日常にある「非日常系」考古旅

日常にある「非日常系」考古旅

#11

ハイブリッド考古学を目指して

文と写真・丸山ゴンザレス

 

 

 この連載がきっかけとなり、考古学のリハビリ旅を始めて、様々な遺跡巡りや基本や知識のおさらいなどをしてきた。だが、そろそろリハビリも完了したと言えそうなので、ここからは、ジャーナリストとして活動している私だからできる考古学を追いかけていこうと思う。

 

 まず私が目指すのは、考古学とジャーナリズムを融合だ。大それた目標を掲げたように見えるかもしれないが、なにも考古学の新たな分野として普及させたいと考えているわけではなく、それが、私の中の最終的なテーマを追求するために必要だと思ったからだ。

 

 そのテーマというのが、はるか昔からあったであろう裏社会の実態とその構造を、現代のジャーナリズムと考古学で明らかにすることである。

 

 現在の日本、そして世界中には、「裏社会」と呼ばれるものが確かに実在している。しかし、その存在は知れば知るほど難しいもので、決まった形はなく、継続的に営まれている場所もない。たとえば、麻薬の取引現場や、その取り扱いをする組織の活動場所をそう呼ぶこともあるし、銃や密輸品が取引されるマーケット全体を指して言うこともある。また、殺し屋の存在自体が裏社会と呼ばれることもあるだろう。

 

 不定形で、かなり多様な使われ方をする裏社会。掴みどころのないものであることは、ジャーナリストとして取材を重ねてきた身からすれば痛感していることである。

 

 現代でも掴みどころがない裏社会なのに、歴史上の裏社会を相手にして構造を解き明かそうというのだから、自分で言っていてもハードルの高さが窺えるというもの。当然のことながら、考古学とジャーナリズムのどちらか一方からのアプローチだけでは足りないだろう。考古学の知識とジャーナリストとしての裏社会取材の経験を重ねるという異種のものを組み合わせたハイブリッドなやり方でないと実現できないのではないかと思っている。

 

 どうして、この両者の融合にこだわるのかといえば、それは思いつきのようでもあるが、一応、私の現在までの歩みともリンクしている。

 

 先ほども述べたように、今でこそ国内外の裏社会を取材しているジャーナリストであるが、最初からその分野に詳しかったわけではない。学生時代は「ヤクザとマフィア」を「日本と海外の怖い人」としか認識していなかったし、ギャングと不良の区別を特につけることもないような“ど素人”だった。まあ、週刊誌や実話誌のヤクザネタを読んだりする程度にはアンダーグラウンドのものに心惹かれたりすることはあったが、特別に熱中していたかと言われると、そうでもなかった。本格的に考古学を専攻するようになってからも、その傾向は特に変わらずだった。

 

 

未発掘の遺跡で発見した奇妙な跡

 

 変化があったのは、学部4年のとき、茨城県の石岡市で実施した遺跡の分布調査だ。

 

 縦横無尽に市内を歩き回り、市内に点在する遺跡を確認していく。そのなかには未発見の遺跡まで含まれていて、考古学徒としてはこれ以上ないエキサイティングな仕事だった。

 

 ちなみに縦横無尽とは文字通り、1チーム3~4名で範囲を決めて横並びに歩く。平地の住宅地だろうと、高低差のある山だろうとだ。急勾配の坂を転げ落ちたり、事情を説明した住宅の人からは不審者扱いされたりと大変なこともあった(正式な行政の仕事だったので、教育委員会の腕章はしていた)。きつい仕事でも続けられたのは、しばしば新規の遺跡を見つけることがあったからだった。その遺跡が旧版の遺跡地図はもちろん、教育委員会も把握していないものだということがわかると、これ以上ない喜びと興奮に包まれたものだ。

 

 そうした遺跡のなかで、古墳の主体部(埋葬施設のあるところ)を中心に崩れこむように大きく凹んだ状態になっている墳丘を見つけた。遺跡地図にない新規の発見であるから、発掘調査はされていないはずなのに、不自然に凹んでいるのは明らかにおかしい。なぜか――。

 

 その理由は一つしかない。これは、棺などが運び出されたり、埋葬施設ごと破壊されたりしたことで土が流れ込んでしまったためにできた窪み。つまり、すでに盗掘された跡だったのだ。

 

 これは、遺跡調査の経験が豊富な人ならすぐにわかるもの。そのため、それを見た先輩たちは淡々と処理するように「墳丘主体部に盗掘らしき痕跡あり」と、記録をつけていく。

 

 だが、私の中ではなにか不思議なざわつきがあった。盗掘という犯罪やアンダーグラウンドの匂いがする言葉に否応なく興味を持っていかれた。

 

「これっていつの盗掘ですか?」

 

「誰がやったんですかね」

 

 当時、生々しい盗掘痕を見て、こんなふうに先輩たちに質問して、異様に食いついたことを覚えている。そして太郎さんをはじめとした諸先輩方は、「お前、何がそんなに気になるわけ?」と、盗掘に興味を持つ私のことを、困った奴と言わんばかりの顔で見ていたような気がする。

 

 考古学が目的とするのは、遺跡がつくられた当時の社会を復元すること。それを文献史料ではなく、遺構や遺物から検証していく学問である。まっとうな考古学を目指すのであれば、研究材料となるはずの文化財が失われてしまったことを嘆くことはあっても、いつの時代に盗掘されたとか、誰が盗掘したのかに興味がいくのは、おかしな発想なのである。

 

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茨城県石岡市での発掘調査時の写真。分布調査中に横穴式石室を見学

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分布調査中に発見した石棺石材。この下に本体はなく、石材だけが転がっていた。これも盗掘の痕跡。

 

 

 ともあれ、その頃から、特に石岡市の調査が終わってからは、盗掘だけではなく、考古学と関連する違法性のようなものに強く惹かれていき、盗掘以外にも興味が広がっていた。

 

 たとえば、古美術品のなかで埴輪や土器といった遺跡由来の品物は「発掘モノ」と呼ばれるのだが、それらがどんなふうに取引されるのかを知りたくなった。インターネット・オークションで「考古」や「発掘」などのキーワードで検索して、どんな値段で取引されているかを調べてみたり、青山骨董通りにある古美術店を学生の身ながら冷やかしで入ってみたりした。

 

 また、さすがに自分で作ってみるのは難しいが、「贋作」にも興味が湧いてきた。考古学や博物館学の領域であるレプリカの作成などの授業には興味津々といった具合で、多くの専攻生とは違う贋作に応用は利くのかなどの視点で受講するほどだった。

 

 そんな感じで興味の方向性がだいぶアウトローにずれていたので、一時期は「盗掘考古学」を卒論のテーマにしようとし、師匠や先輩たちから「お前はバカなのか?」「ちゃんと王道を学べ」「学史からやり直せ」といった言葉をいただくはめになった。

 

 結果的に卒論は石製模造品を取り扱い、その後は祭祀考古学方面に興味が移っていったのだが、今となっては、そのあたりは正直、どうでもいい。むしろ、このときの興味をずっと引きずり続けてきたことが、私にとっては重要だったのだ。王道の考古学で扱わない部分だからこそ、異分野に軸を持つ自分が取り組むべき課題のように思えている。

 

 

 

遺跡の存在しない場所=裏社会!?

 

 

 実際問題、考古学で扱うような分野と裏社会を成り立たせている要素は共存するものではない。なぜなら、それぞれが交わることのないコミュニティで発祥しているからだ。

 

 たとえば、新宿・歌舞伎町を例にとってみよう。歌舞伎町といえば、かつてはあらゆる犯罪がうごめく日本屈指の「裏社会の巣窟」と呼ばれていた。浄化作戦が行われて、今では観光地と化してはいるが、闇の部分もまだ残されている。

 

 その歌舞伎町は、遺跡や史跡が無数に点在する東京都内の中では珍しく「遺跡の存在しない場所」なのである。新宿区の遺跡地図をみると、遺跡の分布がすっぽりと抜け落ちている。百人町や内藤新宿など、江戸時代には宿場、足軽屋敷、大名屋敷など相応の役割があった新宿。そのなかで歌舞伎町に遺跡がないのは、二つの理由が考えられる。

 

 一つは、地形である。歌舞伎町なんかを歩いていると、新宿駅前から靖国通りまでの傾斜角度、さらにさくら通りを抜けて旧コマ劇広場あたりのスペースがかなりの低地になっているのがわかる。古代から、低地は人の居住に適さない場所である。湿地だったり、水が流れ込んできやすい場所だったりと、居住条件としては良いものではなかったからだ。それゆえに低地には遺跡がない、もしくは残らないといと考えられてきた。考古学的にはこの理由だけで十分かもしれない。

 

 だが、考古学的な考え方から裏社会的に視点を移すと、別の理由も考えられる。それが歌舞伎町に遺跡がないもう一つの理由だ。それは、土地の権利関係が複雑すぎて、発掘調査ができないということ。調査ができないということは、すなわち遺跡が見つかることはない。見つからなければ、遺跡がないことと同じなのである。これは私の推測に過ぎないが、これまで歌舞伎町で取材をしてきた身からずれば、ビルの権利などで揉めている話を聞くのは珍しいことではない。そもそも、第二次大戦後の闇市から現在の歌舞伎町へと街づくりをする際に、ヤクザや台湾人などの外国人も関わった複雑な利権の街であること周知の通りで、権利云々の話は当たらずとも遠からずだと思う。

 

 このように本来交わることのない二つの目線。これをあわせると、どうなるか――。

 

 太古の時代に人が住んでいなかったとはいえ、時代も移り変わって都市化が進めば、土地が不足していき、低地であっても人が住むようになる。歌舞伎町を含む現在の新宿エリアもその例外ではない。ただし、江戸時代~明治時代までは宿場町の延長ぐらいの発展にとどまっていた。

 

 東京の発展がリセットされたのは、東京大空襲によってである。第二次世界大戦後、一週間もしないうちに焼け野原となった新宿に闇市ができた。駅周辺の空き地に自然発生的に生み出されたマーケットには、市民だけではなく裏社会の人間も引き寄せた。

 

 当時、そういった闇市由来の街は東京に無数に生まれた。そのなかでも戦後の都市化と経済成長のなかで、裏社会と表社会の融合の象徴ともいうべき発展を遂げたのは、新宿のなかでも低地エリアの歌舞伎町だったのだ。古代人が避けた場所に、現代人が東洋最大の歓楽街をつくる。

 

 このように二つの目線を融合させると、普段は想像もしないようなことを考えることもできるし、歌舞伎町の成り立ちに膨らみがでる。

 

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新宿・歌舞伎町の様子。写真では少しわかりづらいが、歌舞伎町は街の周辺から中心に向かって緩やかな坂になっている

 

 

 考古学の視点で裏社会を調べたり、裏社会の知識を考古学に応用できたりするのは、なにも歌舞伎町にとどまる話ではない。むしろ、今までにないような世の中の見え方に辿り着く場所がいくつもあるだろうと思う。

 

 それらを追求していこうと思ったとき、私が真っ先に思い浮かべたのが「盗掘」である。盗掘を紐解いていけば、本来交わることのない「考古学」と「裏社会」の接点が、きっと見えてくるはず――。

 

 かつて私が考古学のなかにアンダーグラウンドの匂いを感じ、心惹かれた盗掘にこそ、そのヒントがあると思ったのだ。

 

 どうして盗掘が裏社会の融合につながっていくのか、次回の「西日本、古墳探訪編」でお伝えしてみようと思う。

 

 

*本連載は月2回配信(第1週&第3週火曜)予定です。お楽しみに!

 

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丸山ゴンザレス(丸山祐介)

1977年生まれ、宮城県出身。國學院大學大学院修了。考古学者崩れのジャーナリスト。フリー編集者。出版社勤務を経て独立。國學院大學学術資料センター共同研究員。TV番組「クレイジージャーニー」(TBS系列)では、世界中のスラム街や犯罪多発地帯を渡り歩く“危険地帯ジャーナリスト”として人気。2005年『アジア『罰当たり』旅行』(彩図社)で作家デビュー。以後、著書多数。【丸山ゴンザレス】名義:『海外あるある』(双葉社)、『闇社会犯罪 日本人vs.外国人 ―悪い奴ほどグローバル』(さくら舎)、『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)、『GONZALES IN NEW YORK』(講談社)等。【丸山祐介名義】:『図解裏社会のカラクリ』『裏社会の歩き方』(ともに彩図社)、『そこまでやるか! 裏社会ビジネス』(さくら舎)等。近著『世界の危険思想 悪いやつらの頭の中 』(光文社新書)、『危険地帯潜入調査報告書』(丸山 ゴンザレス、 村田 らむ共著/竹書房) が好評発売中。旅行情報などを配信するネットラジオ「海外ブラックロードpodcast」では、ラジオパーソナリティーとしても活動中。

双葉社の既刊本好評発売中!!

ISBN978-4-575-30635-4

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