越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#02

タイ・ターリー~ラオス・ケンタオ

文と写真・室橋裕和

 河を挟んだあっちとこっちは違う国。 だけど文化はほとんど同じだ。ただ経済格差だけが、河と同様に横たわっている。 ガイドブックにも載っていない国境を越えてゆく。

 

 

チェンカーンで国境線のメコン河を眺め続けた

 真ッ昼間だというのに、ビアシンの缶が次々と空いていく。目の前の滔々とした流れを肴にすれば、タイを代表するこのビールをいくらでも飲めた。
 飽き足らず、タイ国産のラム、センソムにスイッチする。辛ウマなイサーン(タイ東北部)料理によく合う。炭酸割りをちびちびと舐めながら、僕はメコン河を眺め続けた。
 河の向こう岸には違う国、ラオスの大地が広がっている。河の真ん中が、国境線になっているのだ。

 

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 メコン河に面したイサーンの街、チェンカーン。河を利用したラオスとの貿易港として栄えた歴史をもつ。ほとりには、往時に建てられた古い木造建築群がいまでもたくさん残されているが、そのなかには200年前に建造されたものもある。
 で、この昔ながらの街並みがタイ人の若者にウケた。映画『チェンカーン・ストーリー』などのロケ地にもなり、折りしものレトロ・ブームもあって、いまではすっかり人気の観光地だ。土産物屋や、食べ歩きの屋台が並び、楽しげな観光客がそぞろ歩く。いくつかの古民家は改築されて、メコン河と、ラオスとを望むシャレオツなゲストハウスとなった。日本のガイドブックに記述はごくわずかなので、日本人旅行者はとっても少ないが、どこからでも対岸のラオスが見える、国境マニアとしても嬉しい街なのだ。
 そんなわけで「聖地巡礼」に来たタイ人の若いグループやカップルで賑わうチェンカーンに、日本人のおじさんがひとり。国境線たるメコン河を眺めて鯨飲するという、マニアならではの至福に浸り、すっかりできあがった僕は、センソムの瓶を片手に夕方の街を徘徊した。
 そして迎えるダイナミックなメコン・サンセット。
 黄金色の輝きが西岸に没していく。ラオス側が昏く没していく。国境の河が暮れていく。さあ、明日はメコンを越えて、あちら側に行ってみよう。

 

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タイとラオス、ふたつの文化が溶け合う街

 とろんとした鶏ダシのスープが胃に染みる。つるつるした舌触りの米麺は、もっちりとした歯ごたえが楽しい。国境越えの前の腹ごしらえに食べたカオピヤック・センだが、実はこれラオス料理。タイではイサーン地方でも、とくにラオス文化が浸透しているメコン河沿いでしか食べられない。
 傍らのザルには山盛りの野菜とハーブ。これもラオ・スタイルだ。食堂のおばちゃんたちが話しているのもラオス語(タイ語とラオス語は非常に似た言語だ)。まだ国境を越えていないが、僕はすでにラオス文化圏にいるのだ。
 それもそのはず、14~18世紀は、チェンカーンも含めたイサーンの奥深くまで、ラオスが支配していた。ラーンサーン王国である。歴史上ラオスが最もイケてた時代だ。しかしその後タイに押され国境線はメコン河まで後退、現在に至っている。国境はいつの時代も政治に振り回されるものだ。しかし、長い時代に渡る支配という名の交流の証は、人々の食文化や言葉に残されている。ふたつの文化が溶け合う地域こそが、イサーンなのである。

 

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ローカル国境を諦め、未踏破の国境ターリーへ

 チェンカーンからは、目の前のラオスまでボートが出ている。利用できるのはタイ人とラオス人のみで、外国人NGのローカル国境だ。
 だが昨今の観光開発を見るに、もしかして国際国境に格上げされたのでは……と思った。いちおう船着場まで行って、たむろす人々に聞きまわってみるが、タイ人からは「マイダーイ、マイダーイ」、そしてラオス人からは「ボーダーイ、ボーダーイ」と否定の意が告げられた。
「ターリーなら外国人でも通過できるわよ」
 船着場の職員らしき、ダサイ制服姿のギャルから声がかかる。かわゆい。
「でも、ターリーから向こうに行ってもなにもないよ。ラオスに入って、どこ行くの?」
 越境それ自体が目的です、と告げるのも、なんだか自分のアブノーマルな性癖を知られるようで恥ずかしい。そこで適当に、ビエンチャンかな、と答える。
「それならノンカイ経由のほうが早いよ。道路もいいし」
 と至極まっとうな忠告をしてくれるのだが、ターリーはまだ未踏破の国境ポイント。行かねばなるまい。

 

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僻地に似合わない立派なイミグレーション

「直行バスがない……」
 ターリーまでは約50キロ。なにか交通機関があるだろうとタカをくくっていたのだが、いきなりつまずいてしまう。そこでまずは、チェンカーンも属するルーイ県の県都ルーイまでソンテウ(乗り合いトラック)で向かう。2時間かかった。
 ルーイではバイクタクシーをつかまえてターリー行きのソンテウを探し、人が集まるまで1時間ほど待って出発。さらに2時間走って、ようやくターリー国境にたどりつく。
 サラリと書いてはみたが、道中ソンテウは客の乗り降りで停まったり走ったりを繰り返し、発車間際の山手線にかけこむ典型的日本人である僕は、のどかなイサーンでひとりストレスを溜め込みまくったのであった。
 こちらの国境はメコン河を越えるのではなく、陸続きだ。メコン河はチェンカーンのやや西でラオス内陸部に入り込んでいるからだ。そしてタイ側のイミグレーションは、ずいぶんと新しく、大きい。近頃のインドシナ国境は、どこも建屋を増改築しまくっている。2015年末に発足したAEC(Asean Economic Community、アセアン経済共同体)によって越境貿易が盛んになることを見越し、国境整備に予算を投入しているのである。
 僻地に似合わない、立派なイミグレーションにパスポートを提出する。はじめて越える国境ポイントは、いつも緊張する。とくにここは、外国人はまず来ない場所だ。本当に国際国境なんだろうか。係員にアゴで指図され、顔写真を撮影するカメラのほうを向く。すぐにタイ側出国スタンプが押されたパスポートが返ってきた。ひとまずホッとする。
 両国のイミグレーションの間の無国籍地帯は、トゥクトゥクに乗るのがこの国境のルールだ。徒歩は許可されていない。トゥクトゥク協会みたいなのが役所と癒着しているんだろうかと妄想する。
 ラオスのイミグレも無駄にでかい。書類を書き上げて窓口に提出する。ラオスやカンボジアの辺鄙な国境に行くと、日本人がビザ不要だということを知らなかったりして手間取ることがある。だが心配をよそに、あっさりと入国が認められた。
 急いでパスポートをめくれば、ラオス入国スタンプには「Kenethao」と地名が記されていた。この国境も制圧だ。ケンタオの入国スタンプをもっている日本人は、ほとんどいないだろう。異様な満足感に包まれる。

 

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彼方のタイを眺めながら国境ドライブ

  さあて、あとはビエンチャンに行って帰ろうっと。サクッとバスでも乗って……とやはり甘く見ていたのだが、そうはいかなかった。ラオスでもとくに未開発なこの地域は、道路がムチャクチャだったのである。
 タイ側の快適なアスファルト舗装はどこへやら、まるでラリーのようなダート道が続いていた。バスは老朽化しており、閉めきれない窓から埃がもうもうと入ってくる。エアコンはない。前後左右の激しいシェイクに耐え切れなかったか、僕の真後ろの婆さんが窓からゲロを吐き出した。おいおい、かんべんしてくださいよ。
 メコン河に差しかかったが、橋はない。カーフェリーというか、鉄板にエンジンを取り付けただけの原始的な渡し舟に、バスごと乗って越えてゆく。いまにも沈みそうだ。
 苦行のようなバス旅がどのくらい続いただろうか。霞む砂煙の向こうに、大きな茶褐色の流れが見える。間違いない、先ほど越えたメコン河だ。
「向こうはタイだね」
 隣のラオス人が言う。今朝方まで対岸の国にいたのに、いまはこちら側の違う国を走っている。チェンカーンはどのあたりだろうか。
 メコン河と、その彼方のタイとを眺めながらの優雅な国境ドライブ……実際は激しい振動とゲロの悪臭に耐えての旅だが、僕にとってはファーストクラスの車窓であったのだ。
 国境からおよそ7時間かけて、バスはビエンチャンに到着した。
 

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*国境の場所は、こちらの地図→「越えて国境、迷ってアジア」をご参照ください。

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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