風まかせのカヌー旅

風まかせのカヌー旅

#24

マウ・ピアイルク

パラオ→ングルー→ウォレアイイフルックエラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
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文と写真・林和代

 

 


 

 

 

 

   


 「じゃあ、またグアムで会いましょう」

 私たちより2週間ほど後に、3隻のカヌーを率いグアムに向けて発つマスターナビゲーター、アリと固い握手を交わした私たちは、ラモトレックを後にした。
 次に立ち寄るのは、いよいよサタワルだ。
 セサリオ、ミヤーノ、アルビーノの故郷であり、私もなんども訪れた思い出いっぱいの島である。
 
 近年、この辺りの離島で一番有名なのは、サタワルかもしれない。
 周囲6キロ。人口500人というちっぽけなこの島を有名にしたのは、我がキャプテン、セサリオの父上、マウ・ピアイルクである。

 

 

 

 

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  話は70年代のハワイに遡る。
 「ハワイ人の先祖はタヒチから海を渡ってやってきた」という伝説があった。
 当時の学者たちの多くはそれを否定していたが、ベン・フィニーという学者を中心にした数名は、伝説は正しいと考え、伝説通りの航海を試みることにした。
 まずは古代のカヌーを創造も交えて復元。双胴カヌー「ホクレア」が誕生した。
 続いて、伝統航海術の使い手、すなわち、エンジン、コンパス、六分儀など現代機器を一切使わず、星やうねりなど自然情報のみで航海できるナビゲーターを探したが、ポリネシアでは見つからなかった。
 そこで活躍するのが、ハワイ在住のアメリカ人男性マイク・マッコイ。彼は、ミクロネシアの離島、サタワルにまだ航海術が残っていることを知っていた。なぜなら、ピースコープ(日本の海外青年協力隊のようなもの)でサタワルに長く滞在し、現地の娘と結婚していたのだ。
 彼は、サタワル人の妻の叔父にあたるマウを、ハワイ観光に行こうと言って連れ出したという。

 「観光だっていうから行ってみたら、いきなり会議室みたいなところに連れて行かれて、白人の学者、ベン・フィニーに地図を見せられ、ハワイからタヒチまで、伝統航海で行けるかと聞かれたんだ」
 マウはこの時のことをこう語っている。

 「騙されたんでムカついてはいた。それにその時は英語も全く話せなくて、陸上では全てマイク・マッコイが通訳してたけど、マイクはカヌーには乗らないから船上では通訳もいない。でも、先祖から伝わる知識として、ハワイからタヒチへの行き方は知ってたし、まだ誰もやったことのない航海だったから、やってみたい気持ちもあった」

 結局マウは、好奇心に負けて承諾。
 そして1976年、彼は、現代機器を一切使わずにホクレアをハワイからタヒチへナビゲートした。
 欧米の植民地にされ、アイデンティティの危機にさらされていたハワイ、タヒチの人々は、自分たちが偉大な航海者の末裔であることを証明したこのホクレアの航海に熱狂した。
 
 その後マウは、ハワイ人ナイノア・トンプソンから請われる形で、なんどもハワイに渡り、本来秘術とされる航海術をハワイに伝授。こうしてマウは、ハワイを中心とするポリネシアの英雄となった。
 
 マウが航海術を伝授する過程で、ホクレアやその後建造されたハワイのカヌーに乗って太平洋の島々を航海した際、小さかったセサリオはなんども同乗している。
 

 

 
 

 

 

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[PHOTO by Osamu Kousuge] ホクレア号。我がマイスは1本マストだが、こちらは2本マスト。

 

 

   

 一方私は、そんなホクレアの話などつゆ知らず、のんきに南の島で遊んでいたのだが、ちょっとした偶然から2003年、マウと知り合ってカヌーに乗り始め、サタワルにも何度か遊びに行った。
 
 ハワイでは神のように扱われていたマウだが、地元サタワルでは、普通のおじいさんである。
 当時マウはすでに病気で、1日をほぼ蚊帳が吊られたベッドの中で過ごしていたが、時折起き上がっては、タバコを吸ったり、足元をうろつく猫の尻尾をつかんでみたり、開け放たれた戸口から、眩しくきらめく海を眺めたりしていた。
 
 マウの性格を簡潔に表すならば、率直でぶっきらぼうで勤勉。
 頑固な大工の棟梁、とか、口の悪い漁船の船長、みたいなところだろう。
 口数は少なく、ほとんどの言葉が命令口調。いつも怒ったような雰囲気を纏っているし、事実よく怒ってもいた。
 小さな孫やひ孫達が彼の家ではしゃぐと、しわがれた声で怒鳴りつけてばかりいるので、子供達はマウの家に入る時はいつも入口で様子を伺い、足音を忍ばせて入ってきていた。
 

 

 

 

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ヤシ酒タイムになると、家のど真ん中に置かれたベッドに腰掛け、飲む。サイドテーブルの一升瓶がヤシ酒。家族の誰かが介助役としてずっと座っているが、十代半ばの孫たちとの間に会話はほとんどなく、マウは黙ってタバコを吸いながら、ゆっくり飲み続ける。

 

 

 

   

 元気な頃のマウと一緒によくカヌーに乗って漁に出かけた男たちに話を聞くと、やっぱり彼は相当厳しくておっかないキャプテンだったらしい。
 「ウエストファユ(漁に出かける無人島)のリーフで罠を仕掛ける時、サメが集まってきたんだ。だからみんな怖がって海に入れなかったんだよ。そうしたらマウが、ネバーマイン、シャーク!(サメなんか気にすんな) って叫んで、一人で海に飛び込んで仕掛けちゃった」 
 ある男性はこうも言った。
 「マウのことは尊敬してたけど、正直なところ、できれば一緒にセイリングには行きたくなかった。だって彼はものすごく働くんだ。ぜんぜん休憩しない。
 一晩かけてウエストファユに着く。普通ならここで一休みしてタバコ吸ったりココナツ飲むところだと思うんだけど、マウは黙ってブッシュの中に入って行って、薪を集め始めるんだ。ナビゲーターがそうだと、俺たちクルーもなかなか休めないだろ? だからね、もう少し楽な人の方が俺は好きだった」
 
 ちなみに、マウというのはサタワル語のニックネームで、べっこう亀のこと。べっこう亀の甲羅はとても硬いことから、背中が頑丈=働き者という意味でマウと呼ばれ始めたらしい。

 そんな働き者が年をとり、体を悪くし、機嫌の悪さにも拍車がかかった頃、私は出会った。
 それでも私は、マウが好きだった。
 興味のない話には全く反応しないが、カヌーや海、ヤシ酒の話になると途端に饒舌になった。
 高血圧に痛風に糖尿と三拍子揃った病人だったが、ヤシ酒もタバコも決してやめず、酔っ払うと俺にはハワイとサイパンと日本にガールフレンドが合計10人いる、と突然言ってみたりした。
 またある時、私が爪を切っていると、マウは私に、「爪切ってるのか」とベッドで寝たまま声をかけてきた。私が、「マウも切る?」と尋ねると、小さくコクリとうなずいてシワシワの手をパーにして私に向かって差し出した。
 両手両足の爪をおとなしく切られているマウは、可愛らしくさえあった。

 私は、滞在中、時折起き出すマウに、いろんな話を聞いた。
 初めてハワイで「サラダ」を食べた時、「俺たちは牛か? なぜ牛のように草を食わねばならんのだ?」と言ってハワイ人を困惑させた話。(サタワルに生野菜を食べる習慣はない)
 嵐でカヌーが転覆しかけて危なかった航海の話、大きなクジラにカヌーを壊されないためになだめすかす魔法の呪文。
 ぶっきらぼうで、とことん率直でまっすぐ。そして心底航海が好きなおじいさんなのである。

 

 


 

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 そんなマウに、ある時、ハワイのマウの教え子のひとり、クレイ・バートルマンという人物がこう尋ねた。
 「私たちはあなたから大切な知識、伝統航海術を教えて頂きました。そのお礼をしたいのですが、何か欲しいものはありますか?」
 この問いにマウはまっすぐこう答えた。
「ポリネシア式の大きなカヌーが欲しい」
 
 マウ曰く、ホクレアに乗って以来、ポリネシア式の双胴カヌーが欲しかったらしい。なぜなら、ミクロネシアのシングルアウトリガーより大きくて安定性も高いから、食料や人がたくさん運べる。
 すなわち、ずーっと遠くまで行けるから。
 
 航海好きのマウならではの、無邪気な要求である。
 しかし! 文明社会に生きる私にしてみれば、なんと大それたことを、と思わずにおられない。
 巨大なカヌーをハワイで作るのに、どれだけの金と時間がかかるのか。
 考えただけで気が遠くなるそんな要望を、タイガーは快諾した。
 そうして途方も無い時間と労力をかけ誕生したのが、我々が乗るマイスなのであった。
 
 マウとマイスにまつわるお話は、また次回。
 

 

 

 

 


 

 


*本連載は月2回(第1&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

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林和代(はやし かずよ)

1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。

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