三等旅行記

三等旅行記

#23

フォンテンブローの森

文・神谷仁

 

「一週間の予定の金が、一泊でなくなりさう

 

 

 

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<仏蘭西の田舎  3信>

 

 又巴里へ帰つて参りました。帰つて来れば来るで、壁の冷たさが私の神経の種になります。
 あなたの送つて下さいました、メンデルの雑種植物の研究は大変ありがたいものでございました。知らない土地へ来ると、知らない雑草雑木に心惹かされてしまひます。ーー巴里には二日ばかり落ちついて、此度は、リヨンの停車場から、フオンテンブローの森へ参りました。
 南方の風景はまた素的で、フオンテンブローの森の中を初めて歩きました。
 ここへは夜分おそく着きましたもので、信用あるホテルと云ふのに電車の女車掌が気を配つてくれたのでありませう、ホテル・サボイと云ふ、まるで御殿のやうな宿に泊りました。一生のうち再びめぐりあはせぬであらう豪勢振りで、ーーその夜なぞは、眠る事も出来ず、ベランダに長いソフアを持ち出して涼みながら夜更けの森に囲まれた町を眺めました。
 夜鶯に閑古鳥がはげしく啼いて、まるで深い井戸の中にゐるやうでございます。こゝは昔、フオンテンブロー派の絵画や文学の発展地で、ジヤン・コクトウなぞも、此の森を泉の森とか云つてゐたと云ふ位だと聞きました。

 朝も私は一番に飛び起きて、湯をつかひ、日本に似た螢石の多い森中を、樹の葉や草を摘んで歩きましたが、森の中の自動車道はまるで一本の大河のやうに涼しく青く素的でございました。樫、山毛欅、針樅、樺、栗の種類が多く、歩いてゐますと、時々コローの絵に見る風景に驚かされる事も度々でございます。
 ホテルの昼食も八十法位で、山のホテルにしては、実に美味しい造り方で、ーー奈良の若草山のやうなスロープが庭になつてゐました。広いホールの食堂を燕のやうなコスチユウムのガルソンが、セルビスしてゐました。私が参りました時季は、まだ夏の休みには間があつたのでありませう。英国の老夫婦と、アメリカの紳士が二三人きりで、ひどく閑散なものでありました。一生にない事故、料理は最後のコースまで食べ終り、まことに、初めての遊山気分でございます。
 ですが、一週間の予定の金が、これでは一泊でなくなりさうに思へましたので、ホテルの事務所で、地図のひらひ見です。
「バルビゾオンの村へお出になりますと、いま李の花の真盛りでございますが……」
 で、私はバルビゾオン行きに定め、自動車で約四里の山道を、バルビゾオンへ参りました。

 此街道は、丁度奈良の奥にも匹敵するのでありませう、ゆさゆさと風に鳴る樹間を、自動車はかなりの速度で走りました。此ままてほろびてしまつてもいいのに……妙に心が淡くなつて、とても旅人以上の気の弱さです。大名笹のやうにしなやかな若木の並木の下を行く時は、空ばかり見てをりましたが、まるで、自分が瀬を行く鮎のやうな気持さへして参ります。
 魚の心に、魚の姿になつて冷い瀬を泳いだら楽しいだらうと、そのやうな空想もしてみたりしました。結局は、金の事に至る事がおそろしく、出たとこ勝負の気休めもあつたのでございませう。

 

 

 

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< 解説 >

 

    モンモランシーからパリに戻った芙美子は、すぐにまた旅へと出発。今度はフランス王家の宮殿があったことでも知られるフオンテンブローへと向かった。その宮殿と庭園は、現在、世界遺産にも指定されている。
 さらには宮殿に隣接するフォンテンブローの森には、「落穂拾い」や「晩鐘」を描いたミレーなど、多くの画家が愛したバルビゾン村もあるなど、当時から観光スポットとしても名高い場所だった。
 昭和21年に出版された芙美子の『巴里の日記』にはこの日の旅行のことは以下のように書かれている。

 

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四月二九日
 

 早く目が覚める。昏い空だけれども、遠くで鶯が鳴き、爽やかな朝である。お神さんはとてもよくもてなしてくれて親切である。着物を着て行つたので、私が珍しいのかもしれない。ーー昼まで小雨のなかの荒れ果てた城跡を歩き、それより、勘定を済ませて自動車でアンギヤンに帰った。三時頃巴里へ着くけれど、アパルトに戻る気がしないので牡丹屋でうなぎを食べて、再び旅立ちの仕度をしてガール・ド・リヨンに行く。駅の中をぼんやり歩いてみるけれど、どうしても汽車に乗りたくて仕方がなかった。ーーフオンテンブロー行きの切符を買ひ、七時二二分発。雨あがりの車窓の景色にみとれてしまふ。モンモランシーの田舎もよかったけれど、南の景色もまた素晴らしく美しい。(中略)
 フオンテンブローの駅に着いたのが九時過ぎだった。人に訊いてサボイ・ホテルに泊まつた。まるで森の宮殿のやうな白亜のホテル。もう遅いので、ボーイにビスケツトと紅茶を貰つて空腹を満たす。中庭に面したバス付きの部屋で、がつしりとした二つの寝室、枕もとの黄いろい灯かげ、唐草模様の鉄の欄干、モンモランシイと違つて、あまりに豪華な部屋なので、宿料が心配になつてくる。遠くの森で透きとほるやうなナイチンゲールの聲をきくなり。ーー柳洩る、夜の河白く、河越えて煙の小野に、かすかなる笛の音ありて旅人の胸に触れたり、ーー清白の詩を想い、転々として夜明けまで眠れず。

 

四月三十日
 

 鎧戸をあけて、沸きたつやうな美しい朝の緑を眺める。庭も森も、さながら緑樹の海である。昼食を、豪華な硝子の食堂で済まして、森の中を歩いてみた。奈良のやうな處でもあり、信州のやうな處にも似てゐると思ふ。
 六時頃明るいフオンテンブローを去って、バルビゾンに向ふ。緑樹の海の中を、古い自動車でドライヴ。空をみてゐると、萌えたつやうな爽やかな新緑が、さはさはと風にゆれて、夢のやうに愉しい眺め。憂愁もしばらく霧散してしまふなり。(後略)
(林芙美子『巴里の日記』昭和22年・東峰書房刊より)

 

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  美しい宮殿や森に興奮しているのが、伝わってくるようだが、彼女がこんなにうきうきしているのにはもうひとつ理由があった。
 

 実はこの旅には同行者がいたことが、後の研究によって明らかになっている。次回はその同行者のことなどについて触れてみよう。
 

 

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*フォンテンブローの宮殿。現在は世界遺産に指定され観光客で賑わっている。(写真はwikipediaより)

 

 

02_BarbizonRue

*バルビゾン村。この地に暮らし、創作活動に勤しんだ芸術家たちは「バルビゾン派」と称された。(写真はwikipediaより)
 

 

 

 

 

 

 

 

 
                         

                                                         

      *この連載は毎週日曜日の更新となります.次回更新は1月22日です。お楽しみに。           

 

                     

 

 


 

                                                                                                 

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林 芙美子

1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。

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