ステファン・ダントンの茶国漫遊記

ステファン・ダントンの茶国漫遊記

#16

海の家の仲間たちーマイ・ホームグラウンド横須賀(後編)

ステファン・ダントン

 

                                                                                         

 

 

海の家

 

 

 

   

 

   私は自然と遊ぶのが大好きだ。子どものころから山や海で遊びまわった。フランスでの学生時代は雪山登山もスキーもバイクのツーリングもなんでもした。とくに泳ぐことがことのほか好きで、横須賀・浦賀に住むことにした大きな理由のひとつも海のそばであるということだった。
 妻と結婚してから毎夏泳いでいる浦賀湾。高台にたつ京急観音崎ホテルを見上げる入り江に毎年開かれていた海の家『もといや』。海水浴に訪れる観光客もいないことはないけれど、小さな浜辺と簡素な海の家は、周辺の地域住民の夏の遊び場になっていた。
 妻は、高校生のころにはこの海の家でアルバイトをしていたというし、私たちの子どもはここで泳ぎや釣りを覚えてきた。
 “フランスから来たユミちゃんの旦那”である私は、ここで遊びながら地域に少しずつ居場所をつくっていったように思う。地元で高校時代までを過ごした妻の同窓生たちは先輩・後輩を問わずみんな仲がよく、大人になった現在の職業はさまざまだけれど、海の家では「素」の表情で過ごしていた。
 水着、ときにはパンツ一丁で海に飛びこんだ。浜辺でバーベキューをしたり、ただただビールを飲みながらとりとめもない話をした。ビジネスとは関係のない地域のつながりの中に身を置くと、その地域をさらによく、楽しくしようと心をくだくようになっていった。居心地のよいコミュニティの象徴が海の家『もといや』だった。

 

 


 

 

海の家

海の家『もといや』の様子。

 

 

夏の盛りの海の家

夏の盛りは大勢でにぎわう。

 

 

海と私

毎夏泳いでいる海にて。

 

夏の終わりの背中

夏の終わりには背中がこんな感じになった。

 

 

 

 

仲間たちの肖像

 

   

 

 『もといや』に集まる仲間は、地元の高校の同窓生が主体。みんな私と同世代だ。一緒に撮った写真はたくさんあったはずだが、携帯電話を持ったまま海に入るという失敗を何度もしてしまったため、あまり残っていない。写真に残っている人物は一部ではあるが重要人物ばかりだ。
 

 

 

 

海の重要人物(一部)

『もといや』に集まる人々の一部。

 

 

 

 

 

 漁師、タクシードライバー、建設会社、飲食業など職業はさまざまだが、高校時代のやんちゃさが残るような魅力的な人物ばかりだ。
 横須賀・浦賀という土地柄、言葉づかいは少々荒っぽいし振る舞いだって若干ワイルドだ。でも、その分気持ちは大きく強いから、心に殻をつくらない。
 彼らとうちとけるのが思いのほか早かったのは、私も随分やんちゃな学生時代を過ごしてきたからかもしれない。
 中でも出川くんときたら、ぱっと見は口ひげにサングラスにくわえタバコで、とんでもない強面に見える。実際若いころは、社会に反発してバイクをブンブンいわせて走りまわっていたらしい。今だって見た目はかなりワイルドだが、すっかり丸くなって面倒見のいいおじさんになっている。彼は困ったことがあったり相談事があったりしたときに電話をすれば、誇張ではなく、夜中の2時だって駆けつけてくれる。「義理と人情」を地でいくようないい男だ。
 仲間思いで気取らないのは『もといや』の仲間の特徴で、この写真(写真:パンツ一丁で)はその象徴になるかもしれない。金髪にハチマキ巻いてサングラスをかけている渡辺くんがはいているのはトランクス(下着)だ。しかも飲みすぎたビールを自然に返そうと海へ向かっているという気取らなすぎるワンシーン。
 

 

 

 

 

パンツ一丁で

パンツ一丁の出川くん。

 

出川くん3

ひげ、サングラスで強面だが、面倒見のいい出川くん。


 

 

 

 

 

世代をつなぐ地域の拠点
 

 

   

   

 海の家『もといや』がいつからあるのか正確にはわからないが、少なくとも彼らが子どものころから、つまり50年近く前から浦賀湾にあるようだ。
 海で、『もといや』でともに遊んだ年月は彼らを大人にし、家族を持った彼らは子どもや孫をつれてくるようになった。私の妻だって私や子どもたちをつれてくる。
 海での遊びを教えるのは親だけではなくて、地元の仲間たち。例えば横須賀伝統の海の遊びがある。木製のフローターあるいはボディボードのようなもの。いつからあるか知らないが、今時のボディボードやゴム製のボートができる前から遊ばれていたものを、子どもたちが今でも毎年繰り返し使っている。
 

 

 

 横須賀伝統の木製ボディボード

横須賀伝統の木製ボディボードで遊ぶ様子。

           

 

 

             

 大人たちは酒盛りをしながらも、誰の子どもであっても面倒を見るし叱りつける。写真に映る出川くんは、小さな子どもたちが遊んだ浮き輪なんかを回収しながら腰に巻き、肩にはくたびれた女の子をかついで海からあがってくる。この女の子、たしか彼の子どもではないはず。
 こんなふうに、地域の中で子どもを育て、世代をこえて遊びを通じて地域のつながりを伝えていく拠点が『もといや』だった。高校生だった私の妻や同窓生たちとその配偶者、そして子どもや孫までが、海と『もといや』をバックに映るこの集合写真がその象徴のように私の手元に残っている。
 

 

 

 

 

出川くん

子どもたちの浮き輪を回収する出川くん。

 

 

集合写真

『もといや』に集まる仲間との集合写真。

 

 

 

 

海の家を永遠に

 

 

 地域のみんなが育った、地域を育てた『もといや』を拠点とする仲間たちがいるから、私は横須賀・浦賀を単なる自宅の所在地ではなく、本当の意味でのホームグラウンドとして愛することができたのだと思う。仕事の場ではまとわなければならない鎧をぬいで「素」の付き合いができる仲間がいたから、「10年の壁」を超えて日本で生き、仕事をし、子どもを育てることができたのだと思う。
 
 2017年の夏、『もといや』は開かれることはなかった。夏以外のクローズ期間も常設されていた『もといや』は建築基準法違反であるという指摘を受け、撤去せざるをえなかったのだ。夏ごとに仮設店舗を設置するには資金も管理も目処が立たなかった。
 でも、もはや数十年にもわたって地域の拠点であり続けた『もといや』を別の形で再建する日のために、看板だけは保存している。たまにみんなで集まっては「居酒屋『もといや』がいい」とか「子どもも入れるようにカフェにしよう」とか言いあっている。地域のどこかに『もといや』の看板をかけたみんなの心の拠り所を必ずいつかつくることを、私は本気で全力で目指している。
 横須賀・浦賀を私にとっての本物のホームグラウンドにしてくれた場所だから。ここから「日本茶を世界のソフトドリンクにする」という夢を見たいから。
 

 

 

 

海の家2

 

浦賀湾の夕焼け

 

夕焼けの浦賀湾の向こうに富士山

浦賀湾の夕焼けの光景。富士山も見える。
 

 

 

 

 

 

*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。次回公開は12月4日(月)です。お楽しみに! 

 

 

写真/ステファン・ダントン    編集協力/田村広子、スタジオポルト

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ステファン・ダントン

1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。2017年路面店オープン予定。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/

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