日本一おいしい!沖縄の肉食グルメ旅

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#18

メインディッシュは鳴き声で〈前編〉

文・普久原朝充

 

「豚は鳴き声以外すべて食べる」は、沖縄の言葉か? 

「沖縄では豚は鳴き声以外すべて食べる」と言われている。観光旅行で訪れたことがあるならば、多少は耳にした人も多いかもしれない。試しにウェブで検索すると、その多くが沖縄の言葉として紹介されている。しかし、これは二つの意味で誤りがある。

 ひとつは、今日において好みの偏りが生じており特定の部位だけが食べられるようになっているということ。だから、残念ながら豚のすべてを食べなくなっている。

 もうひとつは、そもそも沖縄で使われていた言葉ではないということだ。でも、「ない」という証明はできないので、私は少々困っている。「沖縄内で広く使われた形跡がない」というニュアンスぐらいが適切かもしれない。ふと気になって調べたら、比較的最近になって使われるようになった表現だと思い至るようになった。

 ことの発端は、当時、『三つ星人生ホルモン』を執筆中だった藤井誠二さんが紹介してくれた那覇市久茂地にある『我那覇焼肉店』で食べたホルモンだ。特に初めて出会った豚の脳みそは絶品で、「さすがに脳みそは沖縄でも食べたことがない」と、はしゃいでいた。そこで、「沖縄では鳴き声以外すべて食べるというけれど、それはあくまでも比喩表現で、実際はすべて食べていないじゃないか」という話題になった。

 

『我那覇焼肉店』については、本連載→#16参照

 

 実際、豚の内臓も食べると言っても、人気があるのは中身汁ぐらいである。豚の尻尾(ジュウ)も、一緒に食べ歩くようになって、初めて食べた。まったくその通りだ、と思いながら、ふとした疑問が頭をよぎった。そもそも沖縄に古くからある言葉なのだろうか。いつごろから耳にしたのかすら忘れ、もともとから沖縄にあった言葉だと、沖縄の人々自身もいつの間にか思い込んでしまっているんじゃないか。

 このことわざについて、沖縄方言による表現例を知らなかったことが、私の疑問のキッカケだった。その後、様々な人に尋ねてみたが、誰一人として方言による表現例を答えられなかった。

 結構どうでもいいテーマなはずなのに、やけに気になる。そのうえ、妙にワクワクしていた。いつごろから使われるようになった表現なのだろう。連休などを利用して県立図書館の郷土資料コーナーにある料理や畜産の本の棚一列を総当りで、順にページをめくって「鳴き声」表現を探すことにした。沖縄の古いことわざを集めた本も探したが、当初の推察通り、見つけることができなかった。

 様々な郷土資料に目を通していると、2000年代には沖縄の食文化を伝える言葉として頻繁に使われるのに対して、1980年代以前はまったく使われていないことが分かってきた。それ以前の表現では「豚に始まり、豚に終わる」と言われているぐらいよく豚を食べるとか、「豚の頭から尻尾まで余すところなく使いこなす」などのような表現が一般的だった。

 

 時系列順に並べてリストを作ってみて、「鳴き声」の表現を初期に使われている人物にお話を伺うことにした。沖縄料理と舞踊で名高い山本彩香さんだ。沖縄料理を紹介する定番の書籍として有名な『てぃーあんだ――山本彩香の琉球料理』(沖縄タイムス社)は、新聞連載が元になっている。1997年1月23日の沖縄タイムス夕刊には次のようにあった。

 

《沖縄には血いりちーというものがあります。豚の血の炒めものですね。(中略)豚は泣き声以外は食べられるといわれています。とにかく体にいいものを、という考え方が貫かれているんでしょうね。(原文ママ)》

 

 山本さんは、メディアを通じて沖縄料理を紹介されることも多く、TBSのクイズ番組『世界ふしぎ発見』にも三回ほど出演されたことがあるそうだ。テレビ番組での紹介で広まったのではなかろうか。放送内容を確認することはできなかったが、ちょうど、1997年2月7日の沖縄タイムス夕刊における『世界ふしぎ発見』の番組紹介欄で、「鳴き声」の表現を見つけることができた。

 

《日本一の長寿県、沖縄の食文化を通して、異国情緒あふれる沖縄の歴史を探ります。(中略)沖縄の代表的な食材は豚と昆布。豚は全国平均の二倍を消費し、食べないのはつめと鳴き声だけといわれるほど。豚をすべて食べ尽くす食文化は中国から伝わったものだ。》

 

 さっそく、「鳴き声」の表現の由来について聞いてみた。山本さんは少し困った表情で考え込んだ後、思い出した、と笑顔で答えてくれた。

「ムヌアカシェー!」

 これは、沖縄方言で「ものを明かす」という意味だ。転じて、タネを明かすということから「なぞなぞ」のことを指す。古い方言は沖縄でも話せる人が減っており、私も例外ではない。懐かしい言葉を思い出して、山本さんは嬉しそうだった。山本さんの記憶では、幼少期に寝付く前に枕元で養母とムヌアカシェーをしたようだ。

「豚には利用できないものがひとつだけあるよ」と問いかけて、それに子どもが答えることで、豚には様々な活用法があることを学びとらせていくのだ。「鳴き声」は、方言で「ナチグィー」と言うとのこと。残念ながら、問いかけ部分の方言は思い出せなかった。

 確かに、言葉が広がる初期の表現例では「なぞなぞ」方式がいくつかあった。たとえば、当時、沖縄に在住して活動されていた灰谷健次郎さんの『いのちまんだら』(朝日新聞社)などだ。

 かつての沖縄の豚は本当に捨てるところがなかった。冒頭で豚の脳みそはさすがに沖縄でも食べていないと豪語したが、それも誤りだった。「鳴き声」表現探しの途中、1966年に出版された田島清郷『琉球料理』(月間沖縄社)にて、豚の脳みその天婦羅についてのレシピを見つけてしまった。まさに特徴ある食文化だったことを再認識させられた。

 しかし、現在ではあまり調理に時間を掛けられない家庭が増えたことから、下処理の手間の少ない正肉が好まれ、中身汁に使われる腸類もレトルト品などに変わってきたりしている。「鳴き声」の表現が広まる一方で、むしろ豚を食べ尽くす文化が揺らいでいることに、山本さんは残念そうな表情をみせていた。

 山本さんの証言によって得られた「鳴き声」表現のルーツを、とりあえず、「ムヌアカシェー起源説」としておこう。残念ながら、ムヌアカシェー起源説の調査は、この後、座礁してしまう。すぐ見つかりそうだと思って、様々な郷土史料からムヌアカシェーを探したけれど、「鳴き声」表現を見つけることができなかった。

 おそらく、山本さんの養母であり、尾類(じゅり)でもあった崎間カマトさんの居た辻町付近でのみ使われており、一般的に伝わっていなかった可能性がある。それに、かつてもてなしの場にもなっていた辻町は、県外民もよく訪れた場所であることから、次の二つが想定される。県外から持ち込まれた表現か、沖縄の特徴を紹介する為に考えられた表現ということだ。

 前者だとすると、県外に起源があることになる。後者については、次のような話を頂いたことがある。沖縄の黒豚アグー復活を調べていて、当時、名護博物館館長としてアグー復活に関わった島袋正敏さんに話を伺った。島袋さんは「鳴き声」の表現について知らなかった。かつての人々にとって、豚を食べ尽くすのは、当たり前すぎて言葉にする必要がなかったという。だから、沖縄の食文化を知らない外部の人に知ってもらう必要性が生じてから初めて考えられた言葉ではないか、とのことだった。

「鳴き声」表現には、「ひづめ以外はすべて食べる」という別の表現例もあるが、島袋さんが言うには、ひづめも内側に軟らかい部分があり、これを炙ってからスライスして食べていたのだそうだ。同じことを、我那覇畜産の我那覇明さんも話していた。ひづめは湯につけて炙ると外側の堅い部分が剥げるのだとのこと。息子さんが捨てようとしたのを見て、もったいないと叱りつけた、と笑って話してくれた。

 

 ムヌアカシェー起源説とは異なる別の起源を検討する前に、「鳴き声」表現がどうやって広まったのかも知りたいと思い、自作の「鳴き声」リストを眺めて考えてみた。おそらく、こういう経緯かと思う。

 90年代の沖縄は男女ともに平均寿命が高かったので長寿県イメージと結び付けられて食文化を紹介する内容が多かった。しかし、それまで都道府県別で上位だった男性の平均寿命が2000年には26位にまで落ちてしまう。それ以降は沖縄の平均寿命率は振るわず、下り基調である。沖縄の戦後世代の食の欧米化が問題視され、長寿の文脈で食文化が語られることは減ってしまった。それにもかかわらず、対外的に食文化をアピールする機会は増えた。新聞各紙の全文検索サービスを使うと、2000年のG8沖縄サミットのときに紹介されている例が多かったのだ。それでも、書籍などでの使用例はなかなか定着していなかった。

 その状況が、とある番組の放送とともに、2001年以降から大きく変わって頻出するようになる。それは、当時の沖縄ブームの火付け役となったNHK連続テレビ小説『ちゅらさん』だ。まさに、第22週(2001年8月27日~9月1日)「お母さん(あんまー)は大忙し」(第130回)にて、国仲涼子さん演じる恵理が、

「美味しいですよ。豚は。沖縄では、よく豚を食べるんですよ。ビタミンB1が豊富で、身体にもいいし、沖縄では豚は鳴き声以外全部食べれると言われているくらいですから」

 と話すシーンを見つけることができた。

『ちゅらさん』は、その後も続編が作られ、再放送もされるほどの人気作品となっていった。伝播力も定着力も共に大きく影響を与えたのではなかろうか。それ以降、沖縄の人すらも、なんとなく昔から沖縄で広く使われている表現なのだと錯覚してしまうようになる。

 

 言葉の起源の話に戻そう。そもそも、「鳴き声以外すべて食べる」はあまり適当な表現ではない。「捨てるところがない」という表現の方がより正しいだろう。豚には人間が食せない部分もあるからだ。たとえば、毛はブラシや刷毛に利用したり、糞も肥料として利用していた。そこで、「豚は鳴き声以外、捨てるところがない」と書き直して考えてみるのだが、ここでも、疑問が湧いてきた。かつての沖縄では鳴き声も利用していたからだ。

 たとえば、夜、幽霊を見たときは、帰宅するとまずフール(便所)の豚をたたき起こして、「グー」と鳴かせてから寝ると、その死霊に取り憑かれないで済むという迷信があった。つまり、豚の鳴き声には、悪霊を払う効果があると信じられていた。そんな沖縄で「鳴き声」表現が生まれるのかどうか確信が持てない。やはり、県外から持ち込まれた表現ではないか。

 そうやって、悩んでいるうちに、私が知りうる中では最初期の鳴き声表現の記された本を見つけた。1992年出版の『沖縄いろいろ事典』(新潮社)である。豚の項目には、「「沖縄では豚は鳴き声以外捨てるところがない」といういい方がある。しかし、かつては鳴き声さえ捨てなかった。」とある。すべて本土出身の執筆陣によって書かれているので「ナイチャーズ編」となっている。結構人気だったようで、その後、二度改訂されて『オキナワなんでも事典』として文庫化されていた。当時の沖縄で、「鳴き声」表現の使用例は他に見当たらない。やはり、県外からもたらされた表現ではなかろうか。

 

 ここで視点を変えて、日本本土での食肉関連の本も調べてみることにすると、あまり古くは遡れないが、数例見つけることができた。たとえば、鎌田慧『ドキュメント屠場』(岩波新書)では、『革靴やジャンパーや鞄の材料になるのだが、「屠場では鳴き声以外捨てるところがない」といわれているのを、わたしは思いだしていた。』とある。他にも、木戸牛斎『和牛おもしろ雑話』(創栄出版)には、「牛の体で利用出来ないものは鳴声だけだと昔から言われている。」とあった。ここでは、牛についての表現例が多かったので「和牛起源説」としよう。「鳴き声」表現では、あまり用例を見つけきれなかったのだが、いったん「鳴き声」を保留して探すとさらに見つかる。

 NHKが1985年に放送した『人間は何を食べてきたか――食のルーツ5万キロの旅』という特集では、「肉/一滴の血も生かす」と題して、ドイツ農村部の牧歌的な豚の屠畜風景を映像に収めている。DVDメディア化もされているので、海外の食文化も学ぼうと見ていたところ、「精肉にしない部分の徹底的な利用の仕方には驚かされます。目玉とひづめ以外は全部使うのです」というナレーションが流れていた。

「捨てるところはない」で探すともっと古い文献を見つけることができた。1903年に新聞にて人気連載されていた村井弦斎『食道楽』だ。

 

《第二百九十/見世物の種/(前略)妻君「そうすると足の先から頭の先まで捨てる処はありませんね」お登和嬢「少しも捨てる処はありません。西洋人は肉料理よりも臓物料理を好む人がある位で食べ慣れると美味いものです。しかし我邦ではまだ臓物の食べ方を知らない人が多いため美味しい臓物も腸と一緒に肥料屋に売られたり、あるいは胃袋なんぞは折々香具師の材料となって縁日の見世物になるそうです。(後略)」(岩波文庫版 下巻p299)》

 

 つらつらと文献を挙げてみたが、これでかなり和牛起源説を補強できたかと思う。しかし、なぜ日本本土では「鳴き声」表現は広がらず、沖縄の言葉として定着してしまったのだろうか。そのように考えると、肉食を忌避してきた日本独自の文化的背景が見え隠れしてくる。

 たとえば、人間の生きる糧として動物の生命を奪うことに、抵抗感を持つ人々もいる。だからこそ、感謝の気持ちで無駄なく扱っていることを、理解してもらう必要性が強く生じたのではなかろうか。しかし、その社会背景ゆえに、言葉の広がりが遅かった。歴史的にも食肉に抵抗のない沖縄の方が、広がりが早かったと考えられる。

(次号、後編に続く)

 

*本連載は、仲村清司、藤井誠二、普久原朝充の3人が交代で執筆します。記事は月2回(第1週&第3週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

*本連載の前シリーズ『爆笑鼎談 沖縄ホルモン迷走紀行』のバックナンバーは、 双葉社WEBマガジン『カラフル』でお読みいただけます。

 

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仲村清司(なかむら きよし)

作家、沖縄大学客員教授。1958年、大阪市生まれのウチナーンチュ二世。1996年、那覇市に移住。著書に『本音の沖縄問題』『本音で語る沖縄史』『島猫と歩く那覇スージぐゎー』『沖縄学』『ほんとうは怖い沖縄』『沖縄うまいもん図鑑』、共著に『これが沖縄の生きる道』『沖縄のハ・テ・ナ!?』など多数。現在「沖縄の昭和食」について調査中。

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藤井誠二(ふじい せいじ)

ノンフィクションライター。1965年、愛知県生まれ。8年ほど前から沖縄と東京の往復生活を送っている。『人を殺してみたかった』『体罰はなぜなくならないのか』『アフター・ザ・クライム』など著書や対談本多数。「漫画アクション」連載のホルモン食べ歩きコラムは『三ツ星人生ホルモン』『一生に一度は喰いたいホルモン』の2冊にまとめた。沖縄の壊滅しつつある売買春街の戦後史と内実を描いたノンフィクション作品『沖縄アンダーグラウンド』を2016年内に刊行予定。

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普久原朝充(ふくはら ときみつ)

建築士。1979年、沖縄県那覇市生まれ。アトリエNOA、クロトンなどの県内の設計事務所を転々としつつ、設計・監理などの実務に従事している。街歩き、読書、写真などの趣味の延長で、戦後の沖縄の都市の変遷などを調べている。最近、仲村と藤井との付き合いの中で沖縄の伝統的な豚食文化に疑問を持ち、あらためて沖縄の食文化を学び直している。

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