三等旅行記

三等旅行記

#12

巴里まで晴天

文・神谷仁

「×××××やがて香水の甘い匂ひが部屋中に満ちて

 

 

 

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<巴里まで晴天>

 

 同室の若い女も、此男達に二言三言何か言葉をかけられてゐたが、やがて若い方の背の低い男が、ヒヨイと飛び降りると、寝てゐる若い女の口に玉子を押し込んで悪戯をしだしたりした。三人とも、また声をあげて、いつとき笑いあひながら、電気を消したり点けたりして興じあつてゐる。
 その日の、何か書きつけた私の記憶の隅の方に、若いロスキーの男女終夜戯れて眠れず、と書いてあつたが、ーー夜明け近くなつて電気を消してしまつてからも、二人は何時までも小声で何か話しあつてゐた。
 上の床の年をとつた男の方は、笑ひ疲れたのだらう、何時の間にか長靴の足を片方だらりとぶらさげたまゝ、雷のやうな鼾声をあげて寝込んでしまつてゐた。
 二人の間には「ヤポンスキー」なんぞと云ふ小会話も時々混つて、ひどく私を気にしてゐるやうでもあつたが、×××××やがて香水の甘い匂ひが部屋中に満ちて、殺風景な西伯利亜の野をひどくロマンチツクにして二人は×××におぼれたまゝであつた。
 ロシアについては、無骨な知識しかない私に、これはまた悩ましく、をかしい風景ではあつた。


 朝。雪で光つた晴天だ。
 私一人が早い眼覚めでアルコールランプにヤカンをかけて湯を湧かすと、顔を蒸したり、茶を入れたりして朝のみじまひをする。向うの女は鼻が悪いのだらう。ゴロゴロ喉を鳴らして、白い額の上には脂肪を浮かしてよく眠つてゐた。上の男達は、これも両方負けじと鼻声をあげて、くたくたの体だ。昨夜のロマンチツクな芝居が、今朝は楽屋裏を覗いた感じで、残つた香水の匂ひもいまは不潔だ。
 十九日。ーーいよいよあと一夜でモスコー着だ。窓外の風景は、だんだん雪が薄くなる。エトランゼには全く不自由な西伯利亜の汽車旅行ではあつたが、雪の持つさまざまの変化を、此様に沢山見た事はない。
 白樺の薪を積んだトロイカが走つてゐる、ーー雪がしぶきのやうに散つてゐる。硝子を重ねたやうに雪道が光つてゐる、汽車の音で、樹の上の雪のかたまりが人魂のやうにポタリと落ちる。全く、窓外の雪の姿は一生忘れられない思ひ出になるだらう。
 日本へ帰つて八銭のかけうどんも悪くはないが、走れ! 走れ! 汽車、泪せきあへず、まだまだこゝは西伯利亜の真中だぜオイ! そんな一人ごとも云つてみたり、二重窓の外を私はあかず眺めてゐた。


 昼近くなつて、外の部屋が明いたからと、ボーイが二人の男に知らせて来た。ーー二人とも荷物を持つて越してしまつた。女も男達の部屋へ遊びに行つたまゝ帰へつて来ない。
 夜は隣室のゲルマンスキーがレコードをかけた。皆その部屋に集まつた。私も音楽を聞かうと扉を開けると、「よくない奴が乗つてゐるから部屋をあけない方がいゝです。」ボーイが手真似で私に注意してくれた。–そのよくない男らしいのが、焦々《いらいら》して廊下を行つたり来たりしてゐた。モスコーで降りるピオニールは砂糖をくれと云つて又やつて来る。
 洗面所へ行く序にボーイの部屋を覗くと、私から砂糖を貰つたピオニールが、ボーイから茶を貰つて飲んでゐた。

 

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<解説>

 

 鉄道はシベリアをひた走りいよいよモスクワも間近。芙美子は同室になった若いロシア人たちに、なにかと悩まされたようだ。
 今回の文中では二箇所ほど×××となっている部分がある。ここはいわゆる伏字となっていて戦前の出版物では、エログロ表現、政治的文言などは、このようになっているものが少なくない。
 これは出版社や編集者、そして作者のいずれかが検閲による発禁などを逃れるために行っていた。
 今回、伏字になっている部分は、ロシア人の男女がいちゃいちゃしながらセックスを始めてしまったということだろう。
 ちなみに戦前の伏字は、×の数と本来の文字数は一致するようになっている。ある意味では、読者が消された文字がなんだったかを想像する余地があったわけだ。
 興味のある方は芙美子が原文ではなんと書いていたかを考えるのも面白いかもしれない。

 芙美子の記したこのシベリア鉄道の旅には、しばしば〝ヤカン〟が出てくる。当時書かれた書籍を見ると、シベリア鉄道の旅に於いてヤカンは必需品であったようだ。

 

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 シベリヤに限らず、欧路でも極東でも同様であるが。ロシヤの旅行に最も必要なのは薬缶と食器箱である。(『世界地理風俗体系8 ソビエト・ロシヤ編』 昭和6年・新光社)

 

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 なんでも空気は乾燥して喉は渇くし、駅などに物売りや売店もない場合が多いので、薬缶に飲物を入れておくのが大切だというわけだ。しかし、薬缶に水をくむのも一苦労だったようだ。

 

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駅に着く毎に、薬缶を持った旅客が、給湯場の傍に長蛇の列をなす。なにぶんわづか五分間か十分間、長くて二十分乃至三十分の停車中に多数の乗客が湯を汲むのだから。一列に並んでいても気が気でない。(『世界地理風俗体系8 ソビエト・ロシヤ編』 昭和6年・新光社)

 

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 芙美子もこんな苦労をしていたのだろうか。


 

 

 

 

 

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昭和初期あったエログロブーム時に出版された大衆雑誌。伏字部がかなり多い。『犯罪公論』(昭和7年1月号・四六書院)

 

 

 

 

 

      *この連載は毎週日曜日の更新となります。次回更新は10/23(日)です。お楽しみに。           

 

                     

 

 


 

                                                                                                 

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林 芙美子

1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。

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