッタンバンの街をケンシロウのごとくさまよっていた。旅行者なんぞいない。フランス風建築もあるにはあったが、長年の内戦により汚れはて、ところどころ崩壊し、風情も何もない。街角ではふつうに大麻が売られ、目つきの悪い男たちがたむろするマッドシティ。
 そんな街で僕はタクシーかなにか、移動する手段を探していた。目的地はタイ国境だった。ここバッタンバンから西におよそ70キロほどの場所に、かつてのポルポト派の拠点パイリンがある。悪の巣窟と呼ばれたその街を通過し、タイに抜ける国境がどうも開いたらしい。地域で産出するルビーをポト派がタイに密輸して戦費を稼ぐルートとしても知られた道を、いま旅できる……そう聞いた僕は、いてもたってもいられずカンボジアまで乗り込んできたのだった。
 だが公共の交通機関というものが存在しなかった。バスがないのはともかく、乗り合いのピックアップトラックすらないのだ。むき出しの荷台に揺られる難民輸送車みたいなトラックも走っていないとは、もしやポト派の脅威がまだ去っていないのだろうか。当時パイリンを仕切っていたポト派の重鎮イエン・サリ氏こそ逮捕されたが、街では彼の子供たちがいまだ実権を握っているとされていた。
 どうすべえか……街をうろつきまわっていたところ、我こそはと名乗り出てきたのがバイクタクシーの運転手、シム君であった。
「俺のバイクに乗っていけ。安くしとくぜ」
 と、後部座席をバンバン叩く。埃が舞う。パイリンまではどのくらいかかるのだろうか。聞いてみれば「まあ朝出れば夜には着くだろう」とひどくアバウトな答えが返ってくる。たった70キロほどの距離であるのに1日がかりなのが気にはなったが、この辺境の街で英語がわかるドライバーというのはありがたかった。

 

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バッタンバンにはこうした洋風の建築物が多く、散歩がなかなか楽しいのだ

 

 翌朝……晴れ晴れとした気分でシム君のバイクにまたがって、わずか10分のことであった。
 街を出ると、道路が砂漠と化した。砂煙で視界がきかず、息が苦しい。毎度毎度の未舗装ダート道は慣れっこだが、乾期のカラカラ天気が続き、道路を覆う土は砂となって舞い散る。それをひっきりなしに行き来する輸送トラックが巻き上げる。激しい砂嵐だった。シム君がコンビニ強盗のごとき全面マスクをしているのはこのためか。
 せっかくの朝シャンで決めた髪も速攻で真っ白になり、僕は耐えかねて買い物を申し出る。途中の雑貨屋で買ったカンボジア伝統の手ぬぐいクロマーを顔にまきつけて、ようやくまともに呼吸ができるようになった。だが、周囲が確認できないほどの砂煙の中を走るのはやはりきつい。
 加えて、道路はところどころ巨大な陥没が目立つようになってきた。雨季につくられた水たまりや池が、乾燥したまま放置されているのである。そんな道を飛んだりはねたり、ほとんどモトクロスのような状態で走っていくのである。なるほど時間がかかるはずだ。激しい振動で腰もケツも痛い。
「それなら、ちょっと休憩していくか」
 というシム君が訪れたのは、とある寺であった。
「ここはワット・プノン・サンボー。別名キリング・ケイブだ」
 ポルポト派による大虐殺はカンボジア全土で行なわれたが、ここもその舞台のひとつである。ワット・プノン・サンボーは小高い山の頂上につくられた寺院で、山頂にはいくつかの洞窟が口を開けている。殺した人々を無造作にその洞窟に投げ込み続けたというのだ。暗い暗渠を覗き込んでみると、なにやら往時の人々の怨み声が聞こえてきそうな気がしてくる。こんなのちっとも休憩じゃない。

 

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カンボジア名物ピックアップトラックも最近はずいぶんと減り、フツウのバスが走るようになった

 

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厳しい砂塵ルートをゆく。カンボジアの旅はワイルドなのだ

 

 

「ここから先は地雷原だ」荒野に現れるドクロ看板

 ケツはともかく、気がまったく休まらないまま旅がリスタートする。相も変らぬ砂嵐に耐えて後部座席にしがみついていると、スッと行き過ぎる赤い看板。血の気が引く。思わず振り返る。砂煙の中に消えた看板は間違いなく、地雷の所在を示すドクロマークであった。
「ここから先は地雷原だ。気をつけろ。投げ出されたら死ぬぞ!」
 シム君が叫ぶ。荒野の狭い一本道の左右、次から次へとドクロ看板が現れる。どこもかしこも地雷原だ。
 戦慄していると、ひときわ大きなトラックが前方から砂煙を伴って突進してくるではないか。車体は明らかに路肩までハミ出し、どう見たって我がバイクに遠慮する雰囲気は微塵もない。
 これを見たシム君がハンドルを切る。路肩からさらに、真紅の看板群が踊る木立の中にバキバキと入っていく。
「こらあ、やめろやめろ! 死ぬ死ぬ死ぬ!」
 シム君の後頭部をぽかぽか叩いて抗議する。トラックが通過すると、あたり一面は竜巻に巻き込まれたかのような砂の暴風に包まれた。バイクはバランスを崩し、僕たちは地雷原に投げ出された。一瞬、走馬灯が脳裏をよぎったが、地雷に接触しなかったのは幸運というほかない。

 

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悪夢のように続く地雷原。カンボジア全土で地雷の撤去は進んだが、パイリン周辺にはまだまだ多い

 

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「農作業や林業の際には地雷に気をつけましょう」

 

 ふしぎだったのは、地雷の荒野の真っ只中にぽつぽつと集落があることだった。休憩のときにシム君に聞いてみると、彼は言いにくそうに口を開いた。
「彼らはポルポト派の残党と、その家族だ。ほかの土地では受け入れてもらえない。パイリンの街もポルポト派が多いが、あっちは幹部が中心。末端の兵はここで生きるしかない」
 あたり一面の地雷原と、藪しか生えない赤黒い大地。電気も、水道もない。井戸水は水質汚染されているという。まともに仕事はないから近隣の林から竹を伐採して売り、暮らしている。しかし林もまた地雷原だ。ポルポト派が政府軍からパイリンを守るために設置した地雷で、負傷し、命を落とす元ポルポト派兵士たち。なんという因果なのだろうか。
 日が暮れる頃、ようやくパイリンの寂れた街が見えてきた。宿に着いたときには、髪の毛はスーパーサイヤ人のように逆立って白茶け、荷物は中身まで砂まみれ、咳をすれば砂埃が混じっていた。これほどのハードなバイク旅行もはじめてだった。

 

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この暮らしがポルポトに与した者に与えられる罰として重いのか軽いのか、僕にはわからない

 

 パイリンは暗く沈みこんだ街だった。活気がなく、重苦しい。荒れた市場が街の中心になっていたが、なにかこう、灰色に満ちているような静けさと暗さだった。
 そんな砂にまみれた街にナゼか走っているリムジンの前後を護衛しているのは警察のバイクだった。イエン・サリの関係者なのだろう。宝石をはじめとした数々の利権はいまでも健在であるようだった。
 翌日……再びシム君のバイクで、僕はタイ国境に向かった。ここもタイ=カンボジア国境らしくカジノが建ってはいたが、やはり埃にまみれ客はほとんどいなかった。
 ほとんど通行人のいないイミグレーションを通過してタイに抜けると、悪夢から覚めたかのように、青く晴れ渡った明るい空が広がり、道路は美しく舗装され、活気のある市場が出迎えてくれた。長い潜水を終えて海面に出たような気分だった。

 いまではパイリンもだいぶ発展をして、見違えるように明るく活気が出てきた。地雷の撤去も進んでいる、だがカンボジアの経済発展からはだいぶ取り残されてしまっている。タイとの国境貿易がもっと盛んになれば、様子もさらに変わってくるかもしれない。

 

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当時のパイリンは暗い雰囲気の街だった。夜は明かりがほとんどなかった

 

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カンボジア側のイミグレーション。あのゲートの向こうがタイだ

 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

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*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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