越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#20

シンガポール~インドネシア・バタム島

文と写真・室橋裕和

 

 シンガポールから狭い海峡を越えた先には、インドネシアの島々がある。経済特区として発展を続け、日系企業の進出も多いその島のひとつには、別の一面もあったのだ。

 

 

海峡を越え、経済特区の島へ行ってみると……

 シンガポールに滞在していた僕は、物価の高さに参っていた。そこらのカフェでランチしようと思ったら15シンガポールドルもするのである。約1200円だ。治安のよろしからぬ地域にある最低ランクの安宿はアゴダ割引でも5000円を超えた。いまや日本よりも高い国となったシンガポールは、貧乏人の僕にとってはつらい。マリーナ・ベイ・サンズのカジノにでも行って一発当てるべえかとも考えたのだが、それよりも簡単な方法を思いついた。
「インドネシアに行けばいいじゃん」
 島国シンガポールから船で1時間ほど南下すれば、インドネシア領のバタム島とビンタン島がある。シンガポールよりもだいぶ物価は安いはず。調べてみるとどうもビンタン島のほうはリゾートアイランドになっているらしい。おじさんひとりでビーチするのも悪くはないが、世間は脅威と見るかもしれない。そこでバタム島に行ってみることにした。

 

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シンガポールのランドマークとしてすっかり定着したマリーナ・ベイ・サンズ。貧乏人には無縁の場所だ


 インドシナ半島やインドあたりでの国境越えはワイルドな旅路になるが、シンガポールの場合は地下鉄でのスタートとなる。スマホに視線を落とす人々で混み合う列車を乗り継いで、ハーバーフロント駅の自動改札を出れば、そこは巨大なショッピングモールの中。無数のレストランやショップが並び、買い物客や外国人旅行者で賑わう様子は、とても国境とは思えない。そもそも港はどこなんだろうか……。
 きらびやかなモールの中をひとり場違いな感じでさまよっていると、ようやくチケット乗り場を発見した。船の料金は往復割引で49ドル、約4000円だった。すでにこの時点で「インドネシアで安く過ごす」という目的を見失っているような気もしたが、買ってしまったものは仕方がない。
 流暢な英語をあやつるおばちゃん係員によって指示された通りにモール内を進んでいくと、唐突な感じで空港のような荷物検査場が現れた。その向こうには入国審査の台があり、越えた先には免税店が見える。ショッピングモールの一角に、イミグレーションの機能があるのだ。厳粛な顔つきをしたオフィサーにパスポートを差し出せば、一気に国境感が高まる。出国スタンプ捺印の音にテンションが上がる。
 これまた空港然としたボーディングゲートには、工業団地やガスのプラント、港湾開発などの広告が踊る。バタム島はインドネシアとシンガポールが共同開発を進めてきた経済特区なのだ。外資がたくさんの工場を建設し、日系企業の進出も著しい。そのためバタム島各地とシンガポールの間には毎日およそ80便もの船が行き来しているという。

 

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飛行機と同じようなボーディングパスを持って乗船する

 

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「アセアン・レイダース号」の勇姿。上空に見えるのはリゾート島であるセントーサ島に渡るロープウェイだ

 

「なんと忙しい海峡なのか……」
 地球の中でもとりわけ多くの船が行きかうマラッカ海峡は、大型タンカーをはじめとしてさまざまな船が浮かび、壮観だ。その中を我が「アセアン・レイダース号」は進んでいく。船の舳先で片ヒザを立ててマントをなびかせたい気分である。
 わずかな時間の航海だが、時計の針は1時間戻さなくてはならない。時差があるのだ。これで1時間、余計に島を堪能できる。ちょっと得した気持ちになっていざインドネシア入国だ。日本人は2015年からビザが不要になったので、やや寂しいが入国スタンプのみをいただいて国境越えの作業をコンプリートする。
 国を越えた高揚感の中、まずは両替をし、手に入れたルピアでバタム島の中心都市へと向かう。車窓から見るインドネシアの街並みは、シンガポールとは違って屋台が立ち並び、薄汚れた雑居ビルが続く。信号待ちのときには裸足の少年がフルーツを売りに来たりもした。浮浪児らしき姿もある。いかにもなアジアの雑多さと活気とは、シンガポールからはもうなくなってしまったものかもしれない。
 そんなことをシブく考えつつ街でいちばん大きなショッピングモールの前でタクシーを降りると、いきなり大きな声が飛んできた。
「タクシー! タクシーどうだ?」
 タクシーを降りたばかりの僕に、別のタクシーが声をかけてきたのである。いったい何を考えているのか。
 唖然としていると別の男が顔を突き出してくる。
「女はいらねえか。タクシーで連れてってやる」
 バイクタクシーも寄ってくる。卑猥な日本語を連発し、さあ遊びに行こうと手をとってくる。
 なんという鬱陶しさなのか。あらゆる街角にこの手の連中がたむろしているのである。僕の姿を見かけると遠くから全速力で陸上選手のごとき格好で走りこんできて、はあはあ息を切らせながら「レディー?」と誘ってくる男。何百メートルもえんえんとバイクで低速併走しながら「ジキジキ(インド、インドネシア方面でのセックスの隠語)、ジキジキ」と呟き続けるやつ。交差点の向こうで手を上げて、白昼堂々「ジャパン! オ●ンコ!」と絶叫してくる異常者。とんでもない街なのであった。

 

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バタム島には歓楽街が広がっている。日本人や欧米人の姿もよく見かける

 

 バタム島はシンガポールよりもはるかにリーズナブルに夜遊びができる場所としても知られており、東西の変態たちが集まってくるところでもあったのだ。
 工業団地に進出している日系企業のお父さんたちは相当な肉食性を見せているらしく、日本人狙いのポン引きは非常に多い。そしてこの街の名前はなんと、ナゴヤというのだ。
 大戦中、旧日本軍が島に進駐したときにつけられた名前だとも、あるいは島の開発が本格化した1970年代に、日本の援助関係者が名づけたともいわれる。
 そんなナゴヤは名古屋の歓楽街・栄もかくやというほどの国際的なエロタウンとなってしまっているのであった。この手の商売には厳しいインドネシアだが、経済と同様こちらの分野でもバタム島はフリーゾーンであるらしい。
 夜になると派手なネオンが点った。客引きどもについて置屋に行く若さはないが、バーで軽く飲むとするか。ビールもシンガポールの半額ほどだ。
「あら日本人。いらっしゃい!」
 これぞアジアの優しさという感じの、満面の笑みだった。客引きのしつこさからいくぶん警戒していたが、緊張も不安も一気に溶かしてくれるママ、グレースさんの大きな笑顔。
「ごめんね、普段はタクシーもそんなにうるさくないんだけど。いまは年末年始の休暇でしょ。工場団地の外国人はほとんど帰国しちゃって、お客がいないのよ。だからみんな必死なのかも」
 という話だった。確かにこのオープンバーも客は少ない。が、だからといってチップやらドリンクをねだってくることもなく、心地のよい、弛緩した空気だ。客にべったりするのではなく、いい意味で放っておいてくれる。外国人が通りがかると嬢たちは「うぇるかーむ!」と楽しげに笑いかけ、インド人にはヒンドゥー語で、中国人には中国語で声をかけては陽気にはしゃぐ。まかないの料理がまわってくる。なんというか店員のひとりになった気さえする。この距離の近さは、日本やシンガポールではきっともう味わえないものだと思う。
 ママたちと一緒に飲みながら、更けていくナゴヤの夜。海峡を越えた先には、いい意味でも悪い意味でも、アジアの気安さがあった。嬢たちに囲まれて街を眺めていると、シンガポールよりもいくぶん弛緩している自分に気がつかされた。

 

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ナゴヤの中心的な存在である大型ショッピングモール。日本食のレストランもいくつか入っている

 

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疲れたおじさんを癒してくれたグレースママ(左)たち

 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

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*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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