ステファン・ダントンの茶国漫遊記

ステファン・ダントンの茶国漫遊記

#15

家を築く― マイ・ホームグラウンド横須賀(前編)

ステファン・ダントン

 

                                                                                         

 

 

毎日の小旅行

 

 

 

   私の家は横須賀にある。
「なんでそんな遠いところに住んでいるの?」と多くの人に聞かれる。たしかに、日本橋のCOREDO室町にある私の店までは1時間半かかる。けして近くはない。
 でも、京浜急行(京急と略される赤い電車)で浦賀駅を出発して何度か電車を乗り継ぎながら過ごす1時間半は、私にとっては大事な思索の時間だ。
 海辺のまちから大都市へと流れる景色を眺めながら、本を読むこともある。アイディアを手帳に書き込むこともある。もちろんただぼんやりとこれまでとこれからのことを考えることもある。
 1時間半という移動時間は毎日の小旅行のようなもの。経過する場所と時間の中で、常に変化する自分と、けして変わらない自分の両者と向き合うことが旅の意味のひとつだと思っている。
 旅は移動することに焦点をあてがちだが、もっと大事だと私が思うのは、旅の発着点だ。「行ってきます」「お帰りなさい」と言いあえる場所。旅の基盤、それが家だ。
 

 

 

 

 

太平洋を見ながら

太平洋を眺める私。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

浦賀湾をゆく船。

 

 

 

 

 そんな浦賀に住まうようになったのは20年ほど前。
 そもそも妻の実家が浦賀にあったのを建て直して、妻の両親と私たち4人(私・妻・息子・娘)で住み始めたのだった。
 当時、私は職場を来日時から勤めていた横浜の紅茶専門店から東京のレストランへ、住まいも横浜から練馬へと移していた。息子は小学校入学を控える年に成長していた。
 子どもの教育をどう考えるか。「親の事情で子どもをスーツケースとともに生活させてはいけない。成長しつつある息子と娘に生活の基盤となる場所をつくらないといけない」、と私は考えた。その場所をどこにするか。
 私はフランス人だから、フランス語教育をする学校で彼らの基盤をつくることも考えた。都内にあるフランス人学校への通学を優先した家選びをすることもできた。
 でも、私は横須賀という郊外に家族の基盤をつくることにした。
「子どもは遊ぶもの。遊びをとおして刺激された好奇心を満たすためにさまざまな経験をすることで学んでいくもの」だと考えていた。私が言う遊びは、屋外で、できれば自然の中で、子どものフレッシュな感性と感覚をフルに使いながら走り回るようなもの。「そのためには、周囲を海や山に囲まれた横須賀がいいだろう。都内への通学に時間と体力を費やすよりも、地元の友だちと遊ぶ時間を大切にしてほしい」と考えたからだ。
 私自身の基盤も自然と田園にある。私が育ったリヨンは都会だが、郊外にあるいとこの農園や南仏の別荘の森や海で駆け回った経験が、今の私をつくっているという実感がある。
 
 

 

 

 

 

自宅の前の坂道からは海が見える

自宅の前からは海が見える。

 

 

高台から見下ろす浦賀湾

高台から見下ろした浦賀湾の光景。

 

 

家族4人

私、娘、息子、妻と海辺にて。


 

 

 

 

エビを飲む
 

 

   

 フランスから日本へ来て、日本人の妻と家族をつくる。日本で仕事をして家を建てる。その過程は選択と覚悟の連続だった。
 日本で暮らす外国人は200万人以上。主体的に日本での仕事や勉強をしにきた人も、職場から派遣されただけの人もいる。私の身近にいる外国人同士では、よく「5年の壁、10年の壁」という言葉が聞かれる。
 日本の社会を理解し融け込もうとしても、「言葉の壁」に阻まれて挫折した人は5年で帰国する。言葉といっても、単なる日本語能力の問題だけではなく、日本的コミュニケーションに心がついていかなくなるようだ。「外人」のまま帰国する人たち。
 5年の壁を突破して、社会・地域生活の基盤をつくれた人にも10年が経つころ迷いが生じる。
「もし今帰国したら、本国のもともとのコミュニティに戻れるだろうか?」
10年間の日本生活は、本国での自分を浦島太郎のような状態にしてしまう。その上、「このまま日本で生活しても自分はあくまでも“外人”のままだろう」という思いが強くなる。「自国に戻る最後のタイミングだ」という決断をするならば10年がリミットだ。
 この10年を超えて異国で生活するには、「エビを飲みこむ」ことが必要だ。フランスでは、不満や我慢をぐっとこらえることを、「エビを飲みこむ」と表現する。殻付きのエビを何匹も飲みこむような思いをしないと、たどりつけない場所もあるということだ。
 私はすでに25年間を日本で過ごしている。コミュニケーションの基本である日本語もいまだに完璧ではない“外人”だけれど、日本茶のすばらしさを発信する仕事を、家族との生活を考えながらするために覚悟を決めた。
 私の飲み込んだそれぞれのエビの姿は忘れてしまうことにしよう。なにしろ、もうそれらは消化されてしまったから。新しいエビも飲み込む覚悟はできている。
 

 

 

 

 

家を築く

 

 

 

 日本に生活の基盤をすえることを覚悟した私は、息子の小学校入学を機に自然豊かな横須賀・浦賀に自宅を構えた。
 建設関係に従事していた妻の父が、強固な地盤であることを理由に選んだ浦賀の高台。住宅と農地と雑木林。眺望の開けた坂の途中からは浦賀湾が見える。いくつかの坂を上り下りして駅まで、そして海まで20分。
 

 

 家族の生活、子どもの教育の場としての家。そこに私自身のための大事な場所もつくりあげた。
 私にとって最も大事な場所のひとつは本を読む空間、本を置く場所だ。自宅の書庫、リビング、自室、そして仕事場にはそれぞれ書架と椅子を置いて、いつでもその時々の仕事にヒントをくれそうな本を抜き出して開けるようにしてある。外出するときは必ず一冊をカバンに入れることが習慣になっている。


 

 

 

 

自宅近くのフレーバー茶づくりの工房

自宅近くにあるフレーバー茶づくりの工房。

 

 

私の本棚

自宅にある本棚の一部。

 

 

 

 

 大事な場所がもうひとつ。それは庭、あるいは菜園。生活の身近な場所で緑を育てたい、と私はいつも思っている。自宅の隣の誰も管理しない空き地には草が生い茂っていて景観のためにも防犯のためにもよくないから、草刈りをした。顔を出した土を見たら、「もったいなく」なってしまった。猛然と土を耕し野菜を植えた。この畑の世話をし、収穫するのが楽しみになった。土地があったら何かを生産したくなるのは、田園とともに過ごした少年のころに培われた私のフランス人らしさなのかもしれない。もっとも、残念ながら日本の法律上問題があるとのことで、今はまたただの空き地にもどってしまっている。

 

 

 

 

 

草ぼうぼうの隣の空き地

草がぼうぼうに生い茂っている家の隣の空き地。
 

 

空き地を草刈り

空き地を草刈りしているところ。

 

空き地で菜園

草刈りしたその空き地に一時期は菜園をつくった。
 

 

 

 

 

 田園に生活し、想像の翼をたずさえ、都会へ、世界へと立ちむかう基地として理想的な家をつくりあげてきた。子どもたちも思った通りのびのびと育っている。
 それを支えてくれたのは、実は地域の仲間たち。
 妻と高校の同窓生だった『がんちゃん』夫妻は、私が妻の実家に入るときに義父母との間を取り持ってくれたことから始まり、息子や娘の誕生や成長まで見守り、手伝ってくれた。25年たった今、いつでもそばにいてくれた『がんちゃん』やその仲間たちが、浦賀という場所を私の本物のホームグラウンドにしてくれたと思う。彼らと彼らとの基地についてはまた次回話そう。
 

 

 

 

がんちゃんと私

家族を支えてくれる『がんちゃん』と海辺でツーショット。

 

 

 

 

 

 

 

*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。次回公開は11月20日(月)です。お楽しみに! 

 

 

写真/ステファン・ダントン    編集協力/田村広子、スタジオポルト

stephane-danton00_writer00

ステファン・ダントン

1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。2017年路面店オープン予定。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/

ステファン・ダントンの茶国漫遊記
バックナンバー

その他のTRAVEL

ページトップへ戻る

ページトップへ戻る