ステファン・ダントンの茶国漫遊記

ステファン・ダントンの茶国漫遊記

#17

東京のフランス人がアジアで考える1  東京

ステファン・ダントン

 

                                                                                         

 

 

東京のフランス人

 

 

 

   

   最近、青山あたりに出かけることが多い。用事を済ませて少し散歩する。青山から表参道、原宿あたりをぶらぶら歩くと、30年前にはじめて日本に来たころのことを思い出す。東京はずいぶん変わった。私自身も変わった。
 

 

 

 

銀杏を見上げて30年前を振り返る

銀杏を見上げながら30年前のことを振り返る。

 

 

 

 

貧乏留学生の東京生活

 

   

 

 私がはじめて日本に来たのは1986年。当時、フランスから日本は遠かった。“極東”という言葉がしっくりくるほどヨーロッパから見た日本は遠かった。物理的な距離は今だって遠い。それよりも情報のやりとりが今とは全然違う。インターネットなんてなかった当時、フランスで得られる日本の情報は、本や映画やテレビニュースからくらいで、私のように意識的に積極的に知ろうとしない人にとっては、日本も韓国も中国もいっしょくたの東アジアの遠い国。国際電話にしても料金が高いうえに雑音混じりが当たり前だったから、母は口には出さなかったけど心配していたと思う。
 断片的につかみとった日本の文化・歴史・地理、そして近年の経済的な発展について私なりに情報を統合してつくりあげた日本像を持って東京で生活を始めたあのころ。当時、東京ではあっても外国人、とくにヨーロッパ人はそんなに多くなく、最初は不躾な視線にも、“外人”“白人”に対する日本人の思い込みにも過敏だったかもしれない。何か話しかけても「わかりません」というように目の前で手をひらひらされたり、「アメリカ人だ〜」なんて逃げていく子どもたちにきょとんとすることもあった。逆に、とてつもなくニコニコと親切にしてくれる人も多かったのは、“外人”である私だからこそ「お客様におもてなし」しようという日本人らしい態度だったのだな、と今では思う。当時の私は、エトランジェとして東京で暮らし始めた。
 1986年の日本、とくに東京は永遠に続くような錯覚をさせるほどの好景気にわいていた。まちはどこもかしこもキラキラして見えたし、道をゆきかう人たちは前を、というより上を上を見上げて歩いているように見えた。楽しいことが、今よりも豊かな未来が確実に彼らの目には見えているようだった。
 一方、私はといえば、とんでもなく貧乏な学生だった。西武線沿線の家賃2万2000円の小さなアパート。風呂なんてないから銭湯に通った(もちろん毎日ではない)。番台、脱衣場、湯気のたちこめる浴室の風景をふと思い出す。裸になることに躊躇したのはいつまでだっただろう。1週間の生活費は2000円。食費を切り詰めるための当時の秘策を思い出すと、今でも切なくなる。毎週月曜日になるとピザ屋の食べ放題に通った。もう時効だろうから告白するが、ビニール袋を持参して、1週間分のピザを詰め込んで持ち帰った。サラミとパイナップル限定だった。パイナップルの水分を吸ったピザ生地は、1週間たってもオーブントースターで焼けばもとどおりとはいかないまでも、一応食べられるようにはなった。
 小さなアパートから高田馬場の学校へ通っていたあのころ、東京をただただ歩いた。今だってまちを歩くのは大好きだけど、当時は電車賃も惜しかったからとにかく歩いた。歩きながら東京を感じた。
 高田馬場の学生街から目白の屋敷町を抜けていつもゴミゴミしている池袋へ。それぞれに個性的なまちからまちへ、おもしろい風景に立ち止まったり、個性的な店をみつけたりしながら歩く。住宅地にはフランスでは考えられないような小さな敷地に立ち並ぶ家。そこに効率的に詰め込まれた生活を想像しながら歩いた。狭い土地、大きくないポテンシャルを最大限効率的に利用して最大の効果を生み出す日本を、そこから連想したりもした。
 

 

 

 

最近見つけた効率的に詰め込まれたトラックに当時の気持ちを思い出した

建物内に(効率的に)駐車するトラックを見て、昔、日本に感じたことを思い出す。

 

 

 

 

 

 ときに出かけた原宿はポップでカラフルな若いまち。並木道のゆるやかな坂が続く表参道にはオリエンタルバザールやコーヒーショップのレオン、同潤会アパートがゆったりした大人のおしゃれさを醸し出していた。そんな表通りの裏側を歩くと、ところどころに豆腐屋や銭湯なんかの生活を支える店とその合間にギャラリーや小さなアパレルショップがあったりするのもおもしろかった。
 華やかなまちと地道な生活が隣り合わせで共存する様子を観察したり、裏道を小さな店の看板に引き寄せられて歩くうちに次のまちにいつの間にかたどりつく。
「東京は小さな個性あるエリアがつながってできているんだな」
というのが当時の感想。
 


 

 

 

 

函館でのホームステイ
 

 

   

   

 「みんな前を向いて上を向いて歩いている」ように見える東京で、私も前を見て歩いていたけど、何ヶ月かたつと少し疲れて下を向きたくなってきていた。先生からの呼び出しがあったのはそんな矢先のことだった。
「函館ロータリークラブがホームステイをする留学生を募集しているんだ。先方は欧米人を希望している。当校の欧米人留学生は君だけだ。どうだろう、行ってみないか?」
「日本文化を学ぶよいチャンスなのでよろしくお願いします」
と言いながら、私は内心「これで食べることの心配はしなくてよくなりそうだぞ」と思っていた。
 少し邪な気持ちもありながら、向かった函館でのホームステイで得たものは思った以上に大きかった。
 建築家のお父さんが設計した家は広々と美しく、お母さんが整えてくれる食卓を2人のお子さんと一緒に囲むと、日本の家族の風景に入り込んだ実感があった。
 そもそも函館は、1859年に開港して以来、ロシア、イギリス、アメリカ、そしてフランスの領事館が置かれた異国情緒あふれるまち。私には懐かしく感じられる西洋風の建築が立ち並んでいる。フランス人宣教師が創建したゴシック式のカトリック元町教会をはじめ、イギリス聖公会、ロシア正教会といった教会建築や領事館などの点在するコンパクトなまち並みになんだかほっとしたものだ。西欧各国の中でもフランスとの関係がとくに深いことを教えてくれたのは、ホームステイ先のお父さんだった。「函館付近を航行するフランス船で壊血病が蔓延したとき、治療のために幕府の許可を待たずに独断で上陸と治療を許可した函館奉行がいたんだよ。それからフランス大使は着任すると必ず函館に来ることになったんだよ」
 

 

 

 

 元町カトリック教会

 

元町通りから函館港を眺める

 

函館にある元町カトリック教会と、元町通りから眺めた函館港。

           

 

 

 

             

 ホームステイ先の家の前の道路を渡るとお父さんのお姉さんが営む喫茶店があって、私は日中時間があるとそこで時間を過ごした。近所の常連さんが毎日来てはコーヒーを飲んだり雑談したりする様子を見たり、ときにはその輪の中に入れてもらっていろんな他愛もない話をするのが楽しかった。私は商店街で育ったから、いろんな人が出入りする店にいるのが性に合ったのかもしれない。「こんにちは。元気?」なんてあいさつしながらいつもの席につき、新聞を開いてコーヒーを飲んで「じゃ、また」と出ていく。お金を払う様子がないのに驚いたが、“ツケ”というシステムがあってマスターがチェックしていて月末にまとめて精算するのだと後で知った。日本の小さなまちだからこその互いの信頼感が成立させるエピソードだ。小さなまちだけれど閉鎖的なわけではない。港町だから外国人に対してもみんな慣れていた。ときおり寄港するロシア船の乗組員が立ち寄ることもあった。このバランスが函館のよさだと私は思う。
 
 そんな居心地のよい環境で、書道、生け花、茶道といった文化学習をし、ねぶた祭にも行ったし草原での乗馬もした。夢のように楽しかった。
 「将来、函館でワインバーを開きたい」という夢をホームステイ先のお父さんに真剣に相談したものだ。その後の人生の夢は、ワインから日本茶に変わったけれど、函館が好きなのは今も変わらない。その後できた家族をつれて何度も函館を訪れた。聞けば、当時ホームステイをしていた留学生たちの中で、今でも日本にいるのは私だけだとういう。
 

 

 

 

エトランジェでなくなって

 

 

 

  最初の日本生活から30年、すでにお話してきたように横須賀をホームタウンとしながら、東京に仕事場を持つ生活をするようになった私。エトランジェとして、期限付きの滞在者としてではなく、日本をホームに世界を見るようになってずいぶん経った。日本は、東京は変わった。まちも変わったが、人も変わった。最近、なんだかみんな下を向いて近くしか見ていないように見える。美しい未来を開拓するよりも、何かをじっと守っているような硬い表情。バブル以来の株高のニュースや、2020年のオリンピックに向けての再開発のニュースはあっても景気がよいという実感のある人がどれだけいるんだろう。現在の東京を30年前のようにそぞろ歩きながら考える。

「なんでも揃う便利なまちでなにも探し出せない。どこにもたどりつけないなんて」

東京で商売をしている私自信も閉塞感を持ちながら打開策を探している。
 

 

 

 

 

なんでもあるようで本当にほしいものはどこに?

何でも揃うお店で、「本当に欲しいものはどこ?」と思いながら歩くステファン。

 

 

 

 

 

*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。次回公開は12月18日(月)です。お楽しみに! 

 

 

写真/ステファン・ダントン    編集協力/田村広子、スタジオポルト

stephane-danton00_writer00

ステファン・ダントン

1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。2017年路面店オープン予定。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/

ステファン・ダントンの茶国漫遊記
バックナンバー

その他のTRAVEL

ページトップへ戻る

ページトップへ戻る