越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#14

マレーシア・ランタウパンジャン~タイ・スンガイコーロク

文と写真・室橋裕和

 

   マレーシアからタイに抜けると、いきなりお盛んになる夜の世界。酒と女を求めて、夜ごと週末ごとにマレーシアの男たちは国境を越える。だがそこはまた、東南アジア最悪ともいわれるテロ地帯でもあった。
 

 

マレーシアからタイへ入国してみると……

 国境を越えると最も端的に変わるもの……それは「法律」かもしれない。この国はビザ不要だったのに、あちら側は必要になる。右側通行が左側通行に変わる。バクチが合法になり国境を越えたとたんにカジノが建ち並ぶ……そのダイナミズムに「あ、国が変わったんだ」と思い知らされる。
 で、マレーシアからタイに国境を越えてみる。幅の狭いマレー半島を東西に横断して国境線が引かれているが、その最東端だ。
 静かでやけに整然とした、マレーシア側の街ランタウパンジャンの郊外には、大きなホールのようなイミグレーションがどかんとそびえている。車で出入国をする両国民が多いために、自動車用のレーンもたくさん設置されている。

 

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タイとマレーシアの国境はいずれもマレー半島経済の大動脈だ

 

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両国の人々は気軽に車で行き来している。手続きも簡単

 

 この国境をくぐり抜けてタイ側の街スンガイコーロクに入ったマレーシア人は、まずその毒のようなネオンに腰を抜かすだろう。街のどこに行っても、ピンクやムラサキの照明を放つカラオケ屋や置屋が並び、軒先ではミニスカやショーパン姿の姉ちゃんが手招きをする。
 なんといういかがわしさか。イスラムの戒律によって清潔に保たれたマレーシア東海岸のカンポン(漁村)を旅してきた僕は、思わず眉間にシワを寄せた。
 が、マレー男たちはもう釘付け、食い入るように姉ちゃんを視姦しているんである。アラフォーくらいのオッサンどもが、まるで中坊のように寄り固まって、どの店にすべきか真剣に相談をしている。やがて「よおっしゃ!」と、腕まくりせんばかりの気迫で店に乗り込んでいく。

 

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こんな物件がスンガイコーロクのあちこちに点在している

 

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幻想的な置屋街を練り歩くマレーシア人たち

 

 スンガイコーロクは、マレーシアの男たちにとってはパラダイスなのだ。国境をちょいと越えただけで、母国にはない楽しみが待っている。ズバリ女である。
 タテマエ的には、どっちの国も売買春は違法だ。しかしその運用にはだいぶ違いがある。厳格なマレーシアと、ゆるいタイ。エッチな施設が非常に少ないマレーシアに対し、タイは歓楽街だらけである。だからタイの国境沿いをピンクの照明で飾れば、ふだん禁欲生活をしている人々が隣国から殺到するというわけだ。
 けしからん。憤慨した勢いで僕は思わず、とあるカラオケ屋に入店してしまった。マニアとしては、国境の最前線でナニが行われているのかを知っておかなくてはならない。これは社会勉強であり、体験学習なのである。
「キャー、日本人なんて珍しィ! えータイ語わかるんだァ、なんでどうして?」
 潔癖な旅を続けてきたミニ、いや身に、メオちゃん(仮名)の香水の香りと距離の近さはあまりにも危険であった。カラオケといったって、誰もマイクなんか握っていないんである。だがここは、アジア諸国でも庶民に幅広く知られた「昴」でも熱唱して、ひとつ冷静にならねば……と歌本に手を伸ばしたとき、ガッチャーン! とテーブルの倒れるハデな音。
 見ればマレー男が急性アルコール中毒か、ぶっ倒れていた。
「よくあるの。あの人たち、お酒弱いから」
 メオちゃんは意に介さずしなだれかかってくる。

 

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いかにも昔ながらの赤線地帯といった風情が漂う

 

 

タイ南部に広がるイスラム世界

 マレーシア人のスンガイコーロクでのもうひとつのお楽しみが、酒である。イスラム教の国家であるマレーシアにも、中華系は多いし外国人もたくさん住んでいて、飲酒は決してタブーではない。しかしイスラムのコミュニティで生きていれば、やはりアルコールは憚られる。だがタイに行けば、世間からは自由だ。誰に遠慮することなく、思いっきり羽根を伸ばして鯨飲することも、越境の理由のひとつだろう。
 しかしふだん酒を飲まない彼らは、わずかの量でいとも簡単にベロベロになる。あっさり酒に飲まれて、セブンイレブンの軒先にゲロを吐くやつ、路上で大の字になるやつ、タイ娘にセクハラをカマすやつ……。
「アラーの神はタイにはおられない」
 と彼らは豪語するのだが、世間はなくとも、国境を越えたタイ側だってイスラム世界なのである。国こそ仏教国タイであり、だからこそナイト関連の法の運用もゆるいわけだが、住んでいるのは大半がイスラム教徒だ。タイはマレー半島を南下するに従って少しずつマレー系と、イスラム教徒とが増えてくる。仏教寺院が減ってモスクが目立ってくる。タイ国内には400万人ほどのイスラム教徒がいるといわれる。
 民族や宗教の分布と、国境線は一致しない。国境できっぱりと区切られているわけではないのだ。だから世界の各地で紛争が絶えないのかもしれない。それはこのタイ=マレーシア国境でも同様だ。
 タイ南部のマレーシア国境に沿った3県は、独立運動を繰り広げているのだ。イスラム教徒のほうがはるかに多いのだから、仏教国タイから分離・独立すべし、と説き、タイ政府・軍に対してテロを繰り返している。この10年あまりで死者は6000人を突破。あまり知られてはいないが、タイ南部は東南アジア最悪の戦場だ。
 しかし独立や宗教はただのお題目で、どちらかといえばテロ組織はマフィアに近く、麻薬などの密輸利権を警察や軍と争っているというのが実態らしい。

 

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炎上したスンガイコーロクのビル。タイ南部のテロは収束の気配もない

 

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バイク爆弾によるテロが多いタイ南部では、シートを上げて潔白を示すのが停車中のマナーになっている

 

 スンガイコーロクも、たびたびテロの標的となっている。もちろん花の売春産業がターゲットだ。厳格なイスラム教徒的には許しがたい存在だし、売春もまた利権争いのタネだからだ。そんな街を、バイクタクシーの後部座席にまたがって眺めてみる。
「あちらに見えますのが先日、爆発・炎上したビルでございます。こちらのホテルは放火され廃業、現在は廃墟となっております。そしてただいま停車しておりますこの交差点、正面右手に軍の詰め所が、左手には警察署があるため、過去、多くの爆弾がハジけております。ホラ、道がガタガタでしょ」
 なにが面白いのかガイド調の説明をする運転手に促されて道路を見る。つぎはぎだらけの雑巾みたいな道路は、工事ではなく、テロのたびに穴を埋めていった結果だという。
 しかしそんな魔の交差点のわきの歩道を、お手手つないでホテルに急ぐマレー男×タイ娘の姿。客がガタ減りしてお化け屋敷みたいになっている薄暗いホテルへとシケこんでいった。
 エロは国境を越える……。
 気合の入った男たちはテロにも負けず、女たちのもとに通い詰めるのだ。
 それでもやはり歓楽街は灯かりが減る一方で、人口の流出も止まらない。テロ禍は確実に街を滅ぼしにかかっている。だがメオちゃんのように、まわりでポンポン爆弾が炸裂しているのにナゼか田舎に帰ることもせず「怖いけど、慣れたし」とどこな他人事みたいなタイ娘もまだまだ残っていて、国境越えの男たちを癒している。
 彼女たちの大事な顧客はマレー人のほかに、タイ人の兵士がいる。対テロ作戦のために派遣されてきているのだ。
「兵隊さんが来たときは、いっぱいサービスしたげるの」
 行きずりの女のそんな言葉に、どういうわけだか嫉妬心を覚えてしまうのは男の性かメオちゃんのテクか。きっと彼女に会うため国境を越えてくるマレー男もいるに違いない。
 テロとエロ、相反するような、だが似たもの同士であるような両者が、スンガイコーロク国境には同時に存在していた。


 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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