越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#15

タイ~カンボジア国境タ・ムアン・トム遺跡

文と写真・室橋裕和

 

 タイとカンボジアの間には、国境線に建つ遺跡がいくつかある。そのひとつカオ・プラ・ウィハーンの帰属を争い両国の間には紛争が起きた。しかし一方で、双方の軍隊によって共同管理され、平和に維持されている国境遺跡もあるのだ。

 

 

クメール帝国の国境遺跡

 それは僕がバンコクで日本語の情報誌をつくっているときのことだった。
 タイとカンボジアが、国境未画定地域の山頂に立つ遺跡カオ・プラ・ウィハーンを巡ってドンパチをはじめたのである。
 タイとカンボジアの国境地帯は、山の稜線が続く場所などではアイマイなまま放置されてきた。カンボジアのタイ国境沿いが、ポルポト派の拠点となっていて、うかつに手が出せなかったということもある。しかし和平の進展とポルポト派の壊滅によって、カオ・プラ・ウィハーンがクローズアップされてきたのだ。観光収入に結びつくからである。
 なんとか行きたい。しかし現実的には軍によって封鎖され、周囲の村からは数万の人々が疎開をし、けっこうガチでやりあっている。これはちょっと無理かな、とあきらめかけていたある日、
「実はほかにも国境遺跡ってあるんだぜ」
 と話を持ちかけてきたのは業界の先輩S氏。タイに25年も住んでいるベテランのジャーナリストであり、タイ政府や軍の内部情報からエッチなお店の最新ネタまで、ずいぶんとお世話になっている。
「カオプラは軍が押さえていて入れない。それにどこのマスコミもカオプラでの衝突ばかりで変化がないでしょ。ほかの『国境遺跡』は、両方の軍が共同で管理していて友達づきあいしているらしい。そこを取材すりゃお前、日本の新聞や雑誌に高く売れるってモンよ」
 S氏が解説をカマす。かつてインドシナ半島を支配したクメール帝国。アンコールワットの壮大さに示されている通り、カンボジアがその歴史上、最もイケてた時代である。
 ローマ帝国や織田信長のように、クメールの王たちも力を入れたのは広大な領土をカバーする街道の開発であった。「王道」と呼ばれたその道の要所要所に、クメール様式の寺院であるとか、旅籠、療養所などをつくっていった。こうした遺跡はいまもタイやベトナムなど、カンボジアだけでなく周辺国にもたくさん残っている。見晴らしのいい峠や山頂には、監視をしたり、あるいは祭祀のために、とりわけ立派な寺院や関連施設が建立される。そのひとつがカオ・プラ・ウィハーンである。
 で、時代が移り変わりクメール帝国は縮小していったが、遺跡は残された。タイとカンボジアの間にはおおよそとはいえ国境線が策定される。国境というのは古今東西、河や山の稜線が定められるものだ。だから峠に建てられた遺跡のうちいくつかは、まさに国境線上に位置することになる。そして所属がはっきりしないまま現在に至る……。
 と、いうわけで我々はS先輩の駆るピックアップトラックに乗って、バンコクからスリン県を目指して出発した。

 

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タイ中部に残されたピマーイ遺跡も、クメール帝国が11世紀に建てたものだ

 

 象祭りで知られたスリン県だがほかに目立った観光資源はなく、あえて挙げるとすればすべてクメール遺跡なのである。アンコールワットだけでは飽き足らない遺跡マニアがたまにやってくる程度で、象祭り以外でこの県に足を運ぶ日本人はとっても少ない。
 そんなスリン県の南部、国道224号線はカンボジア国境に沿って走るタイ最果ての道。ピックアップを飛び降りてジャングルに駆け出しカンボジアに乱入したい衝動に駆られる。
 この道からさらに2407号線に入り、南下していく。道に沿って現れるのは、クメールの壮大な伽藍だ。タ・ムアン遺跡、タ・ムアン・トット遺跡。これらもやはり古代クメールが築いた王道上の宿駅や病院だという。2407号線は王道の名残りなのである。
 この2407号線は、やがて舗装が途切れ、行き止まりとなる。もう目の前はカンボジアだ。その果てにそびえているのは、国境未画定地帯の遺跡タ・ムアン・トムだ。

 

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11世紀に建造されたタ・ムアン・トム。アンコールワットよりも古い

 

 遺跡はほとんど修復されておらず、崩壊するがままに任せられいる。観光客もおらず、静まり返っており、クメール帝国が滅んだ当時にタイムスリップしたかのようだ。ときおりいるのはタイ軍の男たちだが、緊張も警戒もなくタバコなんか吸って談笑している。
 このタ・ムアン・トムの周囲には、木でつくられたお粗末な柵がぐるりとめぐっている。なんだろう、と思って柵に沿って歩いていると、明らかにやばそうなドクロマークの赤い看板が登場する。「危険! 地雷原!」タイ語の警句にア然としていると、兵士たちはニヤニヤ笑いながら「それいちおう国境だから」というではないか。すごい。柵から向こう側に手を伸ばしてみる。カンボジアである。
「せっかくだからお前、向こうに行ってみろよ」
 柵を越えて地雷原に行ってこいとS先輩。兵士どもまで無責任に「ダーイダイ」などと越境を許可する始末。「そ、それじゃあ……」ついノッてしまいがちな性格の僕は、柵の途切れた場所からカンボジア側に潜入し、敷き詰められた地雷をものともせずにポーズを決めたのだが、足が震えていたのは言うまでもない。

 

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S先輩撮影。暫定的な国境線を越えて地雷の設置されたカンボジア側にちょっとだけ潜入する

 

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寺院の遺跡では僧侶の姿も多い。現役の祈りの場でもあるのだ

 

 しかしビビッていたのは僕だけであった。タ・ムアン・トム遺跡の裏手にはこれも国境だという柵があり、ここを越えてケモノ道がカンボジアに伸びている。そしてけっこうカンボジア側から人がやってくるのである。
 その多くは「観光客」であった。近隣のカンボジア人たちがヒマつぶしやレジャーとして、タ・ムアン・トム遺跡に遊びに来るのである。遺跡を祈りの地としている僧侶たちも越境してくる。もちろん誰もパスポートなんて持っていない。
 これを歓迎するのが両国の兵士たちだ。気がつかなかったのだが、先ほどから僕たちのまわりにいる兵士はタイ・カンボジアの混成チームなのであった。
 彼らは共同で国境と遺跡とを管理している。カオ・プラ・ウィハーンでは衝突が起きたが、ここでは未確定の国境を象徴するように両軍が仲良く、同じ遺跡を駐屯地としているのだった。

 

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カンボジア側に帰っていく「観光客」。粗末な国境の柵にはもちろんイミグレーションも税関もない

 

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じゃれあうタイ兵とカンボジア人。ふだんからほとんど一緒に暮らしている

 

 なんとも奇妙な「共存」が成立しているのだが、もし互いの軍から命令が下れば、彼らは殺しあわなくてはならない立場だ。それが軍隊というものだ。いつも顔を合わせているほとんど同胞と、明日は銃を撃ち合うかもしれない。カオ・プラ・ウィハーンの情勢次第では、ここも戦場になりかねない。そんな場所でもあるのだが、兵士たちの表情は穏やかでのどかなのだった。
「次はやっぱりカオ・プラ・ウィハーンだな」
 そう呟いたS先輩とともに、次は紛争の最前線を目指すことになる。

 

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タ・ムアン・トム遺跡に参拝に来たカンボジア人たち


 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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