三等旅行記

三等旅行記

#11

西伯利亜を走つて五日

文・神谷仁

たうとう草色の風呂敷と、鶏の脚とを交換してしまふ

 

 

 

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< 7信 >

巴里まで晴天 一 十八日夜、オムスク着。

西伯利亜を走つて五日になる。吹雪も晴れて、光のない小さい太陽を見るやうになつた。夜は夜で、星さへはつきりとして来たが、外は吸ひつくやうな寒さだ。 オムスクで、初めて私の部屋に、若い露西亜人婦人が同室した。まるで引越のやうに、大きな板製のトランクを幾つも持つてーー小学校の先生だらうか、又は学生だらうか、そんな余計な詮索をしながら、私のその女の様子を見てゐた。 女は口の中で歌をうたひながら、一ツのトランクの中から、汚れてドロドロした羽根枕と、小さい粗末な毛布を出して寝支度を始め、寝床が出来ると、小さい手鞄からコンパクトを出してパンパンと鼻の頭を叩きながら、私を見て微笑した。 肌が白くて、髪の色が光つた栗色で、厭味なくむくむくと肥えた体つきは、女でも惚々とする位だ。美人ではないが、どこか愛らしい風があつた。ーー私は微笑を受けると、やがて旅人らしい一通りの会話をして、暑い茶を入れてやつたりした。茶が済むと、彼女は大きい方の板のトランクの中から、バタでいためた鶏を一羽出して、脚の肉を切りながら、私の果物を包んでゐる風呂敷を指差して、交換して欲しいと云つた風なそぶりをして見せる。 私は、その如何にも美味しさうな鶏の脚を見ると、五日間も持てあましてゐた、苦味い哈爾浜出来の葡萄酒の事を思ひ出して、あの鶏の肉で飲んだら、索漠とした無聊さも慰められるだらう、そんな妙にさもしい気持を感じて、たうとう草色の風呂敷と、鶏の脚とを交換してしまふ。交換すると、二人は子供つぽくクスクスと笑い合つた。 草色の絹の風呂敷を得た彼女は、さつそくそれを三角に折つて、房々とした髪を包んだ。さうして、黒い硝子窓に姿を写しながら、浮々と腰を曲げて踊り出したりした。 「オヽチンハラシヨ!」 二人はお互ひに軽口を利きながら、妙に打ちとけて、片言の旅の話をしあつた。

オムスクを出て暫時《しばらく》すると、何と云う駅だつたらうか、赤い荷車に木が沢山積んである小さい町に汽車が停つた。夜更なので、町は静かだつたが、頭を布で巻いて、ブルウズのやうな仕事着を着た二三人の女達が、湯を入れた馬穴《ばけつ》をさげて、私の部屋の床の上を拭きに来た。リノリウムの床の上に、絞らない雑巾で拭いて行く、若い女達の手の甲が紫色に腫れ上がつてゐた。拭き終るとまた次の部屋へ馬穴をさげて行く。 私は何か強く感じさせられた気持ちで、女達の去つて行つた扉を締めようとすると、狭い廊下に、鰊臭い女や男が立つたまゝ眠つてゐる。或はまた、荷物に凭れたりしてボツボツ暗い灯の下で話しあつてゐる貧しい老人達もゐた。 「部屋がいつぱい空いてゐるのに、どうして寒い廊下にあの人達は寝てゐるのだらう」 そんな風な事を、同室の女に聞いて見たが、女は只笑つて、通じたのか通じないのか答へてもくれなかつた。 その駅を過ぎると、実直なボーイが、二人の商人体な男を連れて私達の部屋へはいつて来た。 「此人達は寝床を買つたのですが、その寝床の番号には子供連れの夫婦が寝込んでゐるので、今夜一晩だけ、上の床を貸して下さい。」 さう云つてボーイは、気の毒さうに腰を曲げた。いつたい西伯利亜の三等列車は、女は女ばかりで、めつたに男を同室させる事はないのだが、私は初めての事ではあるし、不快であつた。 それに、露西亜人に似合はずあいそがよくて、私はどうもこの此悪人型の二人の男を好かなかつた。 何が面白いのか、夜更だと云ふのにキヤツキヤツと二人で笑ひあつて、床を吊つて寝支度が終つても、下品な笑ひ声を止めなかつた。 寝床が出来上ると、各自飛上つて、腰をかけると、パンだの玉子だの煙草だの拡げて中中寝入る形勢もない。ーーそれに何としても私の癇にさはつたのは、ブラブラとしてゐる足裏が、丁度私の胸のところにさがつて、靴の裏には酢漬けの胡瓜の皮がくつついてゐるのさへ見えた。

 

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<解説>

芙美子のパリへの旅も佳境にさしかかってきた。シベリア鉄道はすでに極東を離れ、もうヨーロッパは目の前だ。 今回、彼女が到着したオムスク市は当時のシベリアにおいては最大の都市だった。

 

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オムスク(Omsk)ーーノヴォシビルスクより約十二時間。人口十一萬、西部西比利亜に於ける商工業の中心である。嘗て西比利亜政府のあった所で、この附近壊れた車両や家屋がおびただしく車窓から眺められ、今日猶《なお》革命惨劇の跡が偲ばれる。ここは又牛酪の盛なる産地で、最近この地方より外国へ輸出される牛酪は年八万噸《トン》乃至十万噸である。年々春秋二回定期市を開き皮革、毛皮、穀類、家畜等附近産出物の取引が行われるが、秋市はすこぶる盛大で百万留《ルーブル》内外の交易が行われる。観光箇所には、博物館、植物園、動物園、農業大学、農具工場、鉄道工場等がある。また国立銀行、各支店、農工業トラスト、牛酪輸出会社、皮革精製工場、ビール醸造所等もある。ホテル欧羅巴、日刊新聞に「ラボーチープラウダ」(労働者の真理)がある。

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<解説>

上記は1929年(昭和4年)7月に鉄道省が出版した『西比利亜経由欧州旅行案内』にあるオムスクの解説だ。 このオムスクの駅からシベリア鉄道はいくつかの支線に別れて、それぞれモスクワを目指していく交通の要衝であった。そのためこの駅から乗車する乗客も多かったようだ。 芙美子が乗車していたのは三等列車なだけに、この駅から乗り合わせたロシアの人々は、それほど裕福な人ではなかったのだろう。芙美子の彼らに対しての率直な感想が面白い。

 

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シベリアの田舎に住む女性。芙美子が出逢ったのもこのような女性だったのだろうか。(『世界地理風俗体系8 ソビエト・ロシヤ編 』昭和6年・新光社)より

 

 

 

 

 

      *この連載は毎週日曜日の更新となります。次回更新は10/23(日)です。お楽しみに。           

 

                     

 

 


 

                                                                                                 

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林 芙美子

1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。

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