ブルー・ジャーニー

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#20

アイスランド 五分前に生まれた世界〈2〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

すべてが新しい

 なにを見ても、どこを見ても、記憶に重なるものがない。

 想像する手掛かりもないから、目に映るものの大きさがわからない。

 すべてが不確かで、見つめるほどに、足下が頼りなくなっていく。

 

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 深海を縦横に走る海底山脈“海嶺”。標高の平均は二千~四千メートル。総延長は地球のほぼ二周近い七万五千キロ。噴火活動が人の目に触れることはないが、世界の火山の八〇パーセントを占める。

 そのうちのひとつ、北極海に始まり、大西洋を通り抜け、赤道を越え、アフリカの南の沖に連なる大西洋中央海嶺。全長はロッキー山脈の約三倍の一万三千キロ。

 約一千六〇〇万年前、この大西洋中央海嶺の北にそびえる六千メートル級の火山が噴火。吹き出したマグマが海面を越えて固まり、やがてアイスランドとなる島になった。

 地球の四六億年の歴史を一日とすれば、五分前に生まれた世界。

 すべてが新しい。

 

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 リングロードをはずれ、車を走らせる。

 氷河の水が断崖を無数に流れ落ちるアイスランド。

 そのうちのひとつ、セリャランフォスの滝。

 車から降りて、ようやく大きさを理解する。

 この地に上陸してから、いつもいちばん近くにあった風の音が、水の音に塗りつぶされる。

 滝の裏側につづく道を二、三メートル進み、立ちすくむ。

 日本語が四季の表情をさまざまに表現するように、アイスランド語は雪や氷をめぐる言葉を数多く持つ。足下の、風に磨き上げられた氷は“ハルカ(飛ぶ氷)”。

 

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 風景は生まれた瞬間から止まることなく消滅に向かう。水に流され、風に削られ、植物の根に砕かれ、鋭く険しい輪郭は、丸く穏やかに縮んでいく。

 生まれたばかりの、鉈で切り出したような岩肌を見上げ、耳を澄ます。

 

 約二千年前、古代ギリシャの哲学者エピクテトスは言った。

「神は人間に耳をふたつ与えたが、口はひとつしか与えなかった。それは、人間が話すことの倍聞くようにとの思し召しからだ」

 

 旅は物思いにふける、貴重な機会を与えてくれる。

 

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 一八二一年六月、イタリアの活火山ヴェスビオ山の頂をめざして、熱い溶岩の道にとりついた盲目の冒険家ジェイムズ・ホルマンは、ラバに乗ることを勧められ、答えた。

「足で登ったほうがよく見えるのです」

 

 素足をそっと溶岩台地に乗せる。

 想像よりも厚く、密で、柔らかく、すごくやさしい。

 

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 脳は予期した色を見る。光の加減で白いバナナも黄色い。

 すべてのものの色を純粋に発見できるのは、出会いの一度限りしかない。

 曙色、鶯色、黒褐色、稲穂色、狐色、萌木色、朽葉色、のような色。

 陽の光を受けて、大地の産毛の一度限りの表情が途切れることなくつづく。

 

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 南下する北極圏の冷気と北上する温暖なメキシコ湾流にはさまれたアイスランドは、天気が変わりやすい。青空は五分後に雨雲に塗りつぶされ、横殴りの雨は五分後に虹に追い払われる。

 一日に四季が移り変わることもあるが、落雷は無いに等しい。

 雷に打たれる確率と車を盗まれる確率は、ほぼ同じ。アイスランドで必要なのは盗難保険ではなく、砂嵐保険、フロントガラス保険あるいは砂利道用保険。

 昨年、レイキャビークのダウンタウンのホテルが「水道水を飲まないように」と注意書きを貼り出して、宿泊客にペットボトル入りの水を売りつけ、人びとの怒りを買った。国中のどの蛇口からも清潔でおいしい水がほとばしるアイスランド、ペットボトルの中身は水道水だった。

(とくに折りたたみの)傘もアイスランドでもっとも不要なもののひとつ。雨が横に降るのはふつうのことで、時に下から上に向かって降る。

 

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 霧は視界にカーテンを下し、靄は視覚をもてあそぶ。遠くのものを近くに、近くのものを遠くに見せる。

 輪郭が解け合い、にじんでいく。

 風景は立体感を失い、水墨画になる。

 片側一車線のリングロードを時速九〇キロで走りつづける。

 足下が、いよいよ不確かになっていく。

 

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 レイキャビークから約一八〇キロ、アイスランド最南端、港を持たない漁村、ヴィーク・イ・ミールダール。人口約三〇〇人。

 この一帯はヨーロッパ最大の北極アジサシの繁殖地。ひさしぶりに風と水の以外の音を聞く。

 村を出て間もなく、リングロードは海岸線を離れる。

 

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 雲の切れ間から顔をのぞかせた太陽が、溶岩台地にスポットライトを当てる。スポットライトの輪はみるみる広がっていき、水墨画をやわらかな色に塗り替えていく。

 湖底火山の噴火と洪水が作り出した砂漠地帯“ミールダルスサンドゥル”とラーキ火山の噴火が生んだ溶岩台地“エルドロフィン”。隣り合うふたつの広がりを合わせると東京二三区の約二倍、一二六五平方キロ。そのまっただ中を走りつづける。

 

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 だれもが、一生に一度は火山の誕生を目の当たりにする国、アイスランド。

 一七八三年(天明二年)六月八日に始まったラーキ火山の噴火はことのほか大きかった。地下水がマグマに触れて水蒸気爆発が発生。二六キロに渡る線状噴火を引き起こし、一三〇の火口が誕生。翌年の二月六七日までの間に、単一の噴火としては有史最大の三〇〇億トンの溶岩と、その三倍の硫酸を噴出。当時のアイスランドの人口の約五分の一、九千人と家畜の半分が犠牲になった。

 あらゆる植物は枯れ、腐り、灰色になった。

 成層圏まで上昇した塵は、イギリスに火山灰を降らせ、ヨーロッパを“ラーキの靄”でつつんだ。北半球の気温は低下、一七八三年の夏は“砂の夏”と呼ばれ、江戸時代中期の天保の大飢饉の遠因にもなった。

 ネイチャー・ライティングの古典『セルボーンの博物誌』を著したギルバート・ホワイト(イギリス)は、当時の様子をこう記録した。

──小石が激しく降り注ぎ、雷雨が襲った。独得の靄、くすぶった霧が発生し、数週間にわたって王国の多くの郡を驚かせ、苦しめた。ヨーロッパのほかの地域でもおなじようなことが何カ所でも起こった。それは異様な風景であり、今までに人類が体験したすべての経験と異なっていた。

 

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「自然は人間よりはるかに強いと思うわ」

 二〇〇一年、アルバム「Vespertine」を発表したビョークはタイム誌のインタビューに応えて言った。

「わたしたちが食べる食料の半分は家族が自然から調達するの。スピリチュアルなものとの関係は今も残っている」

 故郷アイスランドの冬をモチーフにした「Vespertine」、氷が割れる音や雪を踏む音が、聞く人に“だれにも奪われないあなただけの場所”を喚起する。

「欧米の都市の多くはそういうものを失ってしまったから、メディテーション・スクール(瞑想教室)のようなところに通って買いもどさなければいけなくなったのね」

 

 

 

(アイスランド編、次回に続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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