越えて国境、迷ってアジア

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#107

タイ=ミャンマー国境を北上せよ〈3〉経済特区予定地ダウェイの現状

文と写真・室橋裕和

 日本も官民上げて出資している、ミャンマー南部のダウェイ経済特区。しかし訪れてみれば、このために国境までオープンさせたのに、なにひとつ開発は進んでいないのだった。そしてダウェイの街で感じるのは、隣国タイに対する複雑な感情だった。

 

東南アジア最大の経済特区はどこに 

 だいぶ北上してきたなあ、と地図を見ながら思う。自分がたどってきた旅路を、地図上でなぞるこの瞬間がけっこう好きだ。いま、ちょうどマレー半島の付け根あたりだろうか。ダウェイの街である。
 以前から来てみたかったのだ。というのもここには、ミャンマー最大、いや東南アジア最大級の経済特区が建設される予定だからだ。
 しかしベイからのバスを降りてダウェイを歩いてみたものの、とりたてて特区開発の熱気はない。意外なほど小さな街だ。中心部だけなら歩いて1時間ほどでひとまわりできてしまうだろう。ダウェイ川に面した魚市場はなかなか壮観だが、そこから東に伸びるメインロードに沿って立ち並ぶのは古びた商店や小さなホテルくらい。高い建物はほとんどない。イギリス時代の様式が多くてシブいのだが、この地域の中心都市とは思えない静かさだ。
 それなら郊外にあるという特区開発地に行ってみるべえか、と思ったのだが、
「なーんにもないよ。草ぼうぼう。ぜんぜん手がつけられてないんだ」
 マウンさんは言う。小さな旅行会社の社長である。知人に紹介されてフェイスブックでつながったのだが、雨期でヒマだからとガイドを買って出てくれたのだ。
「ほれ、ここは蒸し物がいけるんだ」
 肉まんとシュウマイを勧められる。インド風のチャイと、中華風のお茶を交互に飲んで、肉まんをかじる。文化の交差点ならではのこんなカフェがミャンマーのどこにでもあるが、この店はダウェイで一番人気なのだという。確かに朝早いのに、広い店内はほとんど満席だ。ゆったり新聞を読むおじさんもいれば、朝からなにやら議論している様子の人たちもいる。
「まあ、ビジネストークだよね」
 おじさんでも誰でもロンジーという巻きスカート姿でなんだかラフな格好だからそうとは思えないが、商談をしている人が多いのだという。そう聞くと、ルノアールで打ち合わせをする日本のおじさんたちと似たようなものかもしれない。

 

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ダウェイの人気カフェ。ミャンマーでの朝食はこういうところがいい

 

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ダウェイのメインストリートは雨ということもあって閑散

 

日本企業のオフィスもあるが…… 

 朝めしを食べながらマウンさんを解説を聞くに、日本も大きく絡んだダウェイ経済特区の開発は現状ほとんど頓挫しているのだという。
 もともとタイの建設超大手イタリアン・タイが主体となって話が進められてはきたのだが、開発用地のムリヤリな収用だとか自然破壊など強引な開発が批判を浴びた。ケツをまくったイタリアン・タイからミャンマーとタイの両政府にゲタが預けたものの、それから計画はほとんど進んでいない。
「で、日本にも声をかけて出資を求めたんだが」
 カフェを出て、バイク2ケツでダウェイの街を走っていた僕たちは、小さなショッピングモールの前で停まった。
〝ようこそ、ダウェイへ〟
 日本語の看板だった。その前には小さなタウンハウスがあり、テナントだろう各戸には日本企業の看板がかけられている。しかしどこもシャッターを下ろし、営業している様子はない。
「進出してきた日本の会社も形だけここに〝支社〟を置いてるけど、日本人はあまり見ないね」
 開店休業状態なのであった。ダウェイの開発は話ばかりが大きくなったが、ちっとも進展がないのであった。

 

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形ばかりの日系企業の事務所。ちなみに「バンコク週報」は僕の古巣でもある

 

トラが跋扈する国境地帯? 

 マニアとしてはなかなかソソる場所ではある。経済特区開発のためにわざわざ国境まで開けたのだ。
 ダウェイから東に80キロほどの山中である。それまではタイ人とミャンマー人しか通れなかった辺鄙なローカル国境を、2013年から国際国境に格上げして、外国人も越境できるようにしたのだ。するとダウェイ~タイ・カンチャナブリ~バンコクがほぼ直線250キロの距離で結ばれるようになる。バンコクから最短でインド洋に抜けるルートになるわけだ。そのダウェイに港と経済特区をつくってタイの製造業が進出すれば、インドや中東にバンバン輸出できるじゃん! という目論見だったのだろうが、そうはうまくいかないのが世の中というものなのか。この国境も通過する人はなかなか増えず、整備も進まず、
「国境のまわりは深い熱帯雨林がどこまでも続いている。国境のそばでキャンプしたこともあるんだけど、夜中にトラの唸り声を聞いたぜ。あれはトラで間違いない」
 なんて話すのであった。
 というのもマウンさんは、おもに欧米人向けのエコツアーを主力商品としており、地域の自然を愛する男である。確かにバイクに乗ってダウェイの郊外を走っていると、豊かな森、白砂のビーチ、透明度の高い海、マングローブの林と、実に原色鮮やかだ。経済特区しかイメージを持っていなかったが、これほど心休まる景色が広がっているとは思ってもいなかった。
「経済特区はこういう自然を破壊しようとしている。貴重な観光資源なんだよ。自然を大事にして、自然を守りながらエコツアーの観光客を受け入れていくべきなんだよ。国境の向こう側のカンチャナブリはそれで成功してるじゃないか。俺も行ったことあるぞ。ラフティングやトレッキング、バードウォッチングなんかの観光客がたくさんいて驚いたんだ。ミャンマー側も自然では負けていないのに、こっちはさっぱり旅行者がいない。ちょっぴりだ。それもこれも、政府がぜんぜん旅行業者のライセンスを発行しないからで……」
 マウンさんはバイクでかっ飛ばしながら嘆くのであった。

 

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どの国でもどの街でも市場はやっぱり面白い。色鮮やかで楽しくなってくる

 

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ダウェイ名物だというアポモ―というお菓子の屋台。鍋の内側にココナツミルクの生地を張りつけて焼く

 

ミャンマー人にとってのタイとは 

 タイ主導だったはずの経済特区は先行きは不透明だが、それでもダウェイではタイの空気が濃密だった。カフェやレストランのメニューにも、タイ語が併記されている。タイ料理の店が多い。ときおりタイ語を話す人とすれ違う。マウンさんだって片言のタイ語を話す。
「タイの企業も大小いろいろあるし、タイで働くミャンマー人が多いからそのための事務所もある。観光に来るタイ人も多いしね」
 市場を見るとみずみずしい野菜や果物が山と盛られているのだが、
「これもほとんどタイからの輸入。タイのほうが大規模農業のノウハウがあって、質が良い作物が安く生産できるの。ミャンマーのものはかなわない」
 ダウェイはいろいろな意味でタイに依存しているようだ。すぐそばの国境の向こうに広がる、豊かなる隣国。そんなタイは憧れの国でもあるだろうし、国土を乱開発しようとすることに対する怒りもあれば、コンプレックスの対象でもあるだろう。マウンさんの口ぶりからも、複雑な気持ちが伝わる。
 僕たちからはまったく違うタイの姿が、ミャンマー人からは見えるのだ。

 

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ダウェイの特産カシューナッツの殻剥き工場にお邪魔させてもらった。手作業でガンガン剥いていく

 

(続く)

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『日本の異国』(晶文社)、『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)。

 

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