越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#17

タイ~カンボジア国境チョンサンガム

文と写真・室橋裕和

 

 ダンレック山脈はタイとカンボジアの国境をなす緑の屏風である。その山頂には、かつての支配者たちが眠る遺構がある。負の遺産を越えて進んだ先には、インドシナでもすっかり珍しくなった年代モノのイミグレーションが待っていた。

 

 

ポル・ポト派最後の拠点から、国境をめざす

 タイとカンボジアの国境には、かつて怪物が巣食っていた。
 両国をわかつ山岳地帯を要塞と固め、周囲の村を武力で支配し、あたり一面を地雷で埋め尽くし、カンボジア国軍と対峙した。
 背後に迫るタイ軍に、ルビーや木材など天然資源を密輸し、戦費と武器弾薬を調達、ゲリラとして肥大していく。
 カンボジアで政権を追われてから20年以上も、タイ国境を制圧し続けていた彼ら……ポル・ポト派が、最後まで拠点としていた街のひとつが、ここアンロンベンだった。
 面食らった。
 舗装のない、ラテライトむきだしの赤い道路。車が走ればもうもうたる砂嵐が巻き起こる。ひと気は少ない。街道が交差する三叉路とその周辺に粗末な商店と市場がわずかにあるばかり。
「荒んでるよね」
 同道の先輩記者S氏が呟く。
 カオプラヴィハーンからの帰路(連載#16参照)に立ち寄ったのだが、時代に取り残されたかのような停滞と荒廃を感じさせられた。ゲリラや地雷の危険がなくなるまで手つかずだったこの地域は、カンボジアの経済成長の波に乗り遅れたのだ。
 夜になると電灯はほとんどなく、濃密な闇に覆われた。

 

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アンロンベンではこんなスゴいのがまだ現役

 

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サルと遊んでいる少年。痛くないの?


 アンロンベンから真北に進めば、タイ国境である。僕たちは木陰で居眠りしていたバイクタクシーをたたき起こし、2ケツ2台で赤土の大地を疾走する。
 やがて見えてきたのは天然の要害ダンレック山脈だ。東西に広がる緑のカーテンのようなこの山こそ、カンボジアとタイの国境である。バイタクどもは元ゲリラか、山岳地帯を見て調子が出てきたようで、右に左にゾクのようなスラロームをカマし、ワインディングロードを駆け上がっていく。
 山を登りつめたあたりで、先行のS先輩が右手に折れるぞとサインを出す。街道を外れ、ほとんど川原のようなオフロードに入っていく。200メートルほど走って、2台のバイクは停まった。
 おんぼろの民家や、半ば朽ちたようなアパートがいくつか立て込むだけの、住宅地とも野っ原ともいえないような半端な場所である。そこに唐突な感じで看板が立っていた。
〝ポル・ポト、ここ火葬さる〟
 稀代の殺戮者の、これが墓だというのだ。簡素な囲いと土盛り、錆びたトタンに申し訳程度の線香。手入れはされておらず伸び放題の熱帯の野草に飲み込まれそうだ。

 

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これがポル・ポトの墓だというが……真実は闇の中だ

 

 この「墓」が本物かどうかはわからないが、派内の勢力争いでタ・モクに敗れ失脚したポル・ポトは、この地で心臓発作のためなくなったとされている。
 そのタ・モクが住んでいた住居跡も近くにある。ありとあらゆる言語で罵倒の落書きが書かれており、破壊の限りを尽くされた、なんだかお化け屋敷というか廃病院みたいな迫力に満ちているのであった。
 しかしここはまたダンレック山脈の頂、はるか眼下の絶景を楽しめるビューポイントであり、デートスポットでもある。
 タ・モク邸のすぐそば、カンボジアの大地を見晴らす岩の上では、戦争を知らない若いふたりが体育座りで寄り添い、なにやらキャッキャウフフしているのであった。いくらか救われた気がした。

 

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ダンレック山脈の尾根からカンボジアの大平原を望む。ポル・ポトも同じ風景を見たのだろうか

 

 泥濘をさらに耕したような雨季の道を、バイクは低速で進む。それでもときおりタイヤがとられる。そのたびにバイクも僕たちも泥まみれになる。
 こんな頼りない道が本当に国境まで続いているんだろうか。このままキリングフィールドに拉致されて殺されるのでは……と妄想しかけたとき、左右のジャングルが拓かれて視界が広がる。
「ダンナ、着いたぜ。国境だ」
 バイタクに促されて降りた僕は、思わず声を漏らした。
 赤土の広場に建ち並んでいるのは、DIY感たっぷりの小さな木製ブース。窓は枠だけのオープンエアで、それぞれ制服姿の役人が入っている。これらはそれぞれ検疫であり税関であり、出入国審査場なのだ。オール木造のイミグレーション。
 し、しぶい……。
 最近はインドシナ諸国も、どこもかしこも形ばかり近代化しちゃって、宮殿だか体育館みたいな味気ないイミグレーション・オフィスをぶっ建てる国境ばかりなのだが、さすがはアンロンベン。ここには古き良きインドシナの国境の姿が保存されているのであった。
 どのブースも国を行き来する人々をボンヤリ眺めているだけで、役所としてはさっぱり機能はしていないのだが、国境というよりも「関所」と呼ぶべき雰囲気をいまだぷんぷんと残している、極めて貴重なポイントといえよう。
 世界遺産を見るよりも興奮しつつ、お奉行さまにパスポートを提出してみる。見慣れぬ通行手形に一瞬ギョッとした顔をするが、いちおう国際国境の自覚はあるようで、神妙な顔で受け取った。
 粗末な木造だから、もしや昔懐かしい帳簿での管理かと期待したのだが、残念ながらコンピュータが導入されていた。こんな僻地にもネットワークが張り巡らされているのが現代なのである。

 

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味わい深いイミグレーション。木の温かみがある

 

 出国スタンプを押しいただき、タイ側へと歩く。両国の間の無国籍地帯にはささやかな市場が広がっている。野菜やらサカナを満載した大八車を押して、タイに向かっていく子供たち。反対に、タイで買い込んできたのか、日用品や雑貨を手にカンボジアに帰ってくる母ちゃんたち。ここは地元の人々の生活のために開かれた国境なのだ。
 タイに入国し、またひとつレアなハンコを収集したことに密やかな悦びを覚える。タイ=カンボジア国境もだいぶ僕の制圧下に入った。国際国境はもう少しでコンプリートである。
 タイ側にいたバイクタクシーにうちまたがり、今度はダンレック山脈を駆け下りていく。カンボジアと違いいきなり快適な舗装路で、見る見るうちに国境が遠ざかる。やがてカンボジア側で見た景色と同じような、緑の屏風が壁のように広がっていく。
 あの頂に眠っているとされる彼は、平和になり、人々が国境を自由に往来できるようになったこの時代を、どう見ているのだろうか。

 

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タイ側のイミグレーションもしぶい。国際国境とは思えないドローカル感がたまらない

 

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タイから南にダンレック山脈を望む。あの向こうがカンボジアなのだ

 

 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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