三等旅行記

三等旅行記

#18

 私の下宿は、ダンフヱル街

文・神谷仁

 

巴里の街は、物を食べながら歩ける

 

 

 

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   私の下宿は、ダンフヱル街のブウラアド十番地だ。一寸広場へ出ると、ライオンの像がある。寝そべつてゐるかたちは三越のと同じだ。

此街は小石川辺のごみごみしたところのやうに物が安くて、あまりつんとした方達はお住ひにならない。つんとした方達は皆セーヌの河むかふ。だから、此ダンフヱルは下町と云つた方が当つてゐるかも知れない。 物が安いと云へば、パンがうまくて安い。こつちのパンは薪ざつぽうみたいに長くて、そいつを齧りながら歩ける。これは至極楽しい。巴里の街は、物を食べながら歩けるのだ。

私は毎朝六十文(四銭八厘)ばかりの長細いパンを買つて来て食べる。一度では食べきれぬ。巴里では米も食へる。伊太利米のぱさぱさしたのだが、飯を食べると沢庵を空想するので止めてしまつた。

巴里の食料品はパンの外は何だかみんな大味で、魚は日本にかなはない。 買物に行くに、二十五銭の塗下駄でポクポク歩くので、皆もう私を知つてゐてくれる。

伊太利人の食料品屋では、あまり私がマカロニを買いに行くので、「お前の舌は伊太利がよく判る」そんな風なおせぢさへ云つてる。

伊太利と云へば伊太利語は非常に日本語に似て母語が多い。初夏には伊太利に行きたいものだ。 お天気が少しばかり良くなると、鳥打帽子の風琴引きがよくやつて来る。これだけは最初の巴里らしい気持ちが湧いた。

風琴引きが来ると、皆窓から覗く。一ツの窓が一軒の世帯だから窓から違つた人種が覗いてゐる時がある。面白い風景だ。 私のホテルでさへ三軒に分れてゐて、五階もある窓から人が覗くと、蜂がぶんぶん云つてゐるやうだ。

私の窓の真向ひに美しい娘がゐる。アルゝの女だと云ふ事だが、非常に胸が出張つてとてもいゝ。夜更けていつも唄をうたひながら帰つて来る。 共同水道でかちあふと、ニツと白い歯を見せて笑ふ。此女はマガザンの売子に通つてゐると云ふ事だが、帰りが夜明けになる事がある。おそろしく長い店開きをやつているマガザンだ。

私の下宿から一寸電車道へ出ると、ユニプリイと云ふマガザンがある。此マガザンは、十フラン以上のものはない均一店だが大変さかつてゐる。 一階の食料品売場でやつている朝のカフエが、ブドウ入のパン付五十文(四銭)昼間の食事がビール一杯ついて三フラン五十文(二十五銭)皿の上を見るとサラダやハムや、サーヂンや玉子まで乗つかつて、五寸ばかりのパンがついてゐる。 一度その昼食と云ふのが食べたいのだが、そのうち字引を引つぱつて食べる事にしよう。此間もアイスクリームが食べたくて仕様がなかつた。「ドンネモア・アイスクリーム」なんて云つたところで通じやしない。一晩かゝつて字引を引くと、なんと優さしい言葉で「グラス」と出てゐた。「ドンモネア・グラス」でいゝわけだ。

ダンフヱルの街からモンパルナツスまでは五六丁、私はよく歩いて行く。 もうメトロにも自動車にも乗らないで、やけに歩く事だ。歩いてゐる事が、いまの私に一番幸福らしい。歩いてゐるより外に落ちつきやうもない巴里の生活だ。それかと云つて巴里に来て郊外にもつともらしく住ふ気にもなれないし、不幸な世帯に慣れるより仕様がないだらうーー。

あゝだが、実さい窓のみはらしが利かないので灯のない行燈に首をつゝこんでゐるやうな部屋のあかりだ。

 

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< 解説 >

 

 日本にいる頃から、様々な場所で暮らしてきた芙美子だけに、あっというまにパリの生活にも馴染んでしまったようだ。 彼女は固くて長いフランスパンが大変気に入ったようで、街を歩きながら食べるのが楽しいと記している。ちなみに文中に出てくる「薪ざつぽう」というのは、薪割して出来た木切れのことで、まさに長さといい形といいフランスパンそのもの。当時はかまどや風呂焚きで日常的に使われていたので、当時としては非常に分かりやすい例えだったのだろう。 食べることが好きだった芙美子は、今回は様々な食べ物のことを書いている。 先ほども触れたフランスパン、イタリアの米、マカロニ、カフェでの食事、アイスクリームなど。実際に当時書かれた日記にはもっと詳しく書いてあり、春菊のような野菜を買ってすきやきを作ったこと(大味でまずかったそうだ)や焼き栗を買いすぎてしまったことなど。 フランス語が不自由だった芙美子にとっては、街を歩いて人々の生活を眺めること、そして食べることが何より楽しかったのだろう。

 

 

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*芙美子が住んでいたダンフェール=ロシュロー広場近くにある「ベルフォールの獅子」と言われるライオン像。この像はこの街のシンボルとして現存している  

 

 

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 *パリ14区にある地下墓地(カタコンベ)。芙美子がパリにいた当時から人気の観光スポットだった      

 

 

 

                     

 

                                                        

 

 

 

      *この連載は毎週日曜日の更新となります。次回更新は12/11(日)です。お楽しみに。           

 

                     

 

 


 

                                                                                                 

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林 芙美子

1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。

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