日本一おいしい!沖縄の肉食グルメ旅

日本一おいしい!沖縄の肉食グルメ旅

#14

美味な「おとこ」と「おんな」の隠し味~『琉球新麺 通堂』

文・藤井誠二

 

沖縄とんこつラーメンにアジアの観光客が行列を作る

 那覇空港から「うみそらトンネル」を抜けると、あっと言う間に那覇市内の中心部に入り、那覇港が視界に入る。巨大な豪華客船が停泊している。新しい大型マンションと見紛うばかりの光景にぼくはいつも圧倒される。「でっけえなあー」とか言いながらため息をついていると、「台湾からのお客さんですね。2000人ぐらい来られてますよ」と、タクシーのドライバーがたいがい、こう教えてくれる。

 毎月、沖縄に通うぼくの実感だと、沖縄にアジア各国からの観光客が急増しているのはおそらくこの5~6年で、2015年には観光客全体は過去最多の776万人に達している。とくに中国では「沖縄」が日本の中の一大観光スポットになっているのは間違いない。

 というのは、神戸国際代学教授の毛丹青さんが書いた『在日本──中国人がハマった!ニッポンのツボ 71』(潮出版)という中国語版も出ている本を読んでいたら、たとえば日本の「お盆」とか「オミクジ」「武士道」という文化・風習から、「コンビニ」「受験戦争」「制服」「村上春樹」といった現代日本を表象させるようなキーワードも71も並んでいる中にちゃんと「沖縄」が登場しているのだ。

 

《沖縄と日本はまるで異父兄弟のようだ。同じ母という意味は、すなわち同じ言語と習慣を持っていること。そして異なる父とは、歴史の違いに例えられる。およそ130年前まで存在していた琉球王国では、琉球語が使われていたが、それは日本語と大きく違うものだった。》(『在日本──中国人がハマった!ニッポンのツボ 71』より)

 

 こう毛さんは沖縄の歴史の特異性について触れ、《沖縄で確かにあった(広義の)歴史をしっかりと見つめる》ことが大切だと読者に向けて説く。なぜ中国からの観光客が沖縄に押し寄せるのか具体的な理由は書いていないけれど、沖縄は日本であって日本でないというような感覚が中国から見るとあるのかもしれない。富士山や京都と並んで沖縄が人気なのは、そういう彼らの視点を理解する必要がありそうだ。

 大半の観光客は沖縄の透明な海で自然を満喫し、免税店などに大挙して入り、日用品等を持ちきれないほど買っていく。そういった光景はもう当たり前になった。そして、那覇市内のラーメン店に昼も夜もかれらが行列をなしている光景も見慣れたものになってしまった。メニューも中国語が併記され、中には中国語を解するスタッフもいる。

 沖縄そばも人気だが、それよりも人気なのは、とんこつ系ラーメンだ。時間帯にもよるが、ある店では、ぼく以外全員が中国語を話していたことがあった。

 人気の理由は、中国に日本のとんこつラーメンの有名店が数年前から出店していて、中国ですでに人気を博しているかららしい。であるなら、日本はラーメンの「本場」ということになり、沖縄に美味いとんこつラーメンがあれば人気が出るのは頷ける。中国や台湾、香港、韓国のブロガーもこぞって紹介して、人気にさらに火がつく。観光客もツイッターで沖縄のラーメンがおいしかったとつぶやくから、さらに人気は鰻登りの状態が続いているのだ。

 

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アジア各国からの観光客が行列をなす『琉球新麺 通堂』小禄本店

 

『琉球新麺 通堂』小禄本店もアジア各国からの観光客が行列をしていた。店長の浦崎洋平さんによれば、台湾、香港からの客が多いという。同店は他にも琉大北口店、儀保駅前店、寄宮十字路店があるが、他店舗では地元客がほとんどだという。

 沖縄で麺といえば、沖縄そばに決まっている。が、考えてみれば、沖縄そばの出汁にも豚骨やソーキ、三枚肉などを使うから、豚肉王国の沖縄にも、九州に負けないような「沖縄とんこつラーメン」があってもよさそうなものだったが、おそらく『通堂』ができるまでなかったはずだ。

『通堂』オーナーかつ創業者である金城良次さんは、「昔、沖縄でラーメンといったら、チェーン系の札幌ラーメンとか、中華そばぐらいしかなかったとも思う。とんこつが流行りだしたのはわりと最近で、豚のアタマを煮込んでスープをとるのは、うちだけだと思います」と胸を張った。

 

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金城良次社長(左)と、小禄店の浦崎洋平店長(右)

 

 18時間、豚頭とゲンコツを香野菜などといっしょにアクを取りながら煮る。豚の骨を砕き、攪拌しながら煮込む。そうやって取った濃厚なとんこつスープと、鶏でとった清湯スープを合わせたのが、同店の「おとこ味」である。

 もう一つのメニューの「おんな味」は、清湯スープに沖縄の塩ダレを合わせた透明なスープ。

 麺も店舗に併設された「麺場」(製麺室)で、おとこ味用とおんな味用に別のものを打つ。この製麺室を見せてもらったが、他の居酒屋で出す沖縄そばの製麺機も置いてあった。ちなみに客からの注文はおとこ味が7で、おんな味が3の割合だという。

 

okinawa14_03寄宮店のおとこ味

「おとこ味」は、濃厚だがクサみのないとんこつスープ。替え玉は必須

 

okinawa14_04おんな味

「おんな味」は、さっぱりしているが、うま味の強い塩ラーメン。飲んだ後に食べたくなる

 

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麺場にて、金城社長と専務の島尻吉信さん

 

 

『琉球新麺 通堂』を始めたわけとは?

 金城さんは『通堂』を始める前にすでに6店舗の居酒屋を経営しており、沖縄の飲食業界では「りょう次ファミリー」を束ねる知られた存在だった。が、たまたま目にした、「求む! 沖縄ラーメンの元祖になる人」という新聞広告のコピーに心を揺さぶられ、スタッフにも内緒で応募したのである。

応募をかけたのは、ラーメン界の雄、博多『一風堂』の河原成美である。河原は『新横浜ラーメン博物館』の「新・ご当地ラーメン創生計画」をプロデュースしていた。2000年の冬のことだった。

「沖縄でラーメンをやりたかったんですが、当時はかつおぶしがきいたスープにコーレグスーというのが沖縄ラーメンのイメージだった。とんこつラーメンは食べたことなかったし、『一風堂』で初めて食べたんです。沖縄はとんこつラーメンがありませんでしたから、沖縄にもラーメン文化をつくりたかった一心でした」(金城さん)

『一風堂』を興した河原のもとでラーメンを学びたいという者は多い。合格すれば河原のもとでラーメンづくりを学ぶことができ、さらにラーメン好きの聖地ともいえるラーメン博物館に出店をすることができる。

 書類審査、調理の技術審査、一般常識試験、面接と進み、『一風堂』のテストキッチンには、テレビの取材が入っていた。『一風堂』のラーメンを食べたことすらなかったのだから、「落ちて当然」と思った。たしかに無謀な挑戦だった。最終審査に残ったのは8名。帰り際、併設する『一風堂』の店舗で初めてとんこつラーメンを食した。

「面接官から、河原さんのラーメン食べてないですよね? と聞かれました。もし河原さんがつくったラーメンが口にあわなかったからどうしますか? と質問されて、私は、いつもお客さんの喜ぶ顔がみたいので自分が納得いかない味は出しません、と答えたんです。他の人は河原さんに従いますと言ったらしい。自分だけ、河原さんの味が自分に合わなかったらやらないと答えた」(金城さん)

 その捨て身ともいえる真っ正直さが受け入れられた。後日、合格の通知が来た。博多の『一風堂』の研修センターで修行したあとに、一年間、横浜のラーメン博物館で出店、人気を博した。そして、2002年に沖縄に戻り、『琉球新麺 通堂』をオープンさせた。

『通堂』とは、かつて那覇には通堂町という港町があり、多くの人が行き交い、賑わった。その町の名前にあやかり、沖縄だけなく、アジアへと開かれた店にしたいという願いがこめられている。じっさいにアジアからの観光客が列をなしている光景は、その願いどおりになったといえるだろう。ちなみに今でも通堂町という地名は那覇市に残っている。

「アタマとげんこつを煮込むのですが、沖縄ではアタマは皮をとって捨ててました。いまは県産だけでは足りなくて輸入した豚も使っています。うちは、とんこつと沖縄の塩の二つだけで勝負していますが、当初は、これだけ県内で受け入れられるとは思わなかった。もちろん沖縄の塩をつかっています。じつは寄宮店だけ、アグーを使っています。うーん、書いてもいいですよ。アグーはアタマがひとまわり小さいので、クセがあまりないんです。いい味がでます。アグーは生産量が少ないから、一つの店舗しかおろせない。公にはしていないけれど……いいですよ、書いてもらっても」

 こう専務の島尻吉信さんが笑いながら、ちょっとした「企業秘密」を教えてくれた。さっそく後日、ぼくは寄宮店に食べに行ったことをここで告白しておきたい。

 

 

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後日、たまたま仕事で那覇に来ていたドキュメンタリー作家の森達也さんといっしょに寄宮店へ

 

「当初はテーブルにコーレグスーを置いていたけど、おとこ味にもおんな味にもバカスカいれていたお客さんが多くて、味がわからなくなってしまう。入れすぎて辛い、と観光のかたも、沖縄のかたも言う。沖縄のかたは味噌汁とかなんでもコーレーグースいれてしまうから。塩味のおんな味だけにいれてほしくて説明書きも出していましたし、とんこつにいれるとおいしくなるとも説明してましたが……やはり皆さんがいれてしまうので……テーブルからはずしたんです」

 あのときは弱りましたねー、と島尻さんは社長の金城さんと顔を見合わせて笑った。

「沖縄の島マースなどをどうブレンドするかがポイントです。具材は、おとこ味はキクラゲとチャーシューとモヤシです。おんな味が、チャーシューと昆布。昔はとうがんをいれていました。鳥汁にいれるじゃないですか。とうがん。清湯のスープに合うんです。ラーメンはずっと進化しまして今は三代目ぐらいですね。おんな味は沖縄の気候で食べると、塩味がちょうどいいアンバイなんです」

 

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店内に貼られた「おとこ味」の説明書き(現在、鶏は久米島地鶏を使用していません)

 

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こちらは「おんな味」の説明書き(現在、鶏は久米島地鶏を使用していません)

 

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もやしは入れ放題だ

 

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活気溢れる厨房

 

 ぼくが沖縄らしいと思うのは、『通堂』の味のベースとなったとんこつラーメンの味は「内地」から取り入れて、沖縄の味や食材と融合したことだ。そして、アジアへ向かって開かれ、人気を博している。これも沖縄ならではの現象だろうと思う。本来の沖縄のチャンプルー的な人や文化の融合や行き来がラーメンを通じて生まれている。

『通堂』以降と以前では、沖縄のラーメン事情は大きく変わったのではないだろうか。国際通りから脇道をはいったところにある『なりよし』も琉球ラーメンを看板に掲げる醤油とんこつで、豚は県産を使い、ぼくはたまに食べにいく。前島にある『麺や 堂幻』も醤油ラーメンが絶品。他にもレベルの高いラーメン店がこの数年で続々と沖縄には誕生している。

 沖縄は麺好きが多い。いつか、沖縄ラーメンが沖縄そばと肩を並べ、やがては凌駕してしまうのではないかとぼくは最近密かに思うのである。

 

*『琉球新麺 通堂』公式HPはこちら→http://tondo.ryoji.okinawa/

 

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小禄店の前で、金城社長と浦崎店長、筆者とのスリーショット

 

 

*本連載は、仲村清司、藤井誠二、普久原朝充の3人が交代で執筆します。記事は月2回(第1週&第3週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

*本連載の前シリーズ『爆笑鼎談 沖縄ホルモン迷走紀行』のバックナンバーは、 双葉社WEBマガジン『カラフル』でお読みいただけます。

 

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仲村清司(なかむら きよし)

作家、沖縄大学客員教授。1958年、大阪市生まれのウチナーンチュ二世。1996年、那覇市に移住。著書に『本音の沖縄問題』『本音で語る沖縄史』『島猫と歩く那覇スージぐゎー』『沖縄学』『ほんとうは怖い沖縄』『沖縄うまいもん図鑑』、共著に『これが沖縄の生きる道』『沖縄のハ・テ・ナ!?』など多数。現在「沖縄の昭和食」について調査中。

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藤井誠二(ふじい せいじ)

ノンフィクションライター。1965年、愛知県生まれ。8年ほど前から沖縄と東京の往復生活を送っている。『人を殺してみたかった』『体罰はなぜなくならないのか』『アフター・ザ・クライム』など著書や対談本多数。「漫画アクション」連載のホルモン食べ歩きコラムは『三ツ星人生ホルモン』『一生に一度は喰いたいホルモン』の2冊にまとめた。沖縄の壊滅しつつある売買春街の戦後史と内実を描いたノンフィクション作品『沖縄アンダーグラウンド』を2016年内に刊行予定。

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普久原朝充(ふくはら ときみつ)

建築士。1979年、沖縄県那覇市生まれ。アトリエNOA、クロトンなどの県内の設計事務所を転々としつつ、設計・監理などの実務に従事している。街歩き、読書、写真などの趣味の延長で、戦後の沖縄の都市の変遷などを調べている。最近、仲村と藤井との付き合いの中で沖縄の伝統的な豚食文化に疑問を持ち、あらためて沖縄の食文化を学び直している。

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