ブルー・ジャーニー
#16
カナダ 森の生活〈2〉
文と写真・時見宗和
Text & Photo by Munekazu TOKIMI
太古の静けさ
森林限界の上にある凍りついた湖をめざして駆け上っていく友人の、猟犬のようなうしろ姿を見送ってから、止まっていないと言い切れる速さで滑り始める。
海のような針葉樹の森。ゆったりとうねりながらどこまでもつづくクロスカントリースキー・コース。時折現れる、現在地を知らせるささやかな標識を除けば、人の匂いのするものはない。
森林限界を超えると、環境のきびしさに高木が育たなくなる。限界の高度を決める要素は、主に気温、風、積雪の三つ。北海道の大雪山や日高山脈が一〇〇〇~一五〇〇メートル、日本アルプスの中央部で二五〇〇メートルほど。
地球規模で見ると熱帯では三六〇〇~三八〇〇メートル、ヨーロッパが一八〇〇メートル前後、そしていま滑っているのは標高一五〇〇メートル付近。
クロスカントリースキーの上では、視線は、山の上から下に向かって滑るアルペンスキーよりもはるかに自由で、前、上下、左右を見まわすことができることができる。
視点を置く場所と置き方を組み合わせるだけで、雪をかぶった木々の連なりが、かぎりなく変化していく。
立ち止まり、スキーと雪の摩擦音が消えると、世界のすべてのしくみのブレーカーが落ちたかのように静まりかえる。
雲が割れたのだろう。ふんわり降りつもった新雪に青みがかった灰色の影が浮き上がる。
輪郭はみるみるうちに引き締まっていき、漆黒に変わっていく。
影は木々のシルエットになり、やがてフィルムを逆送りするように薄れ、雪に吸いこまれていく。
コースをはずれ、現れては消える影絵を追って森の中に入る。
「木々はあたりで起こるすべてのことに気づいている」カナダの森に住む先住民は信じる。「寄りかかっている人間を感じ、話しかけられている言葉を理解し、信頼に基づいた精神的な関係を結ぶ」
国土面積に対して森林が占める面積の比率はカナダが三三パーセント。日本はその約二倍の約六七パーセントだが、数字ほどに身近に感じられないのは、平地の森が住むために伐採され、大半が山の斜面に広がっているからだ。だから国土の半分に雪が降るのに、クロスカントリースキーを履いて木々の中を散策できる場所はとても少ない。
ヨーロッパの人びとがスカンジナヴィアを「地球が力尽きて終わる場所」だと考えていた七世記から九世紀にかけて、現在のフィンランドにあたる地域で歌い継がれた叙事詩“カレワラ”。
押し進む左のスキーを作れ、
突き進む右のスキーを作れ!
鹿をスキーで狩りに行く
ヒーシの畑の果てから。
カレワはフィンランドにさいしょに住みついた民族を指すと言われ、カレワラは「カレワの国の勇士たちの国」あるいは「英雄の地」を意味する。
声は大きくあでやかで、
わしの調べはまことに美しかった。
その川のように流れ、
水のように輝いた。
雪の上の左スキーのように、
波の上の帆船のように走った。
しかし今わしは歌えない。
竪琴に乗せて、当時の生活や文化を歌い上げたカレワラ。
「雪の上を滑る左スキーのような調べ」
なんとすてきな表現だろう。
針葉樹の葉を、親指と人差し指ではさむ。
艶やかで、弾力に富んでいる。
動物は動き、植物は動かない。動物と植物のもっとも大きなちがいはこの点にあるとされるが、この定義には「肉眼で見るかぎり」という但し書きがつく。
植物も動く。
もっとも俊敏に動くのは細胞の中の、光合成の中心となって働く葉緑体。太陽をもとめて秒単位で移動し、すこしでもたくさんの光を受けようと和室の畳のように平らに並ぶ。
一方、葉緑体は極端に強い光には弱い。まともに受けるとこわれてしまうので、つよい日差しが降り注ぐと、いっせいに逃げだし、三〇秒後には反対側の片隅で身を寄せ合う。
枝の傘から出て空を見上げる。
空は鈍色に塗りつぶされ、雲からはがれ落ちた雪片が舞っている。
無数のものが動いているのに、なにも聞こえない。
口をすぼめて、鼻先を横切っていく雪片に息を吹きかける。
フワリとあとずさりすると、ホタルのように遠ざかっていく。
風は無いに等しいのに、いつまでも地面に降りようとしない。
〈ハンス・カストルプが、ストックによりかかって立ち、首をかしげ、口をひらいて聞き入った静けさは太古の静けさであって、その静けさのなかに雪が静かに、たえず、音もなく、ひっそりと落ちながらふりつづけていた〉
フランツ・カフカとならんでドイツを代表する作家、トーマス・マンの『魔の山』の舞台は、空気がもっとも澄んでいるとされる──ここカラハン・カントリーとほぼおなじ──標高一六〇〇メートルに位置するスイス・ダボス。
物語は、二三歳の主人公ハンス・カストルプが、従兄弟が入院するダボスのサナトリウム(長期療養所)を訪れるところから始まる。
世界初の抗生物質ペニシリンの発見以前、結核は不治の病だった。太陽と清浄な空気の中で療養するしか方法はなく、ダボスにはサナトリウムが林立していた。
三週間後ほどで滞在を切り上げ、内定している会社で働こうと思っていたハンスだったが、自身も結核にかかっていることが判明。七年に及ぶ療養生活を過ごすことになる。
例年にない大雪に見舞われたのは療養生活に入ってから三年目のことだった。
除雪が追いつかず、思うように日課の散歩ができなくなったハンスは、スキーを覚えようと思い立つ。
心臓に負担がかかるという理由でスポーツは禁止されているので、こっそりスキー用具を購入。知り合いの香辛料を売る店に預かってもらうことにする。
行動範囲は少しずつ広がっていき、ある日の午後三時過ぎ、太陽はすっかりガスに隠れているというのに、あてどなく森の奥へと滑りこんでいく。
〈視野は厚いヴェールですっかり閉ざされていて、白一色のために目がちかちかして、視覚がなんの役にも立たなかったから、なにか見えたとしても意味がなかっただろう。強いて見ようとして目を見はっても、見えるのは無、白く渦まく無だった〉
おなじところをグルグルとまわっていることに気づき、すっかり気落ちしたハンスは、鍵がかかった牧草小屋のひさしの下で眠りこむ。
あと少しで日没というところで天候が回復し、下山。自然の中で死と向き合ったハンスは、バルコニーで毛布にくるまって感じる孤独とは違う、深く大きな孤独を知り、生きる力をとりもどす。
一九一二年(大正元年)、肺結核を疑われたトーマス・マンの夫人、カーチャがダボスに滞在。起居したサナトリウムはのちに“ヴェルビオ”という名前のホテルに生まれ変わったが、すべてがまっ白に塗られた病室のひとつが当時のまま残されており、ロビーの壁にはスキーを履いたトーマス・マンのモノクロームの写真が飾られている。
突然、いっせいに影が浮かび上がる。
森は動き、ぼくは動けない。
(カナダ編・続く)
*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。
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時見宗和(ときみ むねかず) 作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。 |