越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#13

タイ・ムクダハン~ラオス・サワンナケート

文と写真・室橋裕和

 

  メコン河にかかった友好橋が、国境を変えていった。ボトルネックが解消され、陸路でタイとラオスを行き来できるようになり、貿易額が爆発的に増えたのだ。日系企業の進出も目立つ。インドシナ国境経済の象徴ともいえる場所だ。

 

 

サワンナケートの居酒屋おしん

 バスはムクダハンの街を出ると、メコン河の左岸を5キロほど北上する。市街地はとぎれ、茶褐色の水を満々と湛えたメコン河と、真っ青な空がコントラストを描く。
 そこに、虹がかかっている。
 メコン河を横断し、両岸を結んでいるのは、タイ=ラオス第2友好橋だ。僕はこの橋を越えて、20年ぶりにラオス南部の街サワンナケートを訪れた。

 

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タイ側ムクダハンとラオス側サワンナケートを結ぶ国際バス。1時間に1本ほどの割合で発着している

 

 なにかの間違いじゃないかな。まずそう思った。面影がないのだ。
 20年も経てば記憶は薄れ、断片的なことしか覚えてはいないのだが、それにしたって賑やかすぎるのである。学生時代に訪れたサワンナケートは、ほとんどゴーストタウンのようだった。
 日が沈むと、食事にすら困った。外食文化というものがほとんど育っておらず、わずかな屋台があるばかりで、それすらも夜7時くらいでぱったりと消えてしまう。なんとさみしい国かと思った。
 それがいまは、映画館やショッピングモールまでがある。タイやラオスの若者たちで賑わう国際バスの中からは、どこにもあのときのサワンナケートは見つからなかった。
 新市街のはずれにあるバスターミナルが国際バスの終点だ。イミグレーションでの手続きを含めて1時間弱の旅だろう。思い出をたどりながら、安いホテルの多い旧市街に向かう。
 フランス植民地時代のコロニアルな建物が残る旧市街は、いくらか往時の名残があった。歴史的建造物もあって開発しづらいのだろう。昔のように静けさに包まれていた。無音の町に直射日光だけが降り注ぐ。
 汗を拭きながら歩いていると、おかしな看板が見えてきた。我が目を疑う。
 そこにはモンペを着て、ホッペを赤くして雪原に立つ少女、まぎれもない「おしん」の姿があった。
 居酒屋おしん。
 耐え忍ぶのかな。やっぱり。

 

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聖テレサ教会。サワンナケートはフランス料理やワインも評判だ

 

 20年ほど前までのラオスはまさしくインドシナの僻地。国土に信号は果たしていくつあっただろうか。首都ビエンチャンですら不気味に静まり返り、ひと気も活気もない国だった。
 サワンナケートまでは、ビエンチャンからおんぼろのバスで20時間くらいかかったのではないだろうか。全行程未舗装という荒行だった。ダートラリーに出場しているのかと思った。ジャングルを切り開いただけの獣道のような場所もあったし、メコン河に落ちそうになったこともある。向こう岸のタイに逃げたかった。
 昼食に立ち寄った食堂では、ドロドロに疲れ果てて一歩も動けなくなったところ、心配したラオス人の家族連れに声をかけられた。そして差し出してくれた弁当が、もち米と揚げバッタだったという心温まる展開は、いまでもよく覚えている。
 あれから20年、ラオスは激変した。
 なにせ「おしん」なんである。
 確かにラオスにも日本食レストランは急増しているが、サワンナケートにまであるとは思っていなかった。
 入店してみれば、そこにはガッツみなぎる日本人駐在員の皆さまが、腕まくりをして中生を鯨飲している頼もしい姿が。うるわしきジャパニーズ居酒屋そのままのスタイルが、ラオス南部にあった。
 東西経済回廊で働く人々だろう。
 サワンナケートが20年の間に様変わりした理由は、ラオス自体の経済発展もあるのだが、2006年に開通したタイ=ラオス第2友好橋の存在が大きく影響しているといわれる。
 この橋がメコン河にかけられたことで、インドシナ半島の東西の流通はスムースになった。それまではメコン河を渡る船に荷を差し替え、対岸でまた積みなおし……と、通関作業も含めると2日もかかっていたそうだ。いまでは2時間で済む。
 タイからラオス、その向こうのベトナムまでが陸路でつながり「インドシナ東西経済回廊」の開通だとずいぶん話題になった。交易の中心であるサワンナケートには投資が押し寄せた。
 ラオス政府はサワンナケートを経済特区に指定、外資を優遇する措置を打ち出して、外国企業の誘致を進めた。日系企業も進出していく。
 かくしてこの国境を挟んだ両国の貿易額は、橋の開通前は年間およそ200億円だったが、開通5年後の2011年には2000億円を突破している。そりゃあ往時の面影もないわけである。
 個人的にもこの国境にはお世話になった。「東西回廊」ネタではずいぶんと稼がせていただいた。「これからは国境経済がアツい」とかなんとか適当な営業文句を並べ立て、さまざまな媒体に微妙に切り口を変えて、原稿を売りつけたのである。

 

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巨大なメコン河を横断する第2友好橋の雄姿。日本人がかけた国境の橋なのだ

 

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サワンナケートも市場では昔ながらの光景が広がっていて安心させられる

 

 

メコンにかけられた希望の虹

 第2友好橋をつくったのは日本人だ。
 ODA(政府開発援助)による80億円の円借款。三井住友建設が施工。3年に渡る工事の最中には、作業用のクレーンが倒れる事故が起き、3人の日本人技術者が亡くなっている。まさに日本人の血と汗で、メコンにかけられた希望の虹なのである。
 経済特区は思わぬ形で成長をはじめる。2011年に発生したタイ大洪水だ。タイ国内にある生産拠点を破壊された日系企業は、工場の分散化を進めた。その一部が、サワンナケートに進出してきた。タイや中国の賃金高騰を受けた「プラス1」の流れも後押しした。タイ工場の機能をサポートする役割を期待されて、トヨタ紡織や三菱マテリアル、ニコンなどがサワンナケートに拠点を設けたことは、アジアビジネス界ではエポックメイキング的な出来事だった。
 2015年末にはAEC(アセアン経済共同体)が発足、関税の段階的撤廃など、人とモノの移動を域内でより自由化させていく方策により、国境はますます活性化する。
 そして、おしんである。
 日本人駐在員が増えれば当然、和食の需要は高まる。経済回廊の最前線で働くお父さんたちに、毎夜の酒宴は欠かせない。そこを見越して出店したのだろう。フロンティアスピリッツに燃える企業戦士たちによって、店内はなんだか異様に活気づいているのであった。

 

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第2国境橋イミグレーションには、日本による建設であることを示す看板が

 

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ボートによるメコン横断国境越えは、いまは外国人には許可されていない

 

 橋による経済効果はこれだけではない。橋の近くにはド派手なカジノが建ち、タイ人博徒で賑わっている。タイでは賭博は違法だから、隣国に出かけて遊ぶのだ。橋を通って自家用車でサクッと訪れられるのは、タイ人ギャンブラーにとっては都合がいいようで、体育館みたいなカジノの巨大ホールはおしん以上の熱気に包まれていた。
 勝利を収めた男たちが、アブク銭とばかりに散在するのは古今東西変わらぬ姿であろう。サワンナケートではカジノから国境に戻る道すがら、いやらしい黄色い看板がいくつも散見される。「ホテル」「ゲストハウス」なんて表示してあるが、もちろん純粋な宿泊施設ではない。軒先では下品な化粧の臭いをふりまいた姉ちゃんがうろうろし、行きかうカジノ客にウインクなんかしている。道の左右に次々と現れるこの手の施設に、タイ人のおじさんたちはついつい引きずりこまれてしまうのだ。日本人のお父さんの姿もときおり見かけるという。
 すっかり変わってしまったサワンナケートだが、昔と同じものもある。
 メコンの流れだ。
 命の源、豊穣さを思わせる濃厚な茶色い川面。20年前と変わらずに、見とれてしまう。
 サワンナケートにはメコンに沿って、屋台がいくつかある。西岸のタイに沈むサンセットを眺めながら、一杯飲めるのだ。そんな店のひとつに陣取って、地ビールを味わう。
 おしんで飲むのもいいけれど、やっぱりこっちだよな。豊かな気分に包まれて、ひたすらにメコンを眺め続けた。

 

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地ビール「ビアサワン」をいただく。ご当地モノには弱いのだ

 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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