日本一おいしい!沖縄の肉食グルメ旅

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#19

メインディッシュは鳴き声で〈後編〉

文・普久原朝充

 

イタリアにもあったことわざ、「豚は捨てるところがない」 

 

「豚は鳴き声以外、捨てるところがない」という表現の起源を探す旅は、「ムヌアカシェー起源説」から「和牛起源説」へと至った。私の好奇心はほぼ満たされていたのだが、これで終わりというわけにはいかなかった。

 1996年に出版された渡嘉敷綏宝『豚・この有用な動物』(那覇出版社)という著作がある。沖縄で「鳴き声」表現が一般化する前のこの著作には、次のような一文が記されていた。

 

《 ヨーロッパには「豚は鳴き声以外は捨てるところがない」という諺がある。(中略)沖縄も琉球王朝の頃から中国の影響を受けて豚肉が食べられていたので、豚肉料理の種類が多く、県民の豚肉に対する愛着はヨーロッパ人と大差はないと思われる。》

 

 この一文を、はじめて見つけたときは、「ヨーロッパ……だとぉ」とため息を漏らし、調べる範囲の途方もない広がりを思い、暗い気持ちになった。そっと本を閉じ、長らく見なかったことにしていたのだ。そういう訳で、実はかなり早い段階から気づいてはいたのだが、私の語学能力上の問題によって棚上げにしてきた「ヨーロッパ起源説」と向き合わざるを得なくなった。

 

 海外に起源があるとすると、他には「中国起源説」も考えられたが、こちらはかなり可能性が低い。「除了猪的叫声以外」といった感じのキーワードで、ウェブで検索してみたが、沖縄観光を楽しむ中国人のブログがヒットするなどしたので、早い段階で諦めてしまった。

 それよりも、中国で浸透しているのは「四本足は机以外、二本足は両親以外、飛ぶ物は飛行機以外(水中の物は潜水艦以外)なんでも食べる」という表現だろう。広州の食文化を指す表現としては、こちらの方が有名だ。「広東人は何でも食べるというけれど、そこで猫を飼ってるじゃないか」と問うと、「あれは昨夜の食べ残しです」と返される話が開高健『最後の晩餐』(光文社文庫)で見られる。

 

「ヨーロッパ起源説」の調査は難航した。ことわざではないけれど、H・D・ダネンベルク『ブタ礼賛』(博品社)では「鳴き声には我慢してくれ」とした後に、豚の料理法や活用法を挙げ続ける中世ドイツの詩が紹介されている。また、古代ローマの百科事典的な大著である大プリニウスの『博物誌』では、「どんな動物でもブタくらい多くの材料を飲食店に提供しているものはない。すべての他の肉はそれぞれ一つの風味しかもたないが、ブタは五〇の風味をもっている。」と紹介されている。ドイツ起源か、イタリア起源か。そう悩んでいたところ、新聞の記事検索で次の記事を見つけた。

 

《ウェルカム トゥ サミット/イタリア/マルコ・マッセターニさん「首相に見せたい沖縄文化」――沖縄の印象は。「沖縄の人たちは日本のラテン人です。陽気で心もあたたかでフレンドリー。イタリア人にとても似ています。食文化もイタリアに近いです。沖縄では豚料理がたくさんありますが、イタリアでも『豚は鳴き声以外捨てるところがない』という言葉があるほどよく食べます。」(2000年07月18日「日本経済新聞」地方経済面)》

 

 マルコさんは、那覇市でイタリアンカルチャー倶楽部を開いてイタリア語やイタリア料理を教えるかたわら、イタリア大使館沖縄領事館連絡員としても活動されている。言葉と料理ともに詳しい方に話を伺えると心強い。しかも、さらに重要なことは、私の自宅からも近く、歩いて行けることだ。「この謎を追って特派員はイタリアに飛んだ」みたいな金銭的、時間的余裕は私には無かったので、幸運に感謝した。

 地味な質問だと自分でも理解しつつ、お願いしたところ、マルコさんは快く迎えてくれた。イタリアで広く伝わっていることわざは「Del maiale non si butta via niente」とのこと。「豚は捨てるところがない」という意味になる。トスカーナのことわざとして紹介されることが多いが、「il maiale e come ia musica di verdi, non si butta via niente.(ジョゼッペ・ヴェルディの音楽と同じように、豚は捨てるところがない)」のように紹介されることもあるという。『椿姫』、『リゴレット』などの代表作のある音楽家の名前を引用するところが面白い。ヴェルディの出身地であるイタリア北部のパルマに伝わることわざらしい。

 イタリア語で豚というと、ジブリ映画の『紅の豚』などの影響でポルコの方を思い出す人も多いかもしれないが、ここでは「MAIALE(マイアーレ)」というのが豚のこと。おそらく、女神「MAIA(マイア)」に供物として捧げられていたことに由来していると教えていただいた。

 残念ながら、「鳴き声以外」という表現の部分は、このことわざにはないのだが、沖縄で「鳴き声」表現を聞いたときに、イタリア人と同じ考え方で豚に馴れ親しんでいると思ったそうだ。それが、当時の記事で伝えたいことだったとのこと。

 たとえば、沖縄のチーイリチーのように、豚の血を利用して子供でも食べやすいようにつくられたミリアッチョというお菓子があったり、イタリアのパンチェッタ(豚バラの塩漬け)は、沖縄の豚の塩漬けであるスーチカーと同じだということを教えてくれた。イタリアでも「豚は捨てるところがない」のである。

「鳴き声」表現の起源を突き止めるには至らなかったが、イタリアの豊かな食文化も学ぶことができて、有意義な時間を過ごすことができた。よかった、よかった……と、ここで話を終えてもよいものか。

 

話を伺ったマルコ・マッセターニさん

 

 ところが、私も諦めが悪い。実は、こういう事態に備えて、事前に他のことわざも調べていたのだ。でも、得られた結果の真偽を確かめることが自分にはできなかったので、その資料をマルコさんに見てもらった。すると、マルコさんの表情が変わる。「これ、どこから探したの? ちょっと、私も探してみます」と代わりに再検索して、ルーツを確認してくれた。

 イタリアの南部、ブーツ型の土踏まず付近にあたるバジリカータ州は、かつてルカニアと呼ばれていた。そのルカニア地域のことわざとして残っているのが「Del maiale si perde solo il grido」だ。「豚で失われるのは鳴き声だけ」といった意味になる。先の「豚は捨てるところがない」と一緒に使えば、まさに「豚は鳴き声以外、捨てるところがない」という意味そのものだ。「grido」が「鳴き声」のことなのだが、ニュアンスとしては「叫び声」に近い。屠畜されるときの豚の断末魔だけは、人間には利用できないわけだ。

 イタリアではソーセージのことをサルシッチャという。そのサルシッチャの発祥は、「ルガニガ」と呼ばれるルカニア流ソーセージだとされている(※ルカニカや、ルカニガなどと呼ぶ場合もあるらしい)。古代ローマ時代の大プリニウスや詩人のウァロによれば、ルカニアの女性は豚の調理や保存などの扱いに長けていた為に、ローマの人々にとって奴隷としての需要が高かったとの話もあるそうだ。

 この話に関しては、日本語訳された文献でも確かめられないかと思い、私も『博物誌』などを隈なく探してみたが、見つけられなかった。アルベルト・カパッティとマッシモ・モンタナーリの『食のイタリア文化史』(岩波書店)にて、古代ローマの著述家たちも地域の特産物や名物料理に関心を持っていたとして、その料理のひとつに「ルカーニアのサルシッチャ」も挙げられているから、他の文献にあるのかもしれない。 ともかく、その豚の調理に長けたルカニアの人々のことわざとして残っていたのが「失われるのは鳴き声だけ」ということになる。

 初対面なのに私を含めてマルコさんも意気投合して「すばらしい」、「面白い」と大喜び。マルコさんがふと漏らした「イタリア人も知らないことです」という感想が印象深かった。私も沖縄についてよく分かっていないことが多いので、その発言の意味がよくわかる。異なる文化の人に、光を照らしてもらって改めて再認識することもある。

 沖縄の古いことわざだと思っていた言葉のルーツをたどっていたら、イタリアにまで辿り着いてしまった。この「鳴き声」表現が、イタリアから何らかの経緯で広がって、日本本土、そして沖縄にまで辿り着いたのではないだろうか。そう思うと、言葉の伝播から人々の営みが見え隠れするようで、当初の「どうでもいいテーマ」という自己評価は不適当だったな、と思ったわけである。

 

 というわけで「鳴き声以外、捨てるところはない」という言葉の起源について3つほど仮説を提示させていただいた。いろいろ迷走はしてしまったが、はからずしも鳴き声も捨てない食文化があったことを学び直すキッカケになってしまった。
 最後にひとつ、ムヌアカシェーで、締めたいと思う。 
「ジュウ ヒク グー ヤ ヌーヤガ?」(十 引く 五 は、なーんだ?)というなぞなぞ。ジュウは沖縄方言で尻尾のこと。グーは、ある動物の鳴き声。「尻尾を引っ張るとグーと鳴く動物は、なーんだ?」ということで、答えは「ウヮー(豚)」でしたとさ。

 

 

*本連載は、仲村清司、藤井誠二、普久原朝充の3人が交代で執筆します。記事は月2回(第1週&第3週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

*本連載の前シリーズ『爆笑鼎談 沖縄ホルモン迷走紀行』のバックナンバーは、 双葉社WEBマガジン『カラフル』でお読みいただけます。

 

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仲村清司(なかむら きよし)

作家、沖縄大学客員教授。1958年、大阪市生まれのウチナーンチュ二世。1996年、那覇市に移住。著書に『本音の沖縄問題』『本音で語る沖縄史』『島猫と歩く那覇スージぐゎー』『沖縄学』『ほんとうは怖い沖縄』『沖縄うまいもん図鑑』、共著に『これが沖縄の生きる道』『沖縄のハ・テ・ナ!?』など多数。現在「沖縄の昭和食」について調査中。

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藤井誠二(ふじい せいじ)

ノンフィクションライター。1965年、愛知県生まれ。8年ほど前から沖縄と東京の往復生活を送っている。『人を殺してみたかった』『体罰はなぜなくならないのか』『アフター・ザ・クライム』など著書や対談本多数。「漫画アクション」連載のホルモン食べ歩きコラムは『三ツ星人生ホルモン』『一生に一度は喰いたいホルモン』の2冊にまとめた。沖縄の壊滅しつつある売買春街の戦後史と内実を描いたノンフィクション作品『沖縄アンダーグラウンド』を2016年内に刊行予定。

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普久原朝充(ふくはら ときみつ)

建築士。1979年、沖縄県那覇市生まれ。アトリエNOA、クロトンなどの県内の設計事務所を転々としつつ、設計・監理などの実務に従事している。街歩き、読書、写真などの趣味の延長で、戦後の沖縄の都市の変遷などを調べている。最近、仲村と藤井との付き合いの中で沖縄の伝統的な豚食文化に疑問を持ち、あらためて沖縄の食文化を学び直している。

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