ステファン・ダントンの茶国漫遊記

ステファン・ダントンの茶国漫遊記

#18

東京のフランス人がアジアで考える2 シンガポール

ステファン・ダントン

 

                                                                                         

 

 

上を向いて歩くんだ

 

 

 

   

   
 日本で、東京で期限付きの仕事をする外国人は多い。企業から派遣された人はいずれ本国に帰ることを前提に暮らしているから、かつての私のようにエトランジェとして、東京のおもしろさも不思議さも不愉快さも新鮮な経験としてストックして土産話の種にしていくことができる。でも現在の私のように日本に、東京に本拠地を定めて起業するとなると、仕事や生活が思ったように進まないジレンマを、その原因を探して解消するように努力したり、どうにもならないときには「殻付きのエビ」のように飲み込んでやりすごすしかなくなる。それがなかなか難しいようで、多くの外国人が10年を待たずに帰国してしまう。
 私が日本茶を生涯の仕事と決めて『おちゃらか』を設立したのが2005年のこと。すでにお話したように、徐々に「日本茶への入り口としてのフレーバー茶をつくったフランス人」として多くの人に知られるようになり、2008年のサラゴサ万博の日本館公式飲料提供をはじめとして行政や地方自治体との共同事業も増えていた。マスコミにも取り上げられて、「日本茶の魅力と可能性」について発信するチャンスも増えていた。しかし、商売というのは難しい。私のつくるフレーバー茶の原材料となる茶葉は吟味した良質なもの。当然原価は高くなる。それでも「日本茶の魅力を多くの人に伝える」ために利益率をおさえた価格設定をしているから、正直なかなかもうからない。それでもふんばっていたところにリーマンショックや2011年の震災が。起業のときも大変だったが経営を危うくする大打撃を受けたとき、「誰も助けてくれない。私はひとりぼっちでなんとかしなければならない」と感じたりした。とくに金融機関にとっては、外国人である私がいかに日本に長く暮らしていようと、知名度が上がろうと、行政との協働が多かろうと、信用が足りないようで、つらい思いをした(今もしている)。うっかりすると下を向いてしまいそうな状況が続いても、私は「前に進まないといけない。日本茶の魅力を世界に発信するという大きな仕事をするために上を向いて歩くんだ」と自分を奮い立たせてやってきた。
 

 

 


 

 

シンガポール行きの飛行機で流れていた自分の映像にふるいたった

シンガポール行きの飛行機内にて、自分が出ている映像を見て奮い立つ。

 

 

 

 

 

シンガポールの香りと日差しに目が覚めた

 

   

 

 2014年、クールジャパン事業の一環で、タイに続いてシンガポールで開催された日本食の展示会に四万十のあにきHさんと訪れた。
 

 

 

 

 

展示会の入り口

 

展示会のブースにて

シンガポールの展示会に訪れた様子。

 

 

 

 

 

 クールジャパン事業の目的は、四万十茶のプロモーションをしながら、日本茶の販路をアジア諸国に広げる戦略を練り上げることにあったから、あにきや現地の知人を交えて相談を重ねる日々。
 私は、日本茶の関税の高さが日本茶輸出、とくにアジア諸国への普及の足かせになっていると考えていた。ちなみに日本茶の関税は、日本からタイだと95%だ。そもそも安くはない日本茶の価格が、さらに2倍となればとんでもない高級品で多くの人の手に届けられない。そこで、まずタイで生産した茶葉を日本の加工技術で製茶して香りをつけ、『おちゃらか』ブランドの製品としてアジア諸国あるいはヨーロッパに輸出することを考えた。でも、
「生産・製茶からのスタートになるから簡単にはいかないし時間も資金もかかる。ゆっくり壁をのりこえていくしかないな」
そんな風に考えながら訪れたシンガポール。
 近代的に整備されているようでアジアの活力がみなぎる都市。強い日差しと熱帯の緑。どこにいても漂ってくる甘い花の香り。そして道を行く人がみんな前を向いて楽しそうだ。なんだかもっと楽しいことやもうかりそうなことの匂いを探して風の香りを嗅いでいるような表情。30年前の東京で見た人々の様子とオーバーラップした。
「ここで私もいい風をつかめそうだ」と直感した。

 

 

 

 

 

シンガポールのまちなみ

 

 

活気にみちた路上カフェ

 

 

洗濯物の干し方が

シンガポールのまち並み。路上のカフェは活気があり、洗濯物の干し方は独特だった。
 


 

 

 

 

 

シンガポールで会社設立
 

 

   

  

 ちょっと調べてみると、日本からシンガポールへの日本茶輸出に関税率は0。さらに、シンガポールで香りをつけた製品は「シンガポール製」としてタイを含むASEAN諸国に関税なしで輸出できるという。
 「これだ! シンガポールからアジアへ日本茶を広げればいい」と膝を打った私は早速動き出した。関税率が0だからすでに日本茶はシンガポールに輸出されている。市場調査をすると、比較的安価でスタンダードな緑茶がメインだから『おちゃらか』のフレーバー茶が入り込む余地は十分にありそうだ。
 フランス時代の学友の開くフレンチレストランでディナーをしながら「外国人が起業するのは大変だろう」とねぎらうと、「シンガポールは貿易と投資で成り立っている国だよ。レストランを開くのも営業するのも環境は抜群だ」という。
 

 

 

 友人のフレンチレストランにて

友人が営むフレンチレストラン。

           

 

 

             

 シンガポールでは現地のパートナーさえいれば外国人であっても資金0でも比較的簡単に会社が設立できると知った私は、「まずは現地法人を設立しよう」と考えた。パートナー候補として、ある女性の顔が思い浮かんだ。吉祥寺の『おちゃらか』を度々訪れていたシンガポーリアンのJさん。10件以上の飲食店を展開する実業家の彼女が、
「シンガポールに『おちゃらか』のような日本茶カフェを開きたい」
とよく口にしていたのを思い出したのだ。早速Jさんに連絡して会社設立の相談をすると「一緒にやりましょう。現地のことはまかせて」と返事。「現地法人の登記がすんだわよ」と報告してくれるまで、本当にあっという間のことだった。
 2015年にOcharaka international co.ができあがってからは毎月のようにシンガポールに飛んで、『おちゃらか』のイメージに合う店舗物件を見て回ったりしながら事業計画を練っていった。
 何をするにもスピーディに進めるシンガポーリアンの様子、それを可能にする制度に感心しながら、「日本ではとても考えられないスピードだ。それに日本で私のような外国人が経営する資本の少ない人間や、中小企業が成長するのは大変だしとんでもない時間がかかるのに」と振り返ったりもした。実は、スピーディに見えたシンガポールでの事業も、資金調達や店舗物件取得には手間取った。軌道にのせるまでにまだまだ時間がかかりそうだ。
 

 

 

 

チャイナタウンの街角

こんなところで店を開きたいと思った、チャイナタウンのまち角。

 

 

 

 

 
 「アジアへの足がかりの一つとして、まずはシンガポールに会社ができた。店舗がなかなか決まらないけれど、そこは急がずじっくりやっていこう」
 2017年も暮れようとしている今、私はいい匂いのするいい風を逃さないように前を向いて歩いている。シンガポールでも東京でも。
 

 

 

 

強い日差しに目がくらんで

 

シンガポールの日差しに目がくらみながらも、未来を見つめるステファン。

 

 

 

 

 

*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となりますが、次回公開は、1月8日(月)となります。お楽しみに! 

 

 

写真/ステファン・ダントン    編集協力/田村広子、スタジオポルト

stephane-danton00_writer00

ステファン・ダントン

1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/

ステファン・ダントンの茶国漫遊記
バックナンバー

その他のTRAVEL

ページトップへ戻る

ページトップへ戻る