ブルー・ジャーニー

ブルー・ジャーニー

#23

アイスランド 五分前に生まれた世界〈5〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

めったに訪れないが

 フロントガラスが濃紺に染まる。

 アイスランドでもっとも深いフィヨルド湾、エイヤフヨルズル湾。

 濃紺と純白の狭間に、アークレイリの町並みが見える。

 加速度的に車が増えていく。シルエット、素材感、音、すべてが自然になじまない。人間が作り出したもののなかで、おそらく、もっとも人間らしい。

 6N_web

 

6S_web

 

〈アイスランドでの交易占有権を有するすべての商人は、アイスランドに住まなければならない〉

 九世紀、スカンジナビア半島から移り住んだヴァイキングの集落は、一七七七年(安永六年)のデンマーク国王の布令を境に町に成長。南部の通りには、当時のデンマーク商人の家々が残されている。

 一分一・五円のコインパーキングに車を停め、通りかかった老夫婦にリカーショップの場所を聞く。アイスランドでは酒を扱っているのはリカーショップのみ。コンビニエンスストアやスーパーマーケットでは売られていない。

「こっちですよ」

「あらあなた、ちがうわよ、あっちよ」

「おや、そうだったかな」

「そうですよ」

 手を引こうとする老夫婦に礼を言い、教わった道をたどる。

 アイスランド第二の町は季節はずれの軽井沢よりも静かだが、それでもすぐに息苦しくなる。

 買い物を済ませ、早々に散策を切り上げる。

 

8G_web

 

8B_web

 

 どしゃぶり、晴れ間、どしゃぶり、濃霧、強風、みぞれ。

 空模様が早送りで移り変わり、わずかな晴れ間に虹がかかる。

 五日目の宿泊地、ファームハウス・スタザウスゥリに到着。たいせつな資料が手から滑り落ち、風に飛ばされる。

 ようやくかき集めてドアの向こうに飛びこむと、ホテルマンが両手を広げ、肩をすくめる。

「これがアイスランドなんです」

 かすかに硫黄の匂いがするシャワーを浴び、“VIKING(ヴァイキング)”という銘柄のビールをのどに流しこむ。

  北欧神話の原典“エッダ”の『箴言』は酒飲みに忠告する。

〈飲めば飲むほど人は無知になる/飲めば飲むほど愚かになる〉

 旅人に忠告する。

〈世界を旅する者は、自己をわきまえる分別が必要だ/愚か者は家でおとなしくしていたほうがいい〉

 

6T_web

 

「エクスキューズ・ミー」

 背後から声をかけられる。

 振り向くと学校帰りらしい一四、五歳の少年。くりくりとウェーブがかかった金髪に真っ白い肌。

「こんにちは」

「こんにちは」

「あなたはレイキャビークの出身ですか?」

 じょうだんではないことはひと目でわかる。

「いや、ぼくは日本人。日本の東京から来たんだ」

 少年の頬に赤みが差す。

「ぼく、作家になりたいんです」

 アイスランド人は言う。「本を持たないで出かけるくらいなら、裸足で出かけるほうがましだ」出版される書籍の数を国民ひとりあたりに換算すると世界最多。なりたい職業の第一位は作家。

 写真を撮っているあの人は、出版の世界で働いているのかもしれない、と思ったということなのだろうか?

「ぼくは日本から来た、ただの旅行者なんだ」

 重ねて言うと、少年は頭を振りながら、すこし離れたところで様子をうかがっている友だちの中にもどっていった。

 

8A_web

 

 アイスランド島の西に突き出たスナイフェルネース半島の根元にさしかかる。

 北側の海岸線は氷河に削られたフィヨルド。南側の海岸線は断崖絶壁の連続。半島の最西端にそびえるのはスナイフェルスネース山(一四四六メートル)。このヴァイキングの神が宿る聖地を、ジュール・ヴェルヌは『地底旅行』の舞台に選んだ。

 

──大胆な冒険者よ、七月一日のまえにスカルタリスの影が愛撫しにやってくるスネッフェルスのヨクルの火口のなかに降りよ、そうすれば地球の中心にたどり着くだろう。それはわたしが成したことだ。 アルネ・サクヌッセム

 

 偶然見つけた古文書をたよりに、三〇〇年前の旅人の足跡を追って、スナイフェルスネース山の火口から地球の中心へ。

 SF小説であり、すぐれた紀行文でもある『地底旅行』には、アイスランドの表情が立体的に再現されている。

 

──この半島一帯の海岸線はどこでもそうだが、フィヨルドの岸壁は、高さ十メートルもある垂直の無数の石の柱でできている。これらの見事に均整のとれたまっすぐな柱身の上には、多数の水平な柱が載って屋根となり、その屋根の尖塔が飾り迫縁(アーキヴオールト)のように海の上に張り出して、未完成のドームをかたちづくっている。

 

8C_web

 

 北極圏から南下してくる冷気と北上してくるメキシコ湾流がぶつかり合う場所に位置するアイスランドは天気が変わりやすい。

 ほぼ真横に降る雨、どしゃぶり、雪、みぞれ、靄、霧、霧雨。

 前の日と同じように、天気が分単位で変化していく。

 つかの間、太陽のスポットライトが、濡れた溶岩台地に虹をかける。

 何度目のため息だろう?

 

8H_web

 

 温度六〇〇~一二〇〇度のマグマと、それを卵の殻のように包みこむプレート、地球は大きくこのふたつの層で構成されている。

 プレートの厚さは二〇~一〇〇キロで“海のプレート”と“陸のプレート”の二種類。ユーラシア大陸をはじめ、地球上のすべての大陸は“陸のプレート” の上にある。

 プレートは爪の成長速度とほぼ同じスピードで動き、循環している。

 火山から流れ出したマグマは、冷えて新たなプレートとなり、それに押されて大陸を乗せたプレートが地球をめぐり、やがてプレートの下にもぐりこむ。

 日本列島は四つのプレート──北米大陸を乗せた北米プレート、ユーラシア大陸を乗せたユーラシアプレート、そしてフィリピン海プレートと太平洋プレートのふたつの海のプレート──が出会い、押し合う世界的にめずらしい場所に位置する。多発する地震は、押し負けたプレートが殻の下にもぐりこむときの摩擦に起因する。

 世界の火山の約八〇パーセントは海の底にある。だからプレートのほとんどは海底でつくられるのだが、地上で生まれる場所が地球上に三カ所ある。大西洋の中央部に浮かぶアゾレス諸島、ノルウェーの西北、ヤン・マイアン島、そして一年に二センチの割合で広がりつづけるジオロジスト・ファンタジーの地、アイスランド。

 

ICELAND105

 

 首都レイキャビークの東、約五〇キロ、“サガ”の舞台として知られるシンクヴェトリル国立公園のアルマンナン・ギャウ(偉大なる裂け目)。

 西側の壁がアメリカ、カナダ、日本の本州の東北部と北海道、そしてサハリンを乗せた北米プレート、東側はユーラシア大陸を乗せた世界最大のプレート、ユーラシアプレート。ふたつの大陸はここに生まれ、日本列島をめざして正反対側の方向に旅立つ。

 

 ふたつの大陸の始まりの場所、アルマンナン・ギャウは、アイスランドの始まりの地でもあった。

 ノルウェーから移り住んだヴァイキングは、世界初の民主議会アルシング(全島会議)を、このコンサートホールのように声が響く大地の裂け目で開催。自由と平等を求めて議会制民主政治を確立した。世界の民主議会の基礎を作ったと言われるイギリスのマグナカルタ成立より約三〇〇年前、九三〇年(延長八年)のことだった。

 アルシングは国王を認めず、軍隊を持たなかった。一一世紀のドイツの聖職者は言った。「アイスランド人たちに法律以外の王はない」

 

8E_web

 

──ギャウ内部に入ってみると、崩れ落ちた壁はもちろん反対側より低いし均斉を欠いてもいるが、それでも壁のように見える。しかし、もう一方の側は岩の層が四角で規則的で、石工が作ったように見える。

 

 ウィリアム・モリスの後ろ姿を追う。

 

──その面は厳密に言えばなめらかではないが、なめらかといっていい切り子面状だった。暗灰色だったが、突き出ているところは別で、その平らな頂上はヒースのような植物でおおわれていた。壁の頂上はとても幻想的な、さまざまな形の飾りがついていた。こちらは頭蓋骨のついた柱かと思えば、あちらには巨大な石を抱えている細い小尖塔あり、腐食しぼろぼろになった杭の列あり、といった具合だ。すべて不思議な事物の様子をしている。

 

8F_web

 

 ギャウの上に立つ。

 エクサール川の向こうに、ユーラシアプレートがアルスマン山を乗せて広がっている。

 風と雨のカーテンが開けられ、一〇〇〇年前、ヴァイキングが夢を託した世界に、柔らかな陰影が、いっせいに立ち上がる。

 

──洞察と想像力というあの細い糸、これはめったに訪れないが訪れるととても楽しいものだ。それが、この最大の驚異でありアイスランドでもっとも多く語られる場所を一目見たとき、私に訪れた。

 

8I_web

 

 寄り道を重ね、何度も引き返し、ただただ立ちつくした八日間、約二五〇〇キロ。

 時間軸に沿って言葉が堆積するヨーロッパ的な世界と寡黙な大自然が水平方向に広がるアメリカ的な世界。五分前に生まれた世界は、そのどちらでもない場所に広がっていた。

 

 

(アイスランド編・了)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

blue-journey00_writer01

時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

ノンフィクション単行本 好評発売中!

blue-journey00_book01

日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

ブルー・ジャーニー
バックナンバー

その他のTRAVEL

ページトップへ戻る

ページトップへ戻る