ブルー・ジャーニー

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#11

トルコ ヒュズン(憂愁)〈1〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

詩の波、史の海

 敷きつめられた石が、雨に濡れてうつくしい。

 三月初旬のイスタンブール、アト・メイダン(馬の広場)。

 重々しくなめらかな正午のアザーン(イスラムの礼拝の時間が来たことを知らせる呼びかけ)が響き渡る。

「アッラーフ・アクバル(アラーは偉大なり)」

 

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 音を文字に置き換えた純粋な表音文字に拠るアラビア語圏では、古くから音としての言葉が重視され、詩人に社会の重要な位置が与えられた。

“詩人の時代”があった六世紀。すぐれて人のこころをつかむ詩人が敬われ、詩を武器に代えて戦ったこの時代に、アラビア半島の片隅から突然のように現れたのが、人間の声こそがもっとも高貴な楽器だとするイスラム。

“書物”を意味するキリスト教の教典バイブルに対し、“読まれるもの”“詠まれるもの”を意味するイスラムの経典クルアーン(コーラン)は、多くの詩人をひざまずかせた。

 

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 かつてヒッポドロームと呼ばれる競技場が存在し、「ニカ(勝利を意味するギリシア語)」の声援で埋め尽くされた場所、アト・メイダン。

 縦五〇〇メートルメートル、横一一七メートル、馬蹄型のヒッポドロームがつくられたのは約一七〇〇年前の西暦三二五年。現在アト・メイダンを囲むように走る道路がかつてのトラックで、赤、白、青、緑の四つチームが、二輪の馬車を駆り、速さを競いあった。

 いまはない観客席の収容人員は約一〇万人。五三一年には熱狂を超えた応援団が暴徒化し、東ローマ帝国皇帝ユスティアヌスの退位を要求。鎮圧されるまで、三万人の犠牲者を出した。

 

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 アト・メイダンには、三五〇〇年の時間と、トルコからギリシャ、エジプト、イタリアに広がる空間が交錯している。

 広場の南の端で天を指すのはテオドシウス一世のオベリスク(古代エジプトの記念碑)。高さ六メートルほどの基壇がつくられたのは四世紀の終わりごろ。基壇の上の、ローマ風の彫刻が施された高さ約二六メートル、重さ三〇〇トンの本体がつくられたのは、それより一九〇〇年前の紀元前一五世紀初頭。古代エジプト最大の神殿カルナックから、豆で満たされた船倉に埋められ、約一カ月かけて運ばれてきた。

 広場中央の青銅の塔は紀元前五〇〇年、ペルシア戦争に勝利したギリシャがペルシアの武器を溶かして作成したもので、固く巻きついた三匹の蛇は団結の象徴とされる。

 デルフォイのアポロン神殿にあったこの塔がヒッポドロームに運ばれてきたのは、建立から九〇〇年後の四世紀の初め。本来の高さは八メートルだが、頭の部分が失われたいまは五・五メートルほど。

 頭部のひとつは大英博物館に、ひとつはイスタンブールの考古学博物館に蔵されているが、のこるひとつは見つけ出されていない。

 アト・メイダンの北の端に立つオベリスクは四世紀ごろの作。かつてこの地を支配した東ローマ帝国(三九五~一四五三年)のオリジナルだが、石柱をおおっていた金箔の青銅版は、一三世紀初頭にこの地を通過し、略奪の限りをつくした第四回十字軍にはぎ取られ、石積みの素肌をさらしている。現在、ベネツィアのサンマルコ聖堂に飾られている四頭の馬も、第四回十字軍に奪い去られたもののひとつだ。

 

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「あそこを見てください」

 通訳氏が道路脇の壁を指さす。東京・水道橋の写真学校にかよい、日本人女性と結婚。イスタンブールに住んでいるトルコ人だ。

「上の層はオスマン・トルコ帝国時代(一二九九~一九二二年)の石、下は東ローマ帝国時代の石です。オベリスクのような名のある遺物ばかりではなく、道路わきの壁ひとつとっても、ここイスタンブールではいろいろな時代が入り交じっています」

「アト・メイダンに敷きつめられていた石も?」

「ええ。ブルーモスクを建てるときに取り壊された東ローマ帝国時代の建物の石がかなり入っていると思います。石の再利用はここでは当然のことで、東ローマ帝国時代の教会の柱をつかっているモスクもたくさんあります」

「このあたりに人が住み始めたのはいつごろですか?」

「紀元前一七世紀、ヒッタイト族が、鉄製の戦車と馬でトルコのアナトリア高原を征服しようとしていたころです」

「ということは、壁や歩道に、四千年前につかわれていた石が混じっているかもしれないということですか?」

「そうですね」ガイド氏はあっさりそう答えると、歩調を早めた。「雨がつよくなってきたので、すこし休憩しましょう」

 

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 苦みの奥で、ほのかな甘みがまたたく。

 専用の手鍋に、火で粉々になるまであぶったコーヒー豆、砂糖、水を入れて沸騰させ、漉さずにカップにそそぐカーヴェ(トルコ・コーヒー)は、舌にずっしり重い。

 モスク建築の巨匠シナンがアフメット一世の命を受けて建造したスルタン・アフメット・ジャミイ(ブルーモスク)が、その向こうにボスフォラス海峡が見える。

“スルタン”はイスラム世界の有力な統治者を、“カリフ”は宗教的な権威者を指す称号。カリフに委任されたスルタンが君主として統治するという形が本来的だが、オスマン・トルコ帝国の皇帝は、ふたつの称号を兼ねる絶対的な存在だった。  

 ジャミィ(モスク)を取り囲むよう立つ突塔、ミナレットはアザーンを知らせるために建てられたもので、スルタン・アフメット・ジャミイのムエジン(勤行時報係)は毎日五回、長い階段を上った。

 現在は録音されたアザーンを拡声器で流す方法が一般的だが、ごくまれに美声のムエジンがミナレットに立つと、多くの聴衆が集まる。

 優に一千人を収容できる内部は約二万枚のブルーのイズニックタイルで覆われている。一枚一枚が、いまは失われた伝統技術による手焼き。その微妙な色合いは、空を見上げるような、海をのぞきこむような世界を生み出しており、ブルーモスクと呼ばれる理由はここにある。

 

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 パリのセーヌ川やローマのテベレ川とは異なり、イスタンブールを貫き、ヨーロッパ大陸とアジア大陸のあいだに横たわるボスフォラス海峡は、複雑に流れ、深く、暗い。

 黒海とマルマラ海を結ぶ全長は約三〇キロ、幅はもっとも広いところで三七〇〇メートル、もっとも狭いところで八〇〇メートル。平均水深は約六〇メートルで、最深部は一三〇メートルを超える。表面は時速六キロで南へ流れ、下層は北へ表面よりつよく流れる。

 潮の流れは複雑だが、干満の差はほとんどない。チャイハネ(喫茶店)やロカンタ(食堂)が海にせり出すように建ち並び、濃霧の夜、操作を誤った──たいていはロシアの──船が軒先に飛びこむ。

 

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 海峡の一画に“ボスフォラス海峡文明”が発達したのは一八世紀だった。

 月の光を受けて波が金銀に変わる夏の夜、漕ぎ舟で集まった高官たちは、遠くの小舟で奏でられる音楽を聴き、詩を吟じた。

  ボスフォラス海峡文明のなかで子ども時代を過ごした詩人ヤヒャ・ケマルは『ボスフォラス海峡の月の光と海辺の別荘』で、閉ざされ、オスマン・トルコが濃縮された世界を細密画師のように再生した。

──風ひとつないのに、水面があたかも内部から来るかのような細かな身震いによってさざ波立つのだった。

 

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 ヨーロッパからの波と、アジアからの波がぶつかり、砕け、溶け合ったイスタンブール。とりわけ激しく押し寄せたのは、キリスト教とイスラム教の波だった。

 ローマ帝国のキリスト教公認から一七年後の三三〇年、皇帝コンスタンティヌスは、都をローマからこの地に遷都。ビザンチウムは、コンスタンティノープルと呼ばれることになった。

 まもなくローマ帝国は東と西に分裂。やがて西ローマ帝国は滅亡し、コンスタンティノープルは東ローマ帝国の首都となった。

 一方、イエス・キリストの死から約五八〇年後の六一〇年。アラビア半島の片隅にはじまったイスラムは、またたくまに世界を拡大。なかでもとりわけ勇猛だったのが、中央アジアの遊牧民の血を引き、一三世紀初頭にアナトリア高原に興ったオスマン・トルコ帝国だった。

「コンスタンティノープルがほしい」一四五三年、弱冠二一歳のスルタン、メフメット二世に率いられたオスマン・トルコの軍隊は、コンスタンティノープルに向けて進軍を開始。二カ月後、一一二三年間にわたって脈を打ちつづけてきたキリスト教の都にコーランが響き渡り、ビザンツ建築の最高傑作とされる聖ソフィアをはじめ、キリスト教会堂はつぎつぎにモスクに作り替えられた。

 

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 トルコ西部、トロイ。かつてエーゲ海に面していたヒサルルクの丘の地中深くに、さいしょの市“第一市”が作られたのは、紀元前三千年頃時代に始まる初期青銅器時代。第一市が滅びると、埋没した市街地の上に第二市が建設され、繁栄と滅亡が、ローマ時代(紀元前三五〇〜四〇〇年ごろ)まで九回繰り返された。

 ホメロス作とされるギリシャ最大の英雄叙事詩『イーリアス』に記されたトロイ戦争を史実と信じたドイツ人、ヨハン・ロートヴィヒ・ハインリヒ・ユリウス・シュリーマンは、発掘調査を重ね、ヒサルルクにたどりついた。

 サンクトベルグとカリフォルニアで商社を成功させ、クリミア戦争のときにロシアに武器を密輸して巨万の富を得た実業家は、財宝を求めて、クレープに火箸をつきたてるように第二市まで一気に掘り下げ、第三市、第六市、第七市は、そこにどのような日常があったのか、想像することが困難なほど破壊された。

 

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 ガイド氏に聞く

「耳をすませば、道端の石からも四千年の物語が聞こえる。想像もつかない日常です」

「学校で勉強しますから、歴史を知識としては知っています。でも知っていることと感じることはちがいます。感じるためには、たとえばさっきの壁のまえに立ち止まり、しばらく時間を過ごすことです。よく見て、耳を傾けることです。でも、人間はいつも動いていて、そうそう立ち止まるものではないんですよね」

 そう言うと、ガイド氏は首をちいさく横に振った。

 

(トルコ編・続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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