石巻/牡鹿半島 絶景・美食・縄文

石巻/牡鹿半島 絶景・美食・縄文

#16

石巻農漁自然体験

文と写真・編集部

 「あの日、この小学校で起こった事実をみなさんにも知っておいていただきたいのです」

 石巻市の東部、北上川沿いにあるベビーリーフ生産工場「良葉東部」の佐藤和隆さんは、保存が決まった旧大川小学校の校舎内で語り始めた。

 

 

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 3時37分。

 

 津波で破壊された校舎に唯一残っていた時計は、この時刻で止まっている。

 

 2011年3月11日。石巻の東、太平洋三陸沖でマグニチュード9の巨大地震が発生したのは午後2時46分。時計はその後、51分間動き続け、未曾有の津波が校舎を飲みこんだこの時刻に止まったと推測される。全校生徒108名のうち、この時刻に校庭で待機していた児童は77~8名で教職員は11名だった。そのうち児童74名、教職員10名が犠牲になった。学校管理下においてこれほどまでに多くの犠牲者を出したのは、広範に及ぶ被災地の中でもここだけだ。

 

「なぜ?」

 

 あまりにも悲しい現実は、あの日あの時を刻んだままそこに残されていた。旧石巻市立大川小学校の校舎は震災遺構として保存される。

 

 

 石巻/牡鹿半島の魅力を紹介してきたこの連載は、開始当初の「はじめに」にも書いたように、「石巻地域農漁村泊推進事業」というプロジェクトの一助となることを目的にスタートした。東日本大震災の震源に最も近かった石巻市を含めた宮城県東部地方。インフラの復興が進んでいる中にあって、地域の人々の心の復興は進んでいない。

 

 

 

「石巻で農漁自然体験と宮城オルレ・奥松島コース1泊2日の宮城体験ツアー」

 

 「TABILISTA」では、ツーリズムという観点に立ち、「旅人」の視点から様々なレポートをお届けしてきた。地域の基幹産業である農業、漁業は少しずつではあるが復興の兆しを見せはじめている。日本有数の水揚げを誇る石巻漁港には最新設備を備えた石巻魚市場も完成した。しかし観光復興の芽はまだ始まったばかり。「石巻地域農漁村泊推進事業」プロジェクトでは体験ツアーを企画し、石巻の観光と農漁業の生産現場を繋ぐ新しい試みを実施することとなった。3月23日~24日に「石巻の農業漁業と宮城オルレを体験するツアー」が実施され、編集部もこのツアーに参加してきたので、これまでのレポートを振り返りながら、その様子をお届けしよう。

 

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宮交観光の貸切バスで石巻各所を巡るツアーがスタートした。

 

 子どもからお年寄りまで20名弱の参加者が集まり、ツアーは開催された。仙台駅に集合したツアー客を乗せた宮交観光のバスは、東松島市にある旧野蒜駅跡の震災復興伝承館を見学して一路石巻へと向かう。石巻の中心街にある「いしのまき元気市場」に到着すると、さっそく施設の2階にある昼食会場「元気食堂」へ。供されたのは、地元の鮮魚を贅沢に使った「元気丼」だ。まずは魚の街・石巻の海の幸を堪能することからスタートする。昼食を済ませると、石巻の特産品がずらりと並ぶ1階の元気市場での買い物タイム。元気市場はこれまでの連載でも紹介してきた観光復興の目玉となる施設。近くには石ノ森萬画館にもあり、ここを拠点に町の再整備が進んでいる。

 

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「いしのまき元気市場」

 

 

 

「浜人」わかめ加工体験&試食

 

 お昼休憩を終えた一行を乗せ、バスは石巻市の東北端にある北上町十三浜に向かう。ここに、今回わかめの加工体験をさせていただく「浜人(はまんと)」がある。「浜人」は十三浜の漁師が東日本大震災後に立ち上げた漁業生産組合。案内して下さったのは若手のリーダー阿部勝太さん。

 

 

 最初に案内されたのは魚港だ。新旧の船が係留されていて、年季の入った船もある。津波の被害を免れた船だ。大きな地震があった直後、漁師たちは一斉に沖へと船を出した。古くからの言い伝えで、水深100メートル以上の外海に出れば津波の影響を受けないとされていて、皆その通りに行動したのだという。当然ここにも巨大津波は押し寄せ、被災した漁船もあったが、沖へ出た漁船は無事に生還したそうだ。先人の教えを守ることで、被害を最小限にとどめた小さな漁村の教訓だ。

 

 このあたりは地震で地形が大きく変化したといい、地盤沈下により護岸と海面との高さ調整が必要になった。地質学者等の有識者から沈下した地盤がもとにもどるまでに長い年月を要するとの指摘もあり、復興工事によって護岸のかさ上げが行なわれた。ところが実際には数年でもとにもどったといい、皮肉にも護岸がかさ上げされたことで船への乗り降りが難しくなった。大自然の回復能力は研究を重ねた人間の叡智を持ってしても図ることができなかったという訳だ。

 

 港からわかめの加工場へ移動。収穫したわかめの柔らかい葉の部分を削ぎ落とす作業を体験する。わかめが新鮮なだけにストレスなくきれいに削ぐことが出来て爽快だ。自分たちで作業したわかめは、袋に詰めて持ち帰ることができる。加工体験をした後、試食。作業場の控室にカセットコンロがセッティングされている。沸騰した湯に生のわかめをしゃぶしゃぶっとすると、一瞬のうちに鮮やかな緑色に変わる。その場でポン酢につけていただくと、柔らかくて味わい深い。初めて経験する味。おそらく獲れたてだからこそなのだろう。続いて、めかぶのたたきを試食。やはり収穫したばかりのめかぶを包丁で細かく刻んだだけなのだが、調味料をつけずとも天然の塩味が効いており、とろとろの食感は白いご飯を欲する。何杯でもおかわりできそうだ。獲れたての旬のわかめが味わえるのはこの時期、この場所ならでは。通常は冷凍され出荷される。店頭に並ぶ直前に解凍され、パック詰めされて売られる。解凍したわかめは、生のものに比べると風味が薄れ、独特のとろみも減るという。

 

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かさ上げされた港で震災当時の様子を聞くツアー客。

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丁寧に案内してくれた「浜人」の阿部勝太さん。2014年に東北の若手漁師らが集まり一般社団法人「フィッシャーマン・ジャパン」を立ち上げ、阿部さんはその代表に就任した。
 

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参加者は思い思いにわかめの茎を外し、お土産用の袋に詰め込む。

 

 

「浜人」でのわかめ加工体験を終え、十三浜を出たバスは、北上川河口域に広がる広大な葦原を車窓に、川沿いを上流へと走る。
 しばらくすると、全長567メートルの新北上大橋が見えてくる。津波で橋の4分の1が流失したというが、現在は修繕され堂々とした姿を大河の川面に映している。橋を渡りきるところで、左手に津波で多くの犠牲者を出した旧大川小学校の校舎が見える。8年前、児童74名、教職員10名がここで尊い命を落とした。バスガイドさんから説明があり、車内から窓越しにご冥福を祈った。

 

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新北上大橋から東北一の大河、北上川上流を望む。8年前には川に津波が遡上し、悲劇の舞台となった。

 

 

「良葉東部」ベビーリーフ植え付け体験&試食

 

 ほどなく、北上川沿いにあるベビーリーフ生産工場「良葉東部」に到着する。ここには、かつて大川中学校があった。しかし大川小学校に通っていた子どもたちの多くが亡くなり、入学予定の生徒がいなくなってしまったため、平成25年3月に閉校となった。跡地にこの野菜工場とソーラー発電所が建設された。

 

 ベビーリーフを水耕栽培する「良葉東部」は、水質や温度など徹底した管理により良質な作物を育て上げている。東京や横浜などの有名ホテルのシェフから直々に注文が入っているほどだ。案内していただいたのは、この生産工場の責任者である佐藤和隆さん。ここでリーフ苗の植え付け作業を体験する。これが案外楽しい。水に浮かべられた発泡スチロールには小さな穴がいくつも開けられており、そこに小さなリーフの苗を押し込んでいく。単純だが集中すると心が無になる。

 この日は、前日までの春の陽気が一転、東北地方に真冬並みの寒波が襲った。震災当時を思わせる底冷えする寒さとなったが、ベビーリーフが栽培されているハウスの中は自然光が射しこみ、暖房を使っていないにもかかわらず温かかった。


 

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整然と植え付けられ、青々と育つベビーリーフ。

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従業員の指導のもとにリーフの植え付けを体験する。

 

 今年1月にここを訪れ、レポートを寄稿していただいた料理評論家の山本益博さんは、「どのリーフも瑞々しくておいしい」と評価している。「我が家ではリンゴをサラダに和えたり、ハムやソーセージ、チーズとも合わせて一緒に美味しくいただいています」とも語っていて、今回のツアーでは、そのアドバイスをもとに、収穫したベビーリーフにスライスしたリンゴを合わせて試食することになった。リンゴの甘さがリーフそのものの甘さを引き立て、ドレッシングをつけずとも、とても美味しく味わうことができた。山本さんのレポートも合わせて読んでいただければ幸いである。
 

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リンゴのスライスと合わせての試食となった。

 

#08「石巻で小さな復興の芽が育む」(山本益博) 

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1月に訪問した山本益博氏(中央)と佐藤和隆さん(右)、遠藤栄美さん(左)【photo/kojiro Takayama】

 

 水耕栽培体験と試食を終えると、佐藤和隆さんはツアー客を連れ、保存が決まった旧大川小学校の跡地を特別に案内してくださった。校庭、裏山、校舎内を案内して、当時の辛い経験を語る。冒頭の言葉は、佐藤さんの切なる思いだった。佐藤さんはこの小学校で当時卒業間近だった三男を亡くしている。息子さんが入学する予定だった大川中学校も廃校になり、その跡地で「良葉東部」を立ち上げ、ベビーリーフを生産しているのだ。

 

 

旧大川小学校跡地見学

 

 ここで起こったことは、単なる自然災害ではなく、後世に語り継ぎ、絶対に繰り返してはならない悲劇。佐藤さんは遺族としてその意味を語り、石巻を訪れる観光客にも知ってほしいと、自ら語り部となった。ニュース等で度々報道されてはいたが、実際にその場に行って初めて知る話に言葉を失う。季節外れの雪が舞い始めた。話が進むにつれ雪は激しさを増し、凍えるような寒さが校舎内に吹き込んできた。あの日のように。

 

 軽々に語ることはできないが、佐藤さんたちが活動を続ける「小さな命の意味を考える会」のホームページを載せておくので、ぜひ目を通していただきたい。

「小さな命の意味を考える会」HP

 

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旧大川小学校校舎を前に遺族である佐藤さんのお話が始まると、海外から訪れていた観光客も加わった。農漁業体験ツアー客とともに熱心に耳を傾けていた。
 

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裏山から見る校舎。生徒たちはここで椎茸栽培の実習などを行なっていたという(左)。無残にも崩れた渡り廊下。当時はガラス張りのモダンな建築だった(右)。
 

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佐藤さんの話を特別に案内された校舎内で聞くツアー客。この時、何故か外には激しく雪が降り始めた。

 

 このツアーは復興しつつある漁業や農業を通じて、石巻の観光を盛り上げる目的で実施されたものだが、訪れた場所では震災当時の貴重な体験談を聞くことができた。石巻を訪れるとき、この地で起こった現実に目を背けることはできないし、切り離して考えることは不可能だ。旅人にできることは少ないかもしれないが、地域の人々の声を聞き、事実を知り、しっかりと受け止め、伝えていくということも大切なことだと気づかされる時間だった。いつの間にか雪は止んでいた。北上川の美しい夕景を見ながらバスは、旧大川小学校を後にした。

 

 道の駅「上品の郷(じょうぼんのさと)」は、地産の絶品メニューが味わえるレストラン「栞」を有する大型の道の駅。農作物直売所「ひたかみ」ではこの地方の特産品を多く揃えている。コンビニエンスストアや日帰り温泉施設「ふたごのゆ」も併設しており、観光客だけでなく地域住民にも多く利用されている。ツアー客はここで、この日最後の休憩を取り、思い思いに時間を過ごす。冷えた身体を温泉で温める人、特産品のお土産を買い求める人、フードコートでカフェタイムを過ごす人。

 この道の駅は、2005年3月に開設され、東日本大震災発生時は、食料の支援や温泉施設の開放など、地域住民に対する支援活動の拠点となった。

 

 

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道の駅「上品の郷」には、木彫りのお面が売られていた。藩政時代からこの地方に伝わる「釜神の面」というもの。かつてはどの家にもあったという強面の釜神は、火除け、魔除けの守り神で、家が新築される際に大工や左官職人が余った材料で面を作り、家主に贈っていたそうだ。

 

 「上品の郷」を出たバスは三陸道を経由して、石巻市渡波の丘の上にあるホテル「サンファンヴィレッジ」に到着。すでに石巻湾に夕日が沈み、街の灯がともり始めた市街地を見下ろす。ホテルの夕食では、十三浜で体験してきた「浜人」のわかめのしゃぶしゃぶも供され、新鮮な三陸わかめをお腹いっぱい堪能することができた。

 ホテル「サンファンヴィレッジ」は、これまでの連載でも度々紹介してきたが、震災後に津波の被害を免れた高台に建てられた宿泊施設。ボランティアの方々をはじめ、現在は復興工事の作業員たちにも多く利用されている。復興が成った後には、観光客の拠点となるべくその使命を変えることになるだろう。名前の由来となっていてホテルに隣接するサンファンパークには、支倉常長ら慶長遣欧使節団乗せてヨーロッパへの大航海を成功させた帆船「サンファンバウティスタ」号が復元され係留されている。この船には江戸時代初期の悲しくも壮大な歴史ロマンが詰まっているのだ。

 

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ホテルから程近くに復元寄留されている慶長遣欧使節を運んだ帆船「サンファン・バウティスタ」号

 

 

宮城オルレ「奥松島コース」

 

 二日目は、自然体験。ビュッフェスタイルの朝食を終えると、みなトレッキング用の服装に着替え、この日のメインイベント「宮城オルレ」に挑む。「宮城オルレ」奥松島コースは、全長約10キロの本格的なトレッキングコースだ。風光明媚な奥松島の自然に溶け込みながら、それぞれのペースで歩く。年齢層の高い参加者もいたが、みな健脚で力強い。1月にはオルレの本場韓国からチョン・ウンスクさんにも体験していただいた。チョンウンスクさんのレポートもぜひ読んでいただきたい。

 

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今年1月にオルレを歩いたチョン・ウンスク氏

【日本語】
「写真で語る、奥松島・石巻の魅力<前編>」(チョン・ウンスク)
「写真で語る、奥松島・石巻の魅力<後編>」(チョン・ウンスク)

【韓国語】
미야기올레, 그 길 위에 서다 (1)(정은숙)
미야기올레, 그 길 위에 서다 (2)(정은숙)
 

 

 オルレは韓国済州島を発祥とする観光トレッキング。地域の自然や人々の暮らしに触れながら、設定された順路に従ってゴールを目指す。宮城オルレ奥松島コースについては、この連載の#01でオープニングセレモニーと体験ルポを掲載しているので、コチラもご覧になっていただきたい。

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奥松島の景勝地「大高森」へと向かうオルレ道。松島らしい松の古木が美しい。
 

「宮城オルレ 奥松島コース」を歩いてみた(編集部)

 

 中間地点となる月浜海水浴場で昼食のお弁当が出された。会場となったのは「民宿山根」。食堂からは美しい月浜のビーチが見渡せ、奥松島の絶景を堪能することができる。オルレというのはただひたすら山を歩くトレッキングだけではなく、こうして現地で食事をしたり、地元の方々と触れあったりしながら、自然と文化を合わせて楽しむ散策も含んでいる。これこそがオルレの魅力である。昨年10月にスタートした「宮城オルレ」は、ここ「奥松島コース」の他に、気仙沼の「唐桑コース」があり、今後更に複数のコースがオープンすることが決まっているので、新しいコースも含めてぜひチェックしてみて欲しい。

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縄文の里付近の早春のオルレ道。小さな子どもも春の息吹を感じながら歩いていた。


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昼食会場となった月浜の民宿「山根」。目の前はビーチだ。
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民宿山根の前は月浜のビーチ。白い砂浜と青い海、松が美しい岸壁との絶妙なコントラスト。

 

 

 石巻の観光復興への道

 

 港町石巻の津波による被害は甚大だった。この連載では、現在の復興の様子や地域の観光への取り組みについてご紹介してきたが、石巻の復興は始まったばかり。農業や漁業はなんとかかつての生活を取り戻しつつあるものの、観光復興はまだまだだ。今回のツアーはそんな石巻の観光と農漁業の生産現場を繋ぐ新しい試みとして実施されたもの。こうした試みを更に広げ、多くの人に石巻へ足を運んでもらえるよう試行錯誤を続けている。

 

 前回お届けしたイタリア発祥の分散型ホテル「アルベルゴ・ディフーゾ」計画もそのひとつ。数少ない宿泊拠点を利用しながら、地域のホスピタリティを活かして、新しい地域観光の形を目指している。牡鹿半島には、鮎川まで12の浜があるが、津波でほとんどの浜が壊滅してしまった。浜の気質で、それぞれの浜で横の連携が殆どないことも災いし、牡鹿の復興は難航している。今回のツアーでも宿泊客を受け入れた、サンファンビレッジは、牡鹿半島の付け根にあり、ここが核となり、各浜と連携して、宿泊客や体験ツアー客を送り込む計画を進めている。地元密着型にして、牡鹿半島で完結できるかが検討課題だ。

 

 平成の大合併により広大な面積を有するようになった石巻。そのぶん地域ごとに異なる魅力を内包している。石巻市街地と牡鹿半島の付け根に位置するホテル「サンファン・ヴィレッジ」を拠点とし、牡鹿半島をはじめとする魅力的な各地域へと誘う。今回のツアーでも訪れた北上地区、桃生地区なども含め、民宿や空き家を活かしながら、着地型観光を目指す。今回のツアーでは牡鹿半島まで網羅することはできなかったが、信仰の島金華山をはじめ、田代島、網地島などの離島。鯨の町鮎川浜、サンファンバウティスタ出帆の地月浦やRebornArtフェスの中心地小積浜など、歴史、文化、自然を備える牡鹿半島は、石巻の観光復興には欠かせない魅惑のペニンシュラだ。

 

 2019年3月11日。箱崎にある東京シティエアターミナルで石巻の東日本大震災追悼イベントが開かれた。大型モニターでは当時の映像も流され、語り部の方による震災体験談、献花黙祷、写真展示のほか、石巻特産品の特設物販も行なわれた。当プロジェクトのリーダーである「おしかの學校」の小野寺鉄也理事長も壇上で涙まじりにスピーチをした。誰もが、複雑な思いを胸に秘めながら、新しい石巻への一歩を踏み出していると感じることができる会だった。
 

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2019.3.11に東京シティエアターミナルで開催された石巻震災追悼イベントの様子。

 

 これまで、「TABILISTA」に関わる多くの方々に現在の石巻を取材していただいた。ジャーナリストで考古学者である丸山ゴンザレスさんには「縄文人に立ち返る石巻、牡鹿の旅」で、牡鹿半島鮎川浜へのショートトリップ、寶が峯遺跡に潜在する縄文文化の魅力。アウトドアの達人で快適生活研究家の田中ケンさんには「石巻牡鹿半島のアウトドア旅」で奥様をもてなす快適アウトドア料理を披露してもらった。世界で活躍する料理評論家の山本益博さんには「石巻に育む復興の芽」と題し、ベビーリーフから目指す復興への試み。ご当地麺食べ歩きの高山コジローさんには「石巻焼きそば」をはじめとする麺食レポ。韓国人紀行作家のチョン・ウンスクさんには「宮城オルレ」体験と石巻市の街歩きをレポートしていただいた。それぞれ専門ジャンルは違えども、みな快く石巻に足を運び、地元の人と触れあい、土地の魅力を紹介してきた。最後に、遠くイタリアから石巻が目指す分散型ホテル「アルベルゴ・ディフーゾ」の実例を田島麻美さんにレポートしていただき、この連載はひとつの区切りをつけることになるのだが、縁あって携わることができた石巻の観光復興へのプロジェクト。地域の皆様の取り組みや情熱を伝えるべく、これからも足を運び続けたいと思う。

 

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金華山を望む三陸復興国立公園の展望台に立つ丸山ゴンザレス氏。(2018年11月)
 

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真冬の「おしか家族旅行村オートキャンプ場」で“妻をもてなすアウトドア料理”を披露してくれた田中ケン夫妻。(2018年12月)[Photo/Hirohito Okayasu]

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「良葉東部」を訪れ、佐藤和隆さんと意見交換する山本益博氏。(2019年1月)[Photo/Kojiro Takayama] 

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JR石巻線で渡波から石巻に向かうチョン・ウンスク氏。(2019年1月)[Photo/Tatsuo Yamashita]

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石巻の観光の将来性についても語っていただいたアルベルゴ・ディフーゾ協会会長のジャンカルロ・・ダッラーラ氏。(2019年2月。ローマにて)[Photo/Asami Tajima]


 


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真冬の牡鹿半島の美しすぎる星空。(2019年2月)[Photo/Hirohito Okayasu]

 

 

 

宮城県観光プロモーション

 

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東京シティエアターミナル2階「毎日が旅行博」Tour Expo 内 [東京都中央区日本橋箱崎町42-1]

 

主催 サンファンヴィレッジ

協力 東京シティ・エアターミナル東京空港交通宮城県経済商工観光部観光課宮城県観光連盟みらいサポート石巻宮城県石巻市大崎市石巻観光連盟峩々温泉東鳴子温泉旅館大沼良葉東部JF宮城県石巻湾支所万石浦鮮かき工場カイタクビヨンド牡鹿の学校

 

 

牡蠣のまち 石巻へ!!

 

 石巻は牡蠣の産地として有名ですが、2018年4月下旬に同じ宮城県の南三陸町戸倉地区に続き、石巻地区、石巻市東部、石巻湾の3支所が国内2例目となるASC*国際認証を取得しました。ASC国際認証というのは、WWFが国際的な海洋保全活動の一環として、天然の水産物ではなく、養殖による水産物を、海の自然や資源を守って獲られた持続可能な水産物(シーフード)として認証する仕組みです。

*「ASC(Aquaculture Stewardship Council:水産養殖管理協議会)」

イシノマキマンTwitter 【https://twitter.com/ishinomakiman

*詳しくは石巻観光協会のホームページでご覧いただけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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