越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#21

タイ・メーソート~ミャンマー・ミャワディ

文と写真・室橋裕和

 

 タイとミャンマーの間に、外国人でも通行できる国境が開いた2013年。新しい国境が開くというのは、マニアにとってはたまらないビッグニュースである。速攻で訪ねてみたが、そこはいまだ山岳ゲリラが暗躍する場所でもあったのだ。

 

 

マニア興奮! 新時代のミャンマーの玄関口

「ミャンマーが国境を開放した!」
 それは忘れもしない、2013年8月のことだった。陸路での出入国を禁じ、固く扉を閉ざしていたミャンマーが、タイとの国境を一挙に4か所もオープンさせたのだ。民主化の進展が国境の壁を突き崩したのである。
 世の国境マニアたちは沸きに沸いた。バンコクのミャンマー大使館には早くも同好の士たちが殺到し、陸路入国一番乗りを果たすべくビザの申請をしているのであった。僕も負けじと長蛇の列に並び、いったいどのポイントから入国してやろうか熟慮する。
 開いた4つの国境のうち3つは、これまで「1日限定、国境の街だけ限定」でタイから訪問できた場所だ。これが国際国境として昇格となったわけだ。もうひとつは新規に開設されたもので、日本政府が力を入れているミャンマー南部ダウェイ工業団地の開発を見越してのものだろう。この未知なる国境にもそそられたが、僕がチョイスしたのはメーソートとミャワディの国境である。今後、タイとミャンマーの経済の大動脈になることが予想される場所だ。いわば新時代のミャンマーの玄関口といえるだろう。
 無事ビザをゲットした僕は、その足でモーチットへと向かい、夜行バスに乗り込んだ。

 

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バンコクのミャンマー大使館はビザ申請者で黒山の人だかり

 

 国境を越える前からすでに、メーソートの街はミャンマーの雰囲気に満ちていた。多くのミャンマー人労働者が働いているのだ。ミャンマーの伝統的な化粧品でもあり日焼け止めでもある「タナカ」を頬に塗った姿をよく目にする。街の南部には大きな市場があるが、ここで売られている産品もミャンマーのものだ。
 市場のたもとからは、国境に向かうソンテウ(乗り合いバン)が頻発している。わずか15分ほどのドライブで、イミグレーション前に到着する。
 さて、まずはタイ出国だが、果たしてすんなり通してくれるだろうか。中央の政策が地方にまで浸透していないことが東南アジアでは珍しくない。陸路開放なんて聞いとらん、と言われる可能性も考えられたが、係官はあっさりと出国スタンプを押してくれるのであった。
「どこまで行くんだい?」
 パスポートを返しつつそう聞かれたので、僕は元気よく答えた。
「ヤンゴン!」
 係官はグッドラックとばかりに親指を掲げた。よし、本当に行けるんだ。

 

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メーソートのタイ側イミグレーションはなかなか立派だった

 

 国境線となっているモエイ河にかかる橋を歩いていく。一歩一歩、ミャンマーに近づいていく。タイとはまったく違った、ごみごみした街並みが見えてくる。そして橋を渡りきったところで出迎えてくれたのは、陸路国境開設のセレモニーが開かれたことを示す看板。
「おお……」
 実に感慨深い。僕が旅にハマッた20数年前、インドシナ半島は陸路で出入国できる場所は限られていたものだ。それが、治安が安定したカンボジアが次々に国境を開け、ラオスやベトナムも陸路で行き来できるポイントが増えていった。そしてとうとうミャンマーである。さらに西側でインドとの国境が開けば、アジアを陸路で一気通貫できるようになる。時代は変わっていく。
 イミグレーションでは大歓迎をされた。入国の書類はすべて係官が書いてくれて、お茶まで出てきた。聞いてもいないのに街のおすすめレストランなんか教えてくれる。
「ところで、このあとモーラミャインの街まで行きたいんですが、バスか何かありますかね」
「ないよ。運休。今日は向こう発の日」
 聞けばこういうことであった。ここから先、道路はまともに舗装もされていないダートで、しかも険しい山岳コースなのだという。狭いため互いに車がすれちがうこともできない。土砂崩れの危険もある。そこで、1日おきの一方通行になっているのだ。そして今日はミャワディに向かってくる車だけが通行できる日だった。
 仕方なくアドバイスに従ってホテルに投宿、翌朝の再チャレンジを待つ。

 

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手前がタイ、向こうがミャンマー。モエイ河は国境線になっているのだ

 

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ミャンマー政府からのお達し。本当にオープンしたんだと感動


 国境ゲートの前は活気にあふれていた。乗り合いのジープやバンが大挙し、屋台も出て「ミャワディ発の日」はちょっとした高揚感があるようだ。何人かの運転手と話してみたが、モーラミャインまではセダンタイプで1万5000チャット(約1200円)、5~6時間で着くらしい。相当なオンボロだが文句は言えまい。
 ミャワディを出ると、すぐに軍の検問が待っていた。つい1か月ほど前まで、この道を進むことは外国人には許されていなかった。引き返せなんて言われないよな……恐る恐るパスポートを提示してみると、軍人は中も見ずにOKとあごで合図した。ホッと肩が落ちる。
 ようやくミャンマーに入国してきた実感が湧いてきたのは、想像以上の悪路に揺られはじめてからのことだ。舗装は途切れ、ドロドロのぬかるみがどこまでも続く。右に左にカーブを描きながら少しずつ標高を上げていくが、ほとんどスピードが出せない。ところどころで断崖絶壁に差しかかるが、当然ガードレールはない。確かにこれでは一歩通行しか無理だ。
 洗濯機に放り込まれたような状態に耐えていると、ときどき小さな村を通り過ぎた。カレン族の集落だという。粗末な藁葺きの小屋がいくつも並ぶ。貧しい身なりの汚れ果てた子供たち。目つきの険しい男たち。ライフルを背負った者もいる。
 彼らは村の出口にゲートを設置し、そこで「通行料」なるお金を運転手から徴収していた。有無を言わさない雰囲気である。ほとんど山賊のようだが、男たちはいまでも反政府活動をしている山岳ゲリラなのだ。いちおう停戦に合意してはいるが、突発的な戦闘が起きることもあるという。せしめた「通行料」を資金源に細々と活動を続けているのだろう。
 のほほんと平和なタイのすぐそばで、まだこんな世界が展開されているのだ。
 悪路に苦しみゲリラに脅えるドライブはおよそ3時間に渡って続いた。山を下り、コーカレイの街に出ると、ようやく道路の舗装が戻ってきた。あとは平坦な道を突っ走ればモーラミャインだ。

 

 この国境は、生きもののように変化を見せている。2015年にはミャワディからコーカレイを貫く立派な道路がタイの資金協力によって完成した。つまり僕は、アジアでもいまや珍しくなった、あれほどの悪路を体感した数少ない人間ということになる。旅マニアはそんなところにひそかな悦びを覚えるものだが、通行料で食っていたゲリラたちはどうなったのか気がかりでもある。
 そしてモエイ河には今年、新しい橋が架かる予定だ。国境開放以降、両国の貿易額が急増したことを受けてのものだ。この橋も完成次第トライしてみなくてはならない。

 

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道路がほとんど沢と化している場所も多かった。こんな山道がえんえんと続く

 

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カレン族の料理はおいしい。納豆もある。コーカレイの街にて

 

 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

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*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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