ブルー・ジャーニー

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#18

カナダ 森の生活〈4〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

下山

  人里から遠く離れた場所にロッジを建てたのは、自分が遊ぶ場所がほしかったからですか? それとも、こんないいところがあるよ、こんな遊びがあるよと人々に伝えたかったからですか?

 東京・杉並区ほどの広さの手つかずの大自然、カラハンカントリーを実現したブラッド・シルはおだやかな笑顔を浮かべ、言った。

「どちらでもありません」

 

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「自分たちのためでも、だれかを呼ぶためでもありませんでした。そこにロッジを建てることそのものが目的でした。アイデアに夢中になっていたのです」

 お金も道具も人手もなかったのに。

「熱に浮かされていました。いま思えば、実行するにはあまりに馬鹿げたアイデアでした。自分の息子がおなじことをやりたいと言ったら、答はノーです」

 東海岸の町、モントリオールに生まれ育ったブラッドが、この地に移り住んだのは一九七四年(昭和四九年)。住人は木こりをはじめ、一六〇人ほどだった。

 大学卒業後、ブリティッシュ・コロンビア州政府の森林警備隊に入隊したが、現実はすさんでいた。ルールを無視した伐採が横行し、ウィスラー周辺の森の大半が消えていた。大学で学んだ「森と人がともに生きるための方法」を生かす場所はなかった。

 

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 カラハンエリアに分け入ったとき、思わず声が出た。手つかずの原生林がどこまでも広がっていた。フラットな広がりと緩・中・急斜面が織りこまれ、澄んだ川が流れていた。

 ブラッドは親友のニック・スレイターとロッジの建設に取りかかった。道がなかったので、機械を持ちこむことはできなかった。滑車を組み合わせて切り倒した木を運び、一本一本丸太を積み重ねた。あまりに山奥のできごとだったので、ブラッドの試みは、着手から九年間、手伝ってくれた仲間以外、だれにも知られることがなかった。

 

 収支はどうなのでしょう?

「スノーモビルを受け入れれば、いまの何倍もの規模の売り上げになって、ロッジにバーができ、毎晩、パーティが開かれるようになると思います。だけどそれは私のやりたいことではありません」

 やりたいこととは?

「自分のことをじっくりと考える場所を提供することです。ある種の人間にとっては静かすぎて落ち着かないかもしれません。一日で飽きてしまう人もいるでしょう。だけど、多くの人たちにとって、ここは人生に必要な場所だと思っています」

 

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  木々の枝に揺れる“魔女の髪(witch's hair)”。ホネキリ属の地衣類で、樹齢一〇〇年を超える樹木を選んでからみつく。

 地衣類は植物ではない。二種、三種の異なる生物が寄り集まった複合生物で“小さな生態系”と呼ばれる。全般的に成長が遅く、魔女の髪も一年間に一センチほどしか伸びない。

 地衣類を追いかけて、枝の傘の下にもぐりこむ。

 

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 カラハンカントリーを抱くコースト山脈がまだ生まれたばかりで、むき出しの岩山だったころ、さいしょにすがたを現したのは地衣類だった。

 しがみつくように定着した地衣類はすこしずつ、岩を土に変えた。

 土と水があれば植物は育つ。

 草が顔をのぞかせ、草によって増えた土に小さな木が育った。小さな木は少し大きな木に場所をゆずり、少し大きな木はさらに大きな木と入れ替わり、そのようなことの繰り返しの中で森は形づくられていった。

 いまもなお、地衣類は森を支えている。鹿やリスが冬を越えためのたいせつな食料となり、地面に積もって木々の成長に必要な窒素を供給している。ミリ単位の色鮮やかな生態系がなければカラハンカントリーは成立しない。

 

 環境の変化に敏感な地衣類は、汚染物質をスポンジのように吸収する。

 一九六二年(昭和三七年)、アメリカがアラスカで核実験を実施。成長の遅い地衣類は長く放射性物質を止め、トナカイに食物連鎖。さらに先住民の生活をおびやかした。

 一八〇〇年代の半ば以降、地衣類が死滅するケースが続出。二一世紀に入り、その範囲はいよいよ広がっている。

 

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 一七七一年(安永元年)、化学者であり聖職者であるジョセフ・ストーリー(イギリス)は密閉した瓶のなかでろうそくを燃やし“汚れた空気”を作成。瓶のひとつにハッカとネズミを、もうひとつにネズミを入れると、ハッカの入った瓶のネズミは生きつづけ、ハッカのない瓶のネズミは数秒で気絶し、死亡。ジョセフは確信した。

──植物はきれいな空気を出して空気を浄化している。

 七年後、オーストリアの女帝マリア・テレジアの侍医ヤン・インゲンハウス(オランダ)の発見は“世紀の大発見”とされた。

──光を浴びた緑の葉は気泡(きれいな空気)を出すが、暗闇や夜は空気を汚染する。

 同年、牧師にして図書館司書のジャン・セネビエ(スイス)が新たな説を唱えた。

──植物が酸素を出すのはまわりに二酸化炭素があるときだけで、二酸化炭素は根から吸収される。

 一八二九年(文政一二年)、アメリカでさいしょの蒸気機関車が試運転されたころ、性能が向上した顕微鏡が葉緑体をとらえたが、それがなんの働きをしているのか理解した科学者はいなかった。

 一八四五年(弘化二年)、ウォールデン湖畔で“森の生活”をはじめたヘンリー・デイビッド・ソローは言った。

──愛よりも、金よりも、名声よりも、真理をわれに与えよ、と言いたい。

 

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 一八六〇年(万延一年)、ソローは樹木の年輪を観察中にひどい風をひき、長年わずらっていた肺結核が悪化。この年、ドイツの植物学者ユリウス・ザックスはようやく理解した。

──植物は日光に当たると、二酸化炭素を吸いこんで、葉緑体の中でデンプンをつくり、それを糧にして生きている。

 二年後の五月六日、故郷コンコードで死去。四五歳。さいごの言葉は「……ムース……インディアン」

 一八六三年(文久三年)、北米大陸の東西を結ぶ大陸横断鉄道着工。一日に二二八〇〇トンの木が切り出され、枕木になった。

 何の歯止めも基準もなく破壊されていく自然を保護するために、ソローの影響をつよく受けたジョン・ミューアが国家規模の保護活動の必要性を提唱。一八七二年(明治五年)、世界初の国立公園、イエローストーン国立公園が誕生。その一二年後、カナダにも初の国立公園、バンフ国立公園が設立された。

“光合成”という言葉を生み出したのはアメリカの植物学者、チャールズ・バーネス。

──植物は二酸化炭素を吸収し、太陽の光をつかって酸素を作りだし、地球のすべての生き物を支えている。

 日清戦争が起こった一八九三年(明治二六年)のことだった。

 

 ロッジを出発したときは乾いていた雪片が、下るにつれて湿気を帯びていく。鳥の鳴き声が増え、定規を当てたようなイエローシダーが、より太く、高くなっていく。

 

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 三人の美しい姉妹がベリーを摘んでいると、突然、すぐそばからおそろしい声が聞こえた。

 あわてて逃げ出すと、背中をつつかれた。

 フクロウの真似をしたワタリガラスのいたずらだった。

 悲鳴を上げながら走った姉妹は、山の中腹で力尽き、イエローシダーにすがたを変えた。長くつややかな髪は枝になった。

 バンクーバー島西海岸の先住民の言い伝えに根を張るイエローシダー。青森ヒバに似ていることから日本では米ヒバと呼ばれることが多いが、ヒノキの類。樹齢は一〇〇〇年から一五〇〇年。樹高は平均二〇~四〇メートル、五〇メートルを超えるものも少なくない。

 硬く、癖がなく、腐りにくく、シロアリに強く、だから建材、内装材、船舶材として重宝される。屋久島のような温暖で肥沃な土壌に育つイエローシダーに比べて、この一体のように、寒く痩せた土地のイエローシダーは、木目が締まっていて、長く持つ。

 

 森のどの木よりも先に伐採されるはずのイエローシダーが、鬱蒼と、どこまでもつづいている。

 たどってきた道が、氷雨に、みるみるにじんでいく。

 

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(カナダ編・了)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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