ブルー・ジャーニー

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#21

アイスランド 五分前に生まれた世界〈3〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

どこまでも、どこまでも

 夜の闇が、吸いこまれるように深い。

 見えるのは漆黒とヘッドライトだけ。

 走りつづけるうちに、上下左右があいまいになり、ふわふわと宙を漂い始める。

 ガタン、ガタン、ガタン。一定間隔で伝わってくる振動に、意識を引きもどされる。

 橋? それにしても長い。

 遠くに民家の灯り。通り過ぎたら、つぎはいつになるかわからない。

 庭先に車を乗り入れ、ドアをノックする。

 ドアが開き、おいしそうな匂いが流れ出てくる。

「わたしはいま、どこにいるのでしょうか?」

 突然現れた日本人の、どうにもまぬけな質問に、これ以上はない親切な答が返ってくる。

 親子に教わった道を走ること約三〇分、ようやく三日目の宿泊地を発見。アイスランドに興奮しきった頭を、アルコールで寝かしつける。

 

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 翌朝、リングロードを引き返す。

 ガタン、ガタン、ガタンは、やはり橋の継ぎ目で、漆黒に塗りつぶされていた橋の両側には、空間と時間が、どこまでも、どこまでも広がっている。

 はるか昔、アイスランドの氷河に閉じこめられた雨の滴が太陽に照らされて立ち昇り、雲に合流し、空をめぐり、大地に飛び降り、川を乗り継いで海に流れこみ、海流に乗り、やがてなつかしい氷河に邂逅する。

 氷河のグレイシャーブルーと北大西洋の深いブルー。地球をめぐる水の旅の始まりと終わり、終わりと始まり。

 見つめるほどに、思いは自分のなかに向かっていく。

 南の景色は意識を解放し、北の景色は思考をうながす。

 

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 ヨーロッパ最大の氷河、ヴァトナーヨークトル(ヴァトナ氷河)。総面積は東京都と神奈川県と埼玉県を合わせたほどの八四〇〇平方キロ。もっとも氷の厚いところは約一〇〇〇メートル、平均四〇〇メートル。

 降り積もった雪が氷に変わるとき、無数の微細な気泡が閉じこめられる。氷や多くの氷山が白く見えるのは、気泡の表面が太陽光を反射するためだが、氷河の深い部分で形成された氷は気泡を含まない。厚さ四〇〇メートルの氷が、その下の岩盤に与える圧力はおよそ四万八千トン。大地の形さえも変えてしまう巨大な圧力に気泡は追い出され、氷は光の青の波長だけを反射する。

 緑や赤の見え方には個人差があるが、青は等しく見える。遠い昔、海にいた祖先が、自分がいる場所の深さを知る必要があったからだ。

 

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 アイスランドにはヴァイキングが到来した九世紀以降、世界の終わりのようなヨークルフレーパ(大洪水)が約六〇回記録されている。

 一九九六年(平成八年)秋、噴火の前触れである群発地震が発生。間もない一〇月一日、氷河に埋もれたふたつの大きな火山、グリムスポトン山とパールザルブンガ山のあいだで噴火が起こったことを地震計が記録(分厚い氷が火口にふたをしているために、噴煙や火山灰を肉眼で確認することはできない)。ヴァトナーヨークトルの氷と地下のマグマを隔てていた岩盤が崩壊し、一秒間に六〇〇〇トン、一分間で巨大タンカー一〇隻分の氷が融解。それ以後のできごとは、“世界の終わり”をフィクションだとしていた科学者たちの考えを改めさせた。

 

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 基部を溶かされた氷河は沈下を開始、表面にできた小さなくぼみは、四時間後、八階建てのビルを飲みこむほどに巨大化。沈下はさらにスピードを上げ、翌二日、噴火のエネルギーは氷河を貫通。噴煙が五〇〇〇メートル上空まで吹き上がり、豪雨のように降り注いだ火山灰や火山弾がヴァトナーヨークトルの約半分を黒く塗りつぶした。

 氷は一秒間に約六〇〇〇キロのスピードで溶解しつづけ、激流が氷河の底にトンネルを掘り進み、氷の下のグリムスポトン・カルデラ内部の湖に流入。湖岸は決壊に追いつめられ、洪水警報が発令された。

 世界中から集まってきた科学者、報道陣が見つめるなか、しばらく小康状態がつづき、危険は去ったかと思われた矢先の一一月五日早朝、氷河の下に閉じこめられていた水がすさまじい勢いで流れ出し、約六〇年ぶりのヨークルフロイプが発生。毎秒一万五〇〇〇トンの割合で流れ出した水は、夜半には関東平野を流れる利根川の水量の約二〇〇倍に相当する毎秒四万五〇〇〇トンに増量。

 大洪水が収まったのは一一月七日の朝。流れ出た約三五億トンの水は、海岸線までの三〇キロの間のほとんどすべてのもの――家、橋、牧草地、送電線、電話線、リングロード――を幅一〇キロに渡って流し去った。推定被害額一〇億アイスランド・クローナ(約一五億円)。死者〇人は、自然を主に位置づけるアイスランドだからこその数字だった。

 残されたのは見渡す限りの荒れはてた土地と、火山灰で埋め立てられ、八〇〇メートルも延長した海岸線、そして氷河から流れ出た巨大な氷の数々。

 人々は復興に取りかかる一方、家やビルほどの大きさの氷の固まりに取りつき、アイスクライミングを楽しんだ。

 

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 人口一六〇〇人の村、ホプン(アイスランド語の港町)に差しかかる。アイスランド南東部唯一の居住地で、隣村は約一〇〇キロ離れている。 

 漁業を主要な産業とするこの国の通貨、アイスランド・クローナの七種類の硬貨には海産物――ダンゴウオ、カニ、シシャモ、イルカ、タラ、エビ、イカ――がデザインされている。

 タラと手長エビ漁の最前線基地、ホプンはトルフィスク(干しタラ)作りの真っ最中。町はずれの溶岩台地に組み上げられた木枠に下がる、まだ生臭いタラは、約三カ月後、ヴァイキングが長い航海のために考え出した完全な保存食になる。

 トルフィスクの完成をとりわけ待ち焦がれているのがスペイン、イタリア。とくべつにチャーターされ、大きな垂れ幕が掲げられた運搬船は、港で大歓声に迎え入れられる。

 

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 一九五八年(昭和三三年)アイスランドが自国の領海を四海里から一二海里へと拡大する新法を制定。この主張を認めなかったイギリスは海軍の軍隊を派遣して操業を継続。アイスランド沿岸警備隊(独立時、非武装中立を宣言したアイランドは軍隊を持たない)との間で起こった小競り合いは、抗議と脅迫の応酬、トロール漁船の網を鉤で切断するネットカッターの使用、体当たりへと激化し、ついには実弾が飛び交う事態となった。

 イギリスのマスコミが“Cold War(冷戦)”をもじって“Cod War(タラ戦争)”と呼んだ――奇跡的に死者が出なかった――この紛争は、断続的に一八年間つづき、一九七六年(昭和五一年)、国際世論を味方にしたアイスランドの圧倒的勝利に終わった。

 

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 リングロードを走り始めてすぐに、未舗装路に突入。左側のいまにも土砂崩れが起きそうな急斜面から、時折、こぶしほどの石がカラカラと落ちてくる。右側は柵のない断崖絶壁。その下は北大西洋。

 土煙を上げて近づいてきた除石車に、あっという間に追い抜かれる。

 除石車は二〇〇メートルほど前方でスピードを落とし、蛇行を開始。じつに手際よく道路に落ちた石を掃除していく。その手際のよさに感心するべきか、手際がよくなるほどに日常的な作業であることに感心するべきか。

 除石車の仕事が終わるのを待つ間、車を路肩に寄せて眼下に広がる北大西洋をながめる。

 深く沈んだブルー。一片の贅肉も見あたらない海岸線。凍りついた波打ち際。寒々しくて、でも、どこか温かい。

 

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 未舗装路を通り抜けて北上をつづけ、人口一八九人の村、ブレイズダルヴィークでリングロードはフィヨルドから離れ、内陸に向かう。

 両脇につぎつぎとすがたを現す起伏は、生まれてからこれまで見聞きしてきた“山”とはまるでちがう。時折差しこむ太陽の光が、触れたら手が切れそうなシルエットを際だたせる。

 リングロードは登りつづけ、やがて山々は姿を消し、見わたす限りの白に入れ替わる。西に向かって傾いていく太陽がなければ、写真のなかに投げ出されたような気分だ。

 やがて太陽は西の稜線の向こうに消えていき、世界は、どこまでも、どこまでも淡いブルーに塗りつぶされる。

 

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(アイスランド編、次回に続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

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